里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

陰陽師、安倍清明

2008年03月06日 | 神 仏
京の都に跋扈する鬼を、「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」なる呪文を唱え
て追い払う、あのカッコ良い安倍清明の縁りの地が神辺町三谷にもあるという。

一昨年の3月、(遥照山の北東にある)阿部山の山頂に“安倍清明縁りの地”を訪
ねてTVで見た陰陽師が意外にも近い所で活躍していた事を知り、興味を持ってい
ただけに足を伸ばして訪ねてみた。

ところが、山腹に赤い鳥居が見えるのだが参道が見当たらない!
麓に何軒かある安倍さんの家を訪ねても全部留守で、途方にくれていると丁度折り
よく通りかかった婦人が丁寧に教えて下さった。

登って行くとそこには石塔と小さな祠があったが、石塔の文字は判読出来ず、由緒
なども書かれていなかったので、少し釈然としない思いがした。
近くには何軒かの安倍さんが住んで居られるようなので、その人達の氏神様ではな
いかと思うが、或いはその人達のご先祖が安倍清明に縁りがあるのかも知れない?
安倍清明は平安中期に実在したそうだが、この三谷の地に何を残したのだろうか?
興味は尽きない!
清明霊社の遠景鳥 居
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清明塚と清明霊社清明塚(→清明霊社)

陰陽師(おんみょうじ)
古代の中国から渡来した陰陽五行説を元に、神道・道教・仏教などを取り入れなが
ら日本固有の発展をした自然科学や呪術の体系を陰陽道と言い、陰陽道に携わる者
を陰陽師と呼んだ。

陰陽師は、
律令制がしかれた時代には、朝廷の下で天文観察や暦の作成、吉凶の判断などの仕
事に携わったが、律令制が緩んで来るに従って呪術をもって災厄を逃れる仕事もす
るようになった。
平安中期頃には、天文に携わる安倍清明と暦に携わる賀茂氏が陰陽道を独占するよ
うになり、平安時代以降には安倍氏の力が増し、陰陽頭(陰陽を司る部門の長官)
を世襲するほど有力になった。

その後、民衆の間でも陰陽道が浸透して各地に占い師や祈祷師などが現れるように
なり、明治以後迷信だとして禁止された後も暦や方角の吉凶などを見る時に相変わ
らず用いられている。