雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

十字架/重松 清

2010-02-24 | 小説
 今さら重松作品に対してどうのこうの言う必要もないとは思うが、今作は重松渾身の書き下ろし作品ということで、こちらもかなりの期待と熱意を伴って読んでみた。それが一概に、「期待外れ」や「肩透かし」という訳でもないが、どうも今一つ煮え切らなさが残った。何故だろう?
 確かに、テーマは重い。十四歳、いじめ、自殺、遺書、遺書に「親友」として書かれていた自分の名前。しかし、これくらいの重さ、重松作品に於いてはまだまだ軽度なほうであろう。
 読みやすさにしても、相変わらず抜群のセンスで読み手をグイグイ惹き込んでいくのは最早、神業。二日で読めた。
 それなのに、どこか煮え切らない。それが何か? を考えてみた。

 多分、主人公の気持ち、考え方に自分が乗り切れなかったんだと思う。勝手に自分の名前を遺書に書かれて、勝手に「親友」とかにさせられて、勝手に死んだ奴のために重い十字架を背負わされる、それを受け入れる訳ではないけれども、(受け入れられるものでもない)それで何かとその後の人生にまとわり付いてくる。その度に、もう何年も前に死んだ奴のことをいちいち持ち出したりして、鬱陶しい。というか、そうしないとお話にならないが。
 自分だったら、まず無いな、と思う。勝手に自分で死を選んだ奴のことでこっちが煩わされるなんて馬鹿げている。
 
 もちろん、話の趣旨としては上記に述べたことも含め、自殺された家族の悲しみや苦労や、いじめを見て見ぬふりをしている者に対しての罪と罰、子供に先立たれた親たちの苦しみ、等々、真に迫る勢いで描かれている。

 作品自体になんら問題はない。渾身の一作、だと思う。やはり、重松作品には普遍の筋が真っ直ぐ通っていて、本当に素晴らしい。
 従って、問題があるのは私の人間性だろう。
コメント
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