怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

古本に囲まれて。

2016年10月15日 | カテゴリー分けするのに飽き
古本屋の店番のような仕事をときどきしている。
そこには凄まじく古い本がたくさんあるんだ。
 
見た目も古いけれど、開いた1ページ目に書かれた年が凄まじい。1925年?
蔵書印という習慣が無いのか、持ち主の名前が書かれてあることがときどきあるんだ。
 
これは発行年なのか、出版社が創立した年なのか、考えてしまった。

昔の書籍はどれも表紙が質素ねぇ。
 
1915年って・・・ひゃ、百年前の本?
誰かに尋ねてみたいけれど、私のようなろくにドイツ語が話せない人物を使うくらい逼迫した状況なので、いつも私しかいないんだ。

ひょえー。1899年!その本には1905年と記載が。
 
こんな風に、ぞろぞろ揃っている。
 
先祖が残したものを持っていた高齢者が亡くなって、処分に困ってここに持ち込まれたのかな、と想像。

私の祖父母やその親など、読書という習慣を持っていたかどうかも怪しい。
ドイツだって、おそらく同じようなものだと思う。
書籍は今の感覚より高価だったろう。きっと、お金持ちの所有物だったのだろうな。
現在90歳近い東京に住む知人女性が、
「子供の頃、将来は本に囲まれた生活をしたいと思ったものよ」
と言っていたのを思い出す。神戸の貿易商で比較的恵まれた家庭に育った彼女の発言だった。

日本の生活でここまで古い本を手にとって見たことはない。
日本の多湿な環境で、本のように装丁されている物資は長期保存が難しいのかもしれない、と予想した。
いや、どこかにはちゃんとあるのかしら。

物乞いの増加

2016年10月15日 | カテゴリー分けするのに飽き
ドイツ生活でいやな物事に一つは、家を回って金品を要求する物乞いがいることだ。
道端に座り込んで黙って物乞いしている人々(黙っていなくて「ハロー、ハロー」と声をかける者もいるが!)と比較すると、人生物乞い生活やる気に満ちていて素晴らしいかもしれない。
最近は毎週のように土曜日の午後にやってくる。
たまたま玄関の近くに私がいると、窓から覗いて誰がいるか確かめる。
義両親たちに「呼び鈴が鳴ったら、すぐにドアを開けず、どんな人物がいるか確かめてからにしろ」と教育された結果だ。
インターホンが無い遅れた我家の生活の知恵だ。

先週末も窓から覗いたら明らかに物乞い風の顔立ちの女が立っていた。
肌色がドイツ人一般より濃い目なのと、顔の表情でそれとすぐに判別できる。
服装では、物乞いかどうか見分けがつかない。
特に貧しそうな服を着ているわけではない。いや、ここ周辺のドイツ人たちの服が物乞い並みなのか?
そういえば、シリアの様子をテレビで見ていたら、ドイツの有名スポーツブランドのシャツを着ていたりする人々がいたな。
ここで難民たちがそれらの製品を着ていても、全然不思議でないことがわかった。
窓から私を見た物乞い女は「ハロー」と言った。覗かれたことがばれたか。
急いで私は二階にあるカメラを取りに行った。
戻ってくると、義母が玄関あたりをうろついていた。
「物乞いが来ています!開けないで!」と私は説明した。
カメラを持っている私を見て、義母は撮影を制止しようとした。
ま、普通そうだよな。
こんなやり取りをしていたら、物乞い女は諦めたらしく、義母が窓から覗いたときにはすでにそこにいなかった。

ウチを出て行くところの物乞い女を撮った。

栄養状態は過剰そうな印象。
体格においては私の方が物乞い風さ!
彼らは一台の車に乗って、こんな田舎までやってくる。
家族で自動車を保有できるほどだったら物乞いをする可能性は低いだろう。
何か、物乞い組織があって彼らが方々を回って金を集めているのかな。

友人の一人には「彼らには一切金品を与えてはいけない、玄関も開けてはいけない」と言われている。
与えれば、さらに物乞い行為が普及するから。玄関を開けると、彼らは家の中を観察して盗れる物があるか観察し、ある日留守を狙ってお持ち帰りするらしい。

ここのところ、物乞いがとても増えたような印象だ。
街中の座り込んで物乞いしている人々の数は明らかに増加。
いい場所は許可を得ているような古参が占領し、「こんなとこで?」と感じる場所は新参者がいる。
車でしかいけないようなスーパーの前に物乞いがいたこともあった。
そのスーパーの従業員と思われる男たちが追い払った様子を見た。従業員の白くてでかい図体と、浅黒くて小さい男の対比がはっきりしていて、なぜか見ている私が惨めな気持ちになった。

何か印刷された紙を持って、街やスーパーが集まっている場所に出没し、金を集めている人々もいる。
一人は「耳が不自由です、お恵みを」という内容のものが書かれていた記憶がある。
無視したら、ちゃんと私に向かって罵倒の言葉を叫んでいた。
数週間前に遭遇した男が持っていた物には何が書かれてあるかわからず、撮影しようとしたら、
「何するんだ!」
と当然だけれど彼は怒りまくって行ってしまった。
ふ、馬鹿な奴、って私が手を振ったら、なぜか彼も私に手を振って挨拶していた。

世界のほとんどに物乞いは存在するのだろう。
これからも物乞い業は消滅する可能性は少ないと思われる。
彼らをどのように向き合っていくのかが、私の今後のドイツ生活の課題だ。
夫などは訪問物乞いは「帰ってください」とぴしゃり、とやる。
義母はそのときの気分で小銭を与えたりしている。
無視して、写真撮影、ではまるで消極的だ。

日本は訪問販売や訪問布教に悩まされたが、ここでは訪問物乞い。
なんだか、レベルが・・・おっと、止めておこう!