こんにちは、ゆうこです
妊活ブログ、最後です。
最後の1回と決めて臨んだ2月の移植が、まさかの中止
2月の移植にかけていた分、これにはさすがに落ち込みました。
が、ここで救世主が登場したのです。
それは、このブログでもおなじみの裕美ちゃんでした。
たまたま何かの用事で電話した折、移植の中止の話をすると
「薬の飲みまちがいって、今まで1回もなかったことが今回初めてあったんでしょ?それは、きっと今回はうまくいくっていうしるしなんだと思うよ。3月に移植するのはだめなの?」と言われました。
実は病院からも、「2月は中止だけれど、いまからすぐ準備すれば、3月の最終週に移植できますよ。」とは言われてはいました。ただ、3月4月は人事異動や新年度準備ですごく忙しいので、最初から自分の中で「そこではできない」と思い込んでいて断っていたのです。
裕美ちゃんからの一言で、自分の中でも「あれ??私が無理って決めつけているだけで、病院はできるって言ってるし、だれもダメって言ってないよな?」と気づきました。
ふりかえってみると、今まで自分が移植をするように設定した時期は、全部学校の行事が終わった後とか、学校の業務に支障がない時期を選んでいました。自分の体、自分の都合ではなくて、まず学校。
まずい、私、また同じことやろうとしてた
仕事より治療を優先するって決めたんじゃん
それに、3月ならギリギリ今年度中に移植できる(エミイさんも今年度中に2回っていっていた
)
それからすぐに病院に連絡して、3月移植の予約をしたところ、3月26日に移植を受けられることになりました。
そして結果は・・・・・。
初めての陽性判定が出て、無事着床することができました
3月に移植を回したことが結果的に妊娠につながったな、と思うのは
・12月から始めた栄養療法を丸々3か月以上続けることができた→栄養満タンの体の準備ができていた
・大きな行事のない12~2月で、十分体を休ませることができた。(今までのように大きな行事が終わった後だと、疲れ切ったり、十分回復できないまま移植に臨んでいた。)
・冬場に体重が3キロ増えた(やせてしまう夏より、体は元気)
という点です。
仕事の面では、希望していないのにいきなり転勤辞令が出て他の学校に移らなければならなかったり、新しい学校で副主任のポジションで学年を組まれていたりと大変な面はありましたが、校長先生に妊娠を申し出て編成を変えてもらうことができました。また、新しい学校は家から車で5分と、前よりも通勤時間がかなり短くなったので、つわりが始まってつらい時期に通勤が短くて助かりました。
これで、私の妊活シリーズは終わりです。
振り返ってみると、私、どれだけ仕事優先の奴隷根性だったのと情けなくもあります
が、よくがんばっていたなあ、と自分が愛おしくも思えます。
今回の2年間の不妊治療ブログを書くことを通して、私は今まで仕事と自分の生活のバランスの比率がいかに偏っていたかを実感しました
しかも、無意識レベルで刷り込まれているので、苦しかったりうまくいかなかったりしても、なかなかそこから抜け出せない
もしかしたら自分自身に向き合うことよりも、仕事を頑張るほうが楽だと思っていたのかもしれません。(人から感謝されるし、お金は稼げるし)
でも、そういう自分からはもう卒業だな、と思います。
子どもと一緒に、本当に幸せ~と日々感じながら生きていきたい。
そうするためにはどうしたらいいか?
私の中のたくさんの思い込みを捨て、取捨選択しながら日々を過ごしていこうと思います。
今育休中ですが、そのためにも復帰の時期や、どういう形で復帰するのかについてもしっかり考えたいと思います。
私の妊活振り返り日記が、どなたかの参考や励みになれば、幸いです
今妊活をがんばっている人へ
明けない夜はないそして、夜明け前が一番暗いです。
でも、一生懸命努力していると、奇跡は起こります。
辛いときは、深呼吸して自然の中に出かけてみてください。
きっと自然が、あなた本来のパワーを取り戻させてくれると思います。