ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

逆効果、では

2009-07-08 22:57:50 | Weblog
都議選は、やたらと気合いが入っているようだ。

先日、我が家にも、ある政党の候補者の事務所から電話がかかってきた。
とても丁寧なおじさんの声で、私の名前を確認され、名乗られた。

「あの、うちの電話番号は電話帳に載せていないんです。
○○党さんに、個人情報をお渡しした記憶もないのですが、
どうしてうちの電話番号をご存知なのでしょう」と、
昼寝を邪魔され、かなり不機嫌だった私は訊ねた。

すると、「私はバイトなので、よくわかりません」と
人のよさそうなおじさんは素直に答えた。

素直すぎるっちゅうの!
「バイトだからわかりません」は、「新入社員なんでわかりません」と同じように、
やってはいけない電話応対として、マニュアルに載っているじゃない。
再選をねらっている候補者の事務所なら、そのくらい準備しててよ!と言いたくなった。

それとも急遽、電話攻撃を始めたために、バイト教育が追いついていないのか。
とはいえ、あの声の年齢のおじさんなら、平日はふつうの会社で
きっと立派な会社員をやっているのだろうから、
そのくらいは、ちゃんと機転をきかせて対応してほしいところだった。

そう、私はその日、本当にうつくしい昼寝をむさぼっていたところだったので、
邪魔されて、気が立っていたのだ。

名簿を手に入れる方法がいくらでもあることくらいは知っている。
だから、個人情報を入手したことは、何とも思っていない。実は。

そもそも、バイトを使って名前を売るためだけの電話をかけてこられたって、
その候補者の政策について詳しく質問できるわけでもないし、
私の場合、かえってイメージダウンとなる。
本当は、票を入れようかと思っていた政党の人だったけれど、
もう、ぜったい票は入れない、と思った。

電話攻撃は、本当に逆効果だと思う。
無差別テロそのものだ。

それよりも、ちゃんと候補者の主張なり党の政策なりを、
わかりやすくまとめてくれたパンフレットをくれるほうが助かる。
ちゃんと読むよ。活字好きだし。
電話攻撃をするお金があるなら、もっとやれることはあるだろう。

さて、どこに票を入れようか。

本能的な苦痛

2009-07-08 01:10:16 | Weblog
今日、友人と話していて、なんだか明確になったことがある。
それは、私にとっての本能的な苦痛について。

基本的に、男性はM、女性はSだと思う。
でも、男性にとって、最上級の快楽は、パワハラにあると思う。
それは、ある意味、Mの裏返しだ。

実際の行為に及ぶかどうかは問題ではない。
だれか女性、だれか他人の生殺与奪権を握っているような錯覚におちいること。
それは、ドMの裏返しとなった、究極の快楽なのではないかと思った。

これまでの十数年の社会人経験において、
「これはゆるせないぞ~」と思った経験を自分なりに分析してみると、
以下の一点に集中している。

それは、
「対象は君でなくてもいいんだよね」というスタンスのもとに行われる
身体的なタッチや、精神的な圧力だ。
そして、それに対し、快・不快という点は別として、
いやおうがなく応答責任を感じてしまうこと。これが苦痛だ。

「君にどうしても性的な欲望を感じる」と言われるのであれば、
どれだけ精神的に楽だろう。
欲望を感じられた段階で、精神的にはSの立場に立てるのだ。

でも、対象が誰でもよくて、
ある意味、自足的な欲望の対象として見られることほど、苦痛なことはない。
しかもそれが、周囲の、既知の人物からであれば、この苦痛は最高点に達する。

このひとつの形態が、パワハラだ。
というか、社会的な地位の格差という構造において、
男性には、はじめてこの種の快楽が可能になる。

そんな気がした。

う~ん。いろいろな人の顔が思い浮かぶけど、
基本的に人間は、ダダをこねたいものなのだろうし、
まあ、うまく自分なりの距離を保つほかないんだよな。

父と生前、快楽の話をした。

それは、究極の快楽は、他人に求め、与えてもらえると依存するものではなく、
自分のなかにあるものであり、自分の心や感性に求めるものであるということ。

深いのか、なんなのか、よくわからないけど、
でもバタイユの『眼球譚』の流れで語られたあの話は、
これからの人生で、折に触れて問い直すべき価値はあると思っている。