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ゆうこわんこの妊活ふりかえり日記⑥~ちょっとは成長した!?不妊治療2年目~

2023年03月19日 | 育児・妊娠出産・家事

こんにちは、ゆうこです

 

絶対に無理と思っていた級外になることが、いきなり決まって始まった不妊治療2年目・・・。

級外になってみて、担任の先生方をうらやましく思ってしまうのかな?クラスがないことをさみしく思うかな?と思っていたのですが

実際はそんなことは全くなく

むしろ肩の上にずっしりとのっていた重りがすっかり消えたように、身も心も軽くなりました。

 

 

そして、1年目の失敗を生かし、自分ががんばれば!という考えを捨て、妊活中だということを公表して周りを頼るようにしました。

特にやっておいてよかったと思ったのが、時間割を組む主幹の先生に事情を話し、病院に通いやすいように5、6時間目の授業をできるだけ入れないようにしてもらったことでした。

 

 

私は1~6の全学年と特別支援学級2つの授業を受け持つことになっていたものの、主幹に相談できたことで週2日は午後に何もない日を設けてもらうことができたので、その時間を通院に充てることができました。

その時間は最初から授業がないので、補欠に入ってもらう先生の手配や、自習のプリント作りをする必要が全くない

 

 

担任の時のように学校を抜けるための準備に苦労し、通院が終わってからも戻って仕事をしなければならないということが一切なかったのがありがたかったです。

(不妊治療中は、周りに事情を話さず極秘にしている方もいるかもしれませんが、私は自分がやってみてオープンにしておいた方が絶対に楽だ、と思いました。)

 

 

 

そして、2年目に心がけたのは、とにかくストレスをためないこと

私の場合は、「できません」が言えなくて仕事をうけてしまい、結局無理してやり遂げる、というのが心身ともにものすごくストレスになっているのがわかっていました。

(原因は見通しの甘さと、自分への過信、できない人と思われたくないプライド等)

 

 

でも、不妊治療中ですと公表してからは、そもそも無茶な仕事を振られることはなくなりました。

たまに、それはちょっと甘えすぎじゃないですか??というぐらいいろいろ頼んでくる人もいましたが、反省を生かしてにっこり断るようにすると、自分でやってくれるようになりました。

よく、「仕事ができる人のところに仕事が回ってくるんだよ」と聞くのですが、断ることをしないと、永遠に回ってくるんだなと思います。

 

 

 

ストレスといえば、病院に通う(毎回採血がある)ことも地味にストレスだったので、2つのことを決めました

1,病院の後は絶対学校に戻らない。

2,病院が終わったら、お気に入りのカフェによってのんびり過ごす。

 

おかげで、自分の中で「通院の日は、病院に行くけど半日お休みできる日。休憩の日」という位置づけになって、ぐっと気が楽になりました。カフェで晩御飯まで食べてしまって、帰ったらゆっくり休めるというようにしたのもよかったです。

 

 

 

そんなふうに自分なりに工夫しながら、万全を期して臨んだ8月の3回目の移植

結果は・・・・

 

 

 

 

 

NGでした

 

 

この時、ずっと不妊治療をしていたいとこのお嫁さんが妊娠したということと、大好きな祖母が急死する

ということが重なり、なんで私はダメなんだろう、と心がぽっきり折れてしまいました

 

 

 

続く

 

 

 

 

 

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ゆうこわんこの妊活ふりかえり日記⑤~不妊治療2年目に向けての作戦~

2023年03月19日 | 育児・妊娠出産・家事

こんにちは、ゆうこです

続きです。

 

1月の移植を見送ることに決めた12月の年末、10年ぶりにインフルエンザになり高熱で寝込みました

年末に帰省した時母からもらってしまったのですが、同じ部屋で過ごしていた祖母、父ともうつっていないので、それだけ今までの治療で体にダメージがきていたのだと思いました。

 

 

本当は2月に移植しようと思っていたものの、こんなに弱っている自分の体で、妊娠できるわけがないと思い、2月は採卵だけして移植は来年度に回すことにしました。(移植NGが続いていたので、次だめだったらどうしよう、と怖くなっていた気持ちもありました。)

同時に、

「このままの生活を続けていくら不妊治療しても、結果が出るわけない。担任を下ろしてもらおう。」

と初めて思いました。

 

 

自分の中では、以前どれだけ意欲があっても、正規の職員でなければ責任ある仕事は任せてもらえない、悔しい!という思いを痛感していたので、学級担任をもってこその小学校教諭、という思いがありました。実際、今までどんなに大変なことがあってもやり遂げてきた、という自負もあり、学級担任を降りる=仕事をやめるくらいの気持ちでした。

 

でも!もう背に腹は代えられない!

