作家太宰治についての作家論文。と、簡潔に言ってしまうには些かもったいないと感ぜられるくらいに、今までの作家論に比べると、善く言えば斬新な、悪しく言えば逸脱した、読み物と思える。得てして、作家研究に於いてはとりもなおさず作品について、また日記や書簡、或いはその作家の知人などの話を総合的にまとめ上げ、己の意見を論ずるといった具合であろうが、本書は「新約」と冠するだけあって、新たな試みに挑んでいる。と、言ってももちろん、前例に倣って作品、日記、書簡、太宰を取巻く人々の証言等々多様されている。ではなにが斬新な試みか。それはこの作者、作家本人、即ち「太宰治」を本書に登場させようとする。その試みは成功か失敗かは読む人の心づもりであるが、作家研究という分野に於いては大きな飛躍をもたらせたことだけは確か。
況や、太宰治という偉大な作家は、その小説のみならず私生活に亘っても興味の尽きない、論じるにはうってつけの素材である。これまでにいったい、幾人の間で語られ論じられてきたかは計り知れない。その中には大きく的を外しているものも多々あろうし、また鋭く本質を抉りきっているものもあろう。そこにはきっと本物の太宰治が在るであろうし、また虚構の果てに、津島修治という名を失った作家が頬杖ついて薄ら微笑っているはずである。
従って本書に登場せられる虚構の太宰もまた、太宰である。
作家の嘘を見破るのも、嘘に騙されるのも、読者次第である。もとより小説に真実なんぞ求むべからず、だ。だが、本書は、あくまで作家論なのである。そういうところに斬新さを見たという次第である。
最早亡くなった作家についてあれこれ詮索するのも道義的にはどうかと思われればそれまでだが、しかしそれは、最早亡くなってしまったからこそその作家について論ずるのであって、また研究するに値する魅力に溢れているからこそであり、我々残された者たちの傲慢で敬虔な戯行であると思って大目に見てもらいたい。
況や、太宰治という偉大な作家は、その小説のみならず私生活に亘っても興味の尽きない、論じるにはうってつけの素材である。これまでにいったい、幾人の間で語られ論じられてきたかは計り知れない。その中には大きく的を外しているものも多々あろうし、また鋭く本質を抉りきっているものもあろう。そこにはきっと本物の太宰治が在るであろうし、また虚構の果てに、津島修治という名を失った作家が頬杖ついて薄ら微笑っているはずである。
従って本書に登場せられる虚構の太宰もまた、太宰である。
作家の嘘を見破るのも、嘘に騙されるのも、読者次第である。もとより小説に真実なんぞ求むべからず、だ。だが、本書は、あくまで作家論なのである。そういうところに斬新さを見たという次第である。
最早亡くなった作家についてあれこれ詮索するのも道義的にはどうかと思われればそれまでだが、しかしそれは、最早亡くなってしまったからこそその作家について論ずるのであって、また研究するに値する魅力に溢れているからこそであり、我々残された者たちの傲慢で敬虔な戯行であると思って大目に見てもらいたい。
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