里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

西中条の八幡神社 & 道祖神(どうそじん)

2008年03月05日 | 神 仏
昨日は神辺町西中条の八幡神社へ行って来た。

祭神は、誉田別尊・息長足姫命・三女神で、こざっぱりした神社だ。
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しかし、今回はこの神社を参拝するのが目的ではなく、この神社を建立する時に
土中から出て来たと言われる陰陽石だ。 
何でも、五穀豊穣や子孫繁栄を願う古い時代の信仰の象徴で、男女のそれをかたど
ったものだと言う。
 
備中町の岩谷神社を参拝した時にも同様な物があっただけに気になっていたので
行って見たのだが、祠の中には陰陽の木彫りが奉納してあり、祠の裏と横手には
土中から出て来たと言われる陰陽太神の石塔と、陰陽一対の石が祀られていた。
陰陽の木にしろ、石にしろ、何ともストレートな形をしていて気恥ずかしい!

明治政府が文明開化を進める際、このような神を祀る風習を外国人に非難される事
を嫌い全国的に破棄させたらしいが、今では全国で沢山祀られていて、奇祭が行わ
れる所も多いと言う。 
この道は権力をもってしても止められないという事で、良縁・下の病・子宝・安産
子育てなどのご利益を求めて参拝する人も多いと言う。
陰陽石霊神の祠陰陽太神
陰陽石


道祖神
古くは、五穀豊穣や子孫繁栄を願う信仰で、男女の性器をかたどった陰陽石や大き
な石柱が祀られていた。
その後、日本の神話や中国の道教、或いは仏教などの影響により、
悪霊や疾病を防ぎ、交通の安全を守る神としても信仰され、村境や峠や辻などの道
端に石碑や石像を祀られるようになった。
現在でも各地に、自然石・陰陽石・男女2体の石像・文字を彫った石などが祀られ、
賽(さい)の神、障(さえ=遮るの意)の神、岐(ふなど)の神、道の神、峠の神、
道祖神などの様々な名前で呼ばれている。

(神話の影響)
 死んだ妻の伊弉冉尊を黄泉の国に訪れた伊弉諾尊が、妻の余りにも醜い姿に驚き
 逃げ帰る時、追っかけて来た妻を妨害しようとして持っていた杖を投げつけると、
 その杖から(賽の神・障の神などと呼ばれる)神が生まれた。
 その事から、この神を悪霊や疾病を防ぐ神として村境などに祀るようになった。

 又、岐の神(=猿田彦神)とも習合し、道の神・交通安全・災厄よけの神として
 祀られるようになった。

(中国の道教の影響)
 道教は、仏教や儒教と同じ頃に中国から渡来した宗教で、その中に交通の安全を
 守る道祖神があり、それをそのまま導入した。

 道教信仰で日本に定着したものには、他にも次のような庚申信仰がある。
 「人の身体の中には3匹の虫が棲んで居り、庚申(かのえさる)の夜の人が眠っ
  ている間に天に昇り、上帝にその人間の罪を告げるので、虫が天に上ると寿命
  が縮まると考えられ、
  その為に、その夜には人々は一軒の家に集まり、眠らないように徹夜をする
  庚申講・庚申待などと称する行事をした」
 「本来はこのように長寿を願って行われたが、その後五穀豊穣や辻の守り神の役
  目も担うようになった。
  庚申塔も、初期は文字を刻んだものだったが、江戸時代には像を刻んだものが
  つくられるようになった」