里山の山野草

里山と山野草の復活日記。

四国霊場巡り

2008年03月30日 | 神 仏
何を血迷ったか家内が急に四国霊場巡りをすると言う。
近所の熱心な人の誘いで、お調子者の家内がスッカリその気にさせられたらしい。
早速装備を整えてヤル気満々だ!

「弘法大師とは何者?」、「お遍路の意味は?」と尋ねても何も知らない!
「それでよく行くね?」と問いかけたがどこ吹く風で、総勢20名の団体に加わり、
「お陰を貰って来まーす!」の声を残し能天気に出発した!

「行ってらっしゃーい!」 (「ずーっと回っていても良いよ!」)
とまあ、私も3日間は心おきなく命の洗濯が出来るので気持ちよく送り出した。

とは言うものの、かく言う私も全く知識が無いので調べてみた。
すると、
「弘法大師が若い時に修行した四国八十八箇所の霊場には、今でも弘法大師が巡っ
 ているとされており、お遍路が祈願の為にこの霊場を巡り歩く事で弘法大師の功
 徳が得られる」
「首に掛けた巡拝袋に書かれた“同行二人”の文字の意味は、お遍路が一人で歩い
 ていても常に弘法大師が連れになって守ってくれているという意味で、
 持っている杖にも弘法大師が宿ると言われている」
という事らしい。

お遍路の心や服装も特に決まりが無いとも言うが、祈願といってもどうせ
「3億円当たりますように!」といった不純なもので叶う筈も無いだろう。
ゴクロウサン!

弘法大師(空海の死後、生前の徳を称えて贈られた号)の略歴
 ・774年、讃岐(善通寺市)の豪族の子として生まれる。 幼名は佐伯真魚。 
 ・788年、15歳で都に出、叔父の阿刀大足に学ぶ。
 ・791年、18才で大学に入る。
 ・792年、大学での儒教中心の勉学に飽き足らず次第に仏教に興味を持つように
       なり、19歳を過ぎた頃から大学を去り奈良や四国の各地で修行をする。
 ・793年、20才の時に周囲の反対を押し切って得度。
 ・795年、22才の時に名を空海と改め、名僧達に仏の教えを乞うが、それに満足
        出来ず唐へ渡る決心をする。    
 ・804年、最澄らと留学僧として唐に渡り、真言密教第七祖の恵果和尚に学ぶ。
 ・805年、遍照金剛の法号を授けられ、真言密教の第八祖となる。
 ・806年、無事に九州へ帰国。
 ・809年、都に上り、
 ・810年、嵯峨天皇より真言宗を開く許しを得、庶民の救済と社会の浄化に着手。
 ・815年、42才の時に、若い時に修行した四国各地を遍歴し、お寺やお堂を建立。
 ・816年、嵯峨天皇から許可を得、高野山に金剛峰寺という根本道場を建て、約
       20年間高野山を中心にして全国への真言密教の布教に努める。
 ・823年、嵯峨天皇より東寺を賜り、教王護国寺と称し真言密教の布教に努める。
 ・828年、誰でも勉強できるように、京都に綜芸種智院という学校を創る。
 ・835年、没。
 ・921年、醍醐天皇から、“弘法大師”という諡号(おくりな)を賜る。