ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

感覚的な理由

2009-07-11 12:36:31 | Weblog
20年ほど前に、母が株をやっていた。

ずっと放置していて、存在すら忘れていた。
さきほど証券会社の人から電話がかかってきて、
何年かぶりにその存在を思い出した。

かなり金額は減ったのだと思うけれど、
そもそもいくらあったのかすら覚えていない。
というか、きっと最初から知らなかったのだろう。
まったく思い入れがないし、今後も興味をもつことはないと思う。

できれば解約したいから用紙を送ってください、と言ったら、
店頭まで来てください。そのほうが早いので、と言われた。
でも、平日しか店頭はやっていないから、まず行けない。
また当分、放置することにした。
まあ、解約に対して、そんなに親切ではないだろう。

私は理性的な判断というのが苦手で、
どちらかというと、直感というか、その日の気分で判断する。
常に感覚的な理由が優先する。

つまり、今日は、これから休日出勤だし、
そもそも「ないもの」と思っていたお金について、
あれこれ話すだけの気分的な余裕がないというわけだ。

先日から、ずっと「合理的な理由」って、どんなものだろう。
果たして、私という「個人」に完結するかたちで、
「合理的な理由」なんてものが見つかるのだろうかと考えていた。

昨晩おそくあたりに、合理的な理由なり判断なんて、私には無理だ。
そもそも客観性ないし。
と、思いいたったので、当分は感覚的理由を優先することにした。

頭と心、理性と感情は、どちらかが優位で、どちらかが低いわけではない。
感情に左右され、それをそのまま出してしまう人は、
その波で他人をビックリさせてしまうことはあるけれど、
だからといって、それが間違っているわけではない。
顰蹙をかうかどうか、という点だけの違いだ。

そろそろ歳をとってきて、むかしみたいな体力もないことだし、
つまり、体がだまされてくれることもなくなってきたわけなので、
もう一度ここらで、体がいう声を聞いて、
心身のバランスをシフトしていきたいと思うようになった。