岩田靖夫著、岩波書房刊
存在への問い。
西洋哲学は、人間に対する、素晴らしいアプローチのひとