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こんにちは堂安に似ている(?)吉田です。
どうやらたけさんが「こーだいと堂安は似ている!!」と言い張っているようです。
その時吉田は思いました。
いや似てないだろ、
そんなこと先輩に言えるわけないのでここだけの秘密にしておきます。
今回は、タイトルにもある通り自分の浪人について書いていこうと思います。(前回の男子部紹介は気分的に延期させてください。思い出した時にでも書きます。優柔不断ですいません。)最近、成人式がもうそろそろであるという話になるたびによく思い出すのでこの内容になりました。
高校時代の自分は、今思えばちゃんと勉強が苦手だったような覚えがあり、このまま大学に進学することに謎の危機感を感じそのまま浪人することになりました。でも、兄弟の中で自分は唯一理系だし親に迷惑をかけないように国立を志望することにしました。
ちなみに高校時代の自分の成績は
こんな感じだったらしいです。懐かしい…
今見るとごくごく普通に感じますが当時は学校の中でも一番上のクラスだったので自分のことは秀才だと勘違いしていました。
兎に角、あっという間に一度目の受験期が終わり次の年に向けて動き出すわけです。勉強を始めようと思った矢先に大きな分岐点が出現するのです。それは『宅浪(自宅で勉強を続けること)?予備校?』問題です。当時の自分は『自分のペースで勉強したい』という思考だったしお金も100万近くかかってしまうので宅浪派だったのですが、兄からは「宅浪だけは絶対にするな・お金をかける価値が予備校にはある」と熱弁され渋々高校時代から通っていた河合塾津田沼校で浪人期間を過ごすことになりました。
予備校での浪人には、家庭事情なども絡んでくるため複雑な問題ではありますが、浪人経験のある自分からすると浪人生は親に頼み込んでも予備校には通うべきだと思います。結果からするとそれくらい大事な事だったように感じます。兄はよく「教育にかかるお金はリターンの大きい投資と同じ」的な話をしてましたがその辺は間違いないと思います。
長くなりましたがそんなこんなで予備校生活が始まります。そして春の授業が終わり8月の模試ラッシュになります。
いや飛びすぎだろと思われるかもしれませんが勉強以外何もしないくらいに必死にやっていたので、特に3月〜8月は勉強以外をしていた記憶がないので書けるようなことがありません。
この約4ヶ月で東北大や早稲田でA判定までもっていくことができました。とても嬉しくてたまらなかったのをよく覚えています。この時に限っては数学の全国順位は100位くらいでした。数少ない自慢話です。
ん?このペースならもっと上目指せんじゃね?とすら思っていましたが、そんなにうまくはいきませんでした。秋以降にあり得ないぐらいに失速しました。時にどう勉強していたか忘れてしまうくらいに腐敗していました。昨年の11月.12月あたりは特に何もかもがうまくいかない感じがして病的なくらいに鬱でした。人生の最下点的なやつです。
結果的に受験は撃沈してしまいました。というか共通テストで滑ってしまったため、希望していた大学に出願することができませんでした。渋々自宅から近かった千葉大学に出願し、一応合格をいただくことができましたが自分の志望していた分野ではなく雰囲気もそんなに好きではなかったので、なんだかんだご縁のある立教に進学することになりました。親にはとても申し訳なかったですが、二通りの人生を生きることはできないのでより後悔の少ない選択をさせてもらいました。本当に感謝しています。わがままでごめんなさい。
千葉大には、あっけなく合格した感じだったのですが自分が勉強してきたことが無駄ではなかったと思えてきて、『国立合格』というだけで、自分には大きな意味があったんだと感じます。
受験に限った話ではないですが所謂「成功する人」は、一度でも良い結果を出せる人ではなく良い結果を出し続けられる人なんだと痛感しました。
結局自分が浪人経験から得たものは、他人より優れた知識とか思考力とかよりも人生の教訓的なものが大きかったなと思います。
実際、大学に入って体育会に入ったのは「頑張っている自分が好き」という当たり前のことを浪人を経ることによって知ることができたからです。今のところ自分の選択は間違いではなかったと昔の自分に胸を張って言えるくらいに充実した生活を送っています。これからも今までの自分を失望させないように頑張っていきたいですね、
今、立教大学体育会ボート部には自分しか浪人経験のある人がいないため来年以降の新入生には「浪人して体も鈍ってしまったから体育会は無理」などと思わず、数少ない「本気で頑張れる環境」に身を置き誰よりも濃い4年間を一緒に過ごしましょう!そしてローニントークでも一緒にしましょう。
改めて考えると高校時代は文化部で1年間浪人していた自分でも選手として活動させてくれる場所ってとても貴重だし、本当にありがたいなぁと感じますね。
次は、早田ひな似の秋田美人の結月です。
こんにちは。
いつもヘニョヘニョしているかずまです。
突然ですが、最近1人用の鍋を買いました。
自分は寮入るまではマジで料理とか全然した事がなく、ちょっと何もできなさ過ぎて危機感を感じているので月曜の夜くらいは自炊をしよーと頑張っています
そういう訳で月曜の夜ご飯を作っていると
かなりの頻度でのぶさんと遭遇するのですが、
のぶさんが1人用の鍋を使っていてリゾットなんかを作っていて、美味そうだし、便利そうでいいなーって思っていて
いい感じの鍋を探していたところ、
丁度Amazonのブラックフライデーで安くなっていたのでチャンス!と思って買っちゃいました!
そしたらまさかの、のぶさんと全く同じ種類の鍋でした笑
でも、のぶさん曰くバリューでも同じくらいの値段で売ってたみたいで、なんか悔しいです😅
さっそく先日使ってみましたー
うどん作ってみました
作ったと言っても、鍋に冷凍うどんと鯖の水煮の缶詰めを入れただけの手抜きですが、、
でも美味しかったです!
基本的に具材をてきとーにぶち込んで温めてればそれっぽくなるのがとてもいいです
麺つゆで食べるしかレパートリーがなかった冷凍うどんですが、これでひとつバリエーションが増えました😊
以上、鍋の紹介でした笑
みなさんもぜひ鍋買ってみてください
ところで、
日本は負けちゃいましたけど、まだワールドカップ盛り上がってますよね
そして次の日記担当は、
今話題沸騰中のサッカー日本代表の堂安律選手に似ている?吉田こうだいです。
お楽しみにー
お久しぶりです
日記が回ってくるペースが早すぎてびっくりしました。2年の高橋杏果です。
今日本で盛り上がっているものといえば……
FIFA World Cup2022
ですね!!
12/5に行われたFIFA World Cup日本vsクロアチア戦
皆さんはリアルタイムで観ましたか??
私は寮の何人かと観戦していました。日本は惜しくもベスト8進出にはならなかったものの、日本代表の勝利のために諦めずピッチを駆け巡る姿、ゴールを死守する姿に心打たれとても感動しました。ほんまにかっこよかったです…
今までワールドカップが開催されていても(あーワールドカップやってるなぁ)くらいだったのですが、今回は選手を覚えたり、ルールを知ったり、いままでと比べ物にならないくらいワールドカップを楽しく観戦することができました。
なぜ、今大会こんなに面白くワールドカップを観れたのかというと、同期のノブとニワケンの駒場サッカー部出身の2人と一緒に観ていたからです
観戦中、サッカー知識のある2人に
「これってなに?どういうこと?」って聞くと分かりやすく説明してくれて、「この選手ってどう凄いん?」とかミーハーな質問を投げかけてもその選手の強みとか凄さとか特徴をわかりやすく熱弁してくれました。2人がいたおかげで私はサッカーの面白さ、日本代表がドイツ・スペインに勝利した凄さを知ることができましたし、めちゃくちゃ楽しく観戦することができました。
いや、本当に今回のワールドカップで日本がドイツに勝つまでサッカーの面白さを舐めてました。
ちゃんとルールを知って見るとめっっっっっちゃ面白いし、ワールドカップ級のレベルは強いチームしかいないから見応えがあるし、思っていたより日本代表に凄い選手沢山いるし、かっこいい選手いるし……
など、語り出したらキリがないくらいハマってしまいました
みんなで観戦するのも寮生活ならでしか味わえないことだなと思うと同時に、4年後のワールドカップはもう引退しててみんなと観れないのかと思うと、今年こんなに熱中できてみんなと盛り上がって観れて良かったなと思います。
サッカーをあんまり詳しくない人にまで感動をくれた日本代表のように、私も誰かを感動させられるような行動で心を動かせる人になりたいなと思いました。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
ちなみに、推しは伊東純也です。
これを機に伊東純也を応援していきたいと思います。
次は、いつもヘニョヘニョしてるかずまです
こんにちは
2年漕手の丹羽健太です。
いやー熱いですね!!
ワールドカップ
サッカー界の王者スペインに逆転勝ち。
本当にすごいです。
ワールドカップ観ているとサッカーのワクワクとか、楽しさとかすごく思い出します。
サッカー始めた頃のような、2010年のワールドカップ観ていた時に感じていたような、キラキラとした気持ちになります。
今回は今まで皆さんに話してこなかった、サッカー時代の僕について振り返って書こうと思います。
先に言っておきます。
今回の日記、多分長いです。
承知の上で付き合ってくれる方はスクロールしてくれると嬉しいです。
では、私のサッカー時代について少し書いていきたいと思います。
正直恥ずかしいです。
書きたくないです。
僕のサッカー人生は多分みんなが思っているほど綺麗で輝かしいストーリーじゃないんです。
みんなが思っているほど凄いことは何もしていないし、辛いことの方が多かったです。
ですが、ワールドカップ観ていたら書きたくなっちゃいました。
今だから書けるのかもしれません。
しばしお付き合いください。
僕がサッカーを始めたのは2010年の9月。当時小学2年生でした。
ちょうどその時、2010年のF I F Aワールドカップ南アフリカ大会がありました。
何に心を動かされたかというと、本田圭佑選手のフリーキックです。
覚えている方もいると思います。
デンマーク戦の先制ゴール。
あの試合を観て初めて、サッカーしたいって本気で思いました。
今までたくさんスポーツ番組を観てきましたが、こんな気持ちになった事はなかったです。
2010年のワールドカップはD V Dも3、4枚買って何度も何度も見回していました。
それほど熱中していて、すごく楽しくて、観終わってすぐボール持って家飛び出してっていうのを繰り返していました。
双子の弟の悠太をサッカーに誘ったのも僕からでした。
サッカーのチームに入りたいって親に言ったのも僕からです。悠太と共に同じチームに入りました。
その時の将来の夢はプロのサッカー選手になること。サッカーの日本代表になる事でした。
目指していた選手は長友佑都選手。
同じ左利きであり、ポジションも左サイドバックで同じでした。
彼は自分と同じく周りと比べて背が大きいわけではないですが、フィジカルが強くて、タフで誰よりも努力しているかっこいい選手でした。
放課後はランドセルを置いてすぐに走って公園へ行き、19時過ぎまで泥だらけになりながら悠太と友達とサッカーしていました。
周りからはサッカーバカと言われるほどずっとボール蹴って走っていました。
でも現実ってそんな甘くないです。
試合にはなかなか出ることができませんでした。
小学3年生になった頃から、悠太と何かと比較されるのがコンプレックスでもありました。
双子なのでしょうがないですね。
周りから比較されることは辛かったですが僕にとって一番の練習相手であり、最大の良きライバルでした。
悠太はリフティングも上手くて、試合にも出ていました。
リフティングが100回できるようになったのも、悠太が達成してから3、4ヶ月経ってからでした。
で、小学3年冬に初めて挫折というか、サッカーの現実を見ました。
公式戦で僕だけベンチだったんです。
その日は休みの選手も多く、全体の人数が12人だったので、ベンチに残るのは一人だけだったんです。
その一人は僕でした。
辛かったです。初めてこんな気持ちを経験しました。
今でもその試合のことは鮮明に覚えています。
どんな感じで点が入ったのか、どんな感じで点取られたのか。覚えています。
目を凝らしてベンチから見ていました。
結果敗退してしまったため、その年に公式戦出場はありませんでした。
その後の試合でも、メンバー発表で最初に自分の名前を呼ばれることはほとんど無く、自分でもそこまで期待しなくなっていました。
小学4年生になり、コーチが変わると、よくランメニューが入るようになりました。
多摩川の河川敷6キロとか、グラウンドの周り12周とか。
すると父が、「ランは絶対負けるな」って言いました。
「ランは気持ちで勝てるから。手を抜くな。」って。
一人早い奴がいたんです。
そいつを抜かすのを目標に頑張っていました。
なんとかチームでも1位2位を争えるようになりました。
ちなみに、争っていたのは気がつけばいつも双子の弟、悠太になっていました。
相乗効果ってすごいですね。特に双子だと。
めちゃくちゃきついけど本当に速くなりました。お互い。
ランでは負けたくなかったです。
多分その時は負けてないです。(今は多分悠太の方が速いです。)
そんな感じで小学時代のサッカー生活が終わりました。
中学生になってからは、またも悠太と同じ、三鷹にあるジュニアユースに入ることになりました。
試合には出られませんでした。
正直レベルが高かったです。
言い訳ですね。
今思えば「試合に出るための努力」が足りなかったです。
気持ちも。
でも、サッカーは楽しかったです。
連携がうまくいった時、ディフェンスで相手を止められた時とか、プレーにも色々なパターンがあり奥が深いので楽しかったです。
また同じスポーツをやっている友達と毎日練習したり、そのコミュニティにいることがサッカーの技術面以外にも本当に自分を成長させてくれたと思います。
やめようとは一度も思いませんでした。
何より両親は本気で僕を応援してくれました。
どれだけ朝早くても、どれだけ遠くても、毎試合観に来てくれました。
今振り返ると、当時の僕にとって、サッカーを続けるやりがいはそこにあったのかもしれません。
高校はサッカーで決めました。
都立高校で文武両道のサッカーの名門校、都立駒場。
みんな個のテクニックがあり、上手でした。
僕は持ち味の持久力でしか勝負できませんでした。
父から「ランでは負けるな」って言われた小学4年生のあの日から、自分の武器が持久力になったのは確かです。
サッカー人生10年間を振り返ってみると正直スターティングメンバーとして試合に出られた数は本当に少ないです。でもサッカーをしてきた環境や出会った人はとても良かったです。
辛い経験、悔しい経験の方が多かったです。
いつしかテレビのサッカーの試合さえ観るのが嫌になっていました。
辞めたくはなかったけど、上手くいかない現実から逃げていました。
試合を観ていても2010年のワールドカップを見ていた時のようなワクワクした気持ちは一切ありませんでした。
気持ちでは頑張っていました。
高校では練習後に自主練したり、朝走り早く終わらせてボール蹴ったり。
でもメンバーとしてピッチに出る為の頑張り方は結局分かりませんでした。
だから、大学生では競技から離れることにしました。
結果とか頑張りが全て数字に出る競技が良かったんです。
学生生活で何か一つでも結果残したくて。
それは自分のためにも応援してくれている周りの人のためにも。
悔しい経験だけで自分の学生生活を終わらせたくないから、この世界に飛び込んできました。
って感じです笑
そんな気持ちで今やっています。
(すみません長くて、、)
僕のサッカー人生ってそんなに輝かしいストーリーではないんです。
だからボートで頑張ってます。
ボートも奥が深くて本当に楽しいです。
どハマりしてます。
今年のF I FAワールドカップカタール大会。
すっごく楽しいです。熱中できています。やっぱりサッカーは面白い。
心の底から見ていて楽しいです。
2010年に感じたワクワク感を久しぶりに味わっています。
何より、長友選手が出ていることが嬉しい。
僕の目標であった長友佑都選手は今大会で4度目の出場になります。僕のサッカー人生が始める前から終わった後まで日本を背負って戦っています。カッコ良すぎる。
ついに明日は決勝トーナメント戦。
2010年進むことができなかったベスト8まで、いや、いけるとこまで勝ち進んで欲しいです。
そして、僕が2010年に感じたような希望を多くの人に与えて、サッカーに関わる人が少しでも増えてほしいです。
みんなで応援しましょう。
長め日記最後まで読んでいただきありがとうございました。
以上です!
次回は、
僕にとって、エルゴ頑張ろうって思える原動力的存在の一人である山田雄恒くんです
お楽しみに〜!