 

実際この状態を続けるのは時間の無駄だとわかっていました。

自分の治療をしながら、学級担任としてクラスを運営していくのは、いろいろなことを並行して器用にこなせない私にとって至難の業。常にいっぱいいっぱいで、ストレスがかかっていたなあ、と今ならわかります。

 

 

また、不妊治療はお金もものすごくかかります幸い私の住んでいる自治体では42歳までに治療を始めれば、その後何歳まででも6回分の補助が出るという規定があったので、6回分の補助が出るうちは続けようと思っていました。

でも、1年ですでに4回も補助を使ってしまい、残るはあと2回のみ。

その2回分の補助が出るうちに、なんとか結果を出したい、という思いがありました。

 

 

そして、意を決して校長先生に直談判に行きました。

返ってきた答えは・・・

「治療を頑張っているのは知っているし、今年あなたにはものすごく無理させてしまったから級外にしてあげたい気持ちはある。

でも、人手が足りないんです。だから、来年も3年生を担任して下さい。

 

 

 

仕事をやめるぐらいの意気込みで話に行ったのに、それは無理、と言われて

拍子抜けしたような、ほっとしたような、変な気持ちでした。

 

 

 

そうこうしているうちに2月の採卵が終わり、その時の結果が

受精卵4個中胚盤胞3個

胚盤胞のグレードも、なんと過去一番状態がよかった

 

振り返ってみると、

・裕美ちゃんの栄養分析を受けて食事の改善を半年近く続けていた

・妊活に特化した鍼治療とよもぎ蒸しを毎月受けるようになった

・年末のインフルエンザの高熱で、細胞が危機感をもって活発になった?

・12~2月は大きな学校行事もなく、ゆったりすごせた

・毎年夏に比べて、冬は1~2キロ太る=冬の方が体が元気

 

これらのことが組み合わさって、今回の結果になったのかな、と思いますが

もしかしたら、自分の中で心の底から仕事妊活と腹をくくれたのが一番効いたのかもしれない、と思いました。

 

 

 

 

来年度も担任なのは、しょうがない。

でも、今年みたく周りに悪いからと思って、たとえ校内の仕事でも引き受けるのはもうやめよう。

がんばればできるからがんばろう、じゃなくて

出来ません、私の今の状態では難しいですって、はっきり言おう。

今年みたいな働き方は、絶対もうしない

 

 

 

そう心に決めて、新年度準備をしていた時

担任発表の1日前に校長から呼び出しがありました。

「講師で担任を持ちたいっていう子が、たった今応募してきたので、あなたを級外に回します。」

 

びっくり

 

続きます

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ゆうこわんこの妊活ふりかえり日記④~やってみて初めて分かった不妊治療の大変さ~

2023年03月19日 | 育児・妊娠出産・家事

こんにちは、ゆうこです

ずっと間があいてしまいましたが、妊娠振り返り記事の続きです。

前回までの記事はこちら

 

ゆうこわんこの妊活振り返り日記③~自分の心が不妊治療を受け入れるまで~

ゆうこわんこの妊娠振り返り日記②~仕事漬け毎日のレールを降りたきっかけ~

ゆうこわんこの妊活振り返り日記①~妊娠が嫌だった新婚時代~

ゆうこわんこの 妊活振り返り日記 ⓪

 

 

35歳くらいから、冷え取りなどに取り組んで体には気を使っていましたが、私が病院に通っていた期間は40~42歳まででした。

 

知らないって怖い・・・と思うのですが、不妊治療を始めた当時は

「医療の力で妊娠の手助けをするんだから、自分の体に問題がなければ100パーセント妊娠するでしょう!」

と、根拠のない自信がありました。

治療1回目ですぐ妊娠して、今年度中にお休みに入っちゃうかも。クラスの子を最後まで見られないのが残念だなあ。なんて思っていたのです。

いや~~、無知って恐ろしい

 

 

今なら、

「このおバカ~~ そんなに簡単なもんじゃないんだよ 

もっと真剣に、慎重になりなさ~~い

と過去の自分に活を入れてやりたい気持ちでいっぱいです

でも、その時の自分は治療に取り組む新しい道に踏み出してるという思いで、気持ちだけはとってもすがすがしく、前向きでした。

(その後、いろんな辛さを味わうとも知らずに・・・・

 

 

 

そんなふうに体外受精の難しさを本当にはわかっていなかった自分は、(大きな異動の話を断った手前、学校内の人事で迷惑をかけないように、

できることなんでもやろう!大きな役を外してもらったんだし、迷惑かけないようにしなきゃ!)と、思っていました。

そういう気持ちもあり、いつもの悪い癖で校内や学年での大きな仕事を、

「お願い!できるよね!」と言われるままに引き受けてしまいました。(←これが大きな間違いのもとでした

 

 

 

4,5月は始業式、クラス開き、各種検診、家庭訪問、春の遠足、運動会、と行事が目白押しなので、5月の運動会後に治療を始めました。

体外受精は大まかに

採卵→培養→移植→着床判定という流れです。

最初に説明を聞いた時には(検査の結果が問題なかったこともあり。)

「痛い思いをする採卵と移植を頑張れば、妊娠できるんだな。まあ、がんばるか。」

ぐらいにしか思っていませんでした

 

 

 

でも、治療が始まってすぐに

「これは、不妊治療なめてた思っていた以上に大変だ・・・と痛感しました。

 

 

 

まず、採卵するためには、卵子を育ててたくさん取らなきゃいけないということで、

毎日間違えないように薬を飲み続けなければなりません。

かつ、私の通ったところは注射は必ず病院で受けなければならなかったので、2日に1回病院に行かねばならず、採卵までの1か月間はてんてこ舞いになりました。

1年目の治療はこんな感じです。

 

6 月 採卵(受精卵7個中胚盤胞1個)

9 月 移植→NG

10月 採卵(受精卵2個中胚盤胞1個)

11月 移植→NG

12月 採卵(受精卵3個中胚盤胞1個)

 

 

まず、6月の初めての採卵で受精卵は7個もあるのに、移植に使える胚盤胞まで育ったのがたった1個ということにびっくりしました。

採卵=とった卵が全部使えるわけじゃないということを初めて知りました。

 

そして、最初の移植がNGだった後、病院の先生に言われるまま急かされるように(実際急かされていました)採卵・移植を繰り返しましたが、

今思うとこれはよくなかったな、と思います。

 

 

 

採卵も移植も人によっては痛みがほとんどないといいますが、私は(採卵は麻酔ありだったにしても)とても痛かったです。

手術の後は1日ずっと寝て、体力を回復させていましたが、毎回ヘロヘロでした。

いくら1日でも早い方がいい、といわれても、忙しい担任業務をこなしながらの病院通いで普段よりさらに忙しい毎日を過ごしているのに、こんな日常で本当に妊娠できるのかなと心の底ではうっすら思っていた気がします。

(実際3時から早退して病院に行った日は、5時過ぎに学校に戻り、8時近くまで残った仕事を片付ける、という日々でした。

 

 

でも、そんな自分の声を無視して、(私は不妊治療を頑張っている!こんなに病院にも行ってるんだし!)と間違った方向に突っ走っていました。(今振り返ると、ここでは業務量を減らすということを一番にやらなきゃいけなかったと思います。)

 

 

でも、12月の採卵で、受精卵3個のうち胚盤胞が1つしか育たなかったとき、さすがに危機感を覚えました。

 

(お医者さんに言われるがままに毎月移植と採卵繰り返してきたけど、私の体がもう無理!って言ってる・・・・)

 

 

看護師さんには「受精卵自体が1個も取れない人もいるんですよ。3個も取れてるんだから、すごいです!それに毎回胚盤胞までちゃんと育っているんだから、大丈夫です。」と言われていましたが、

1月の移植は見送りにしました。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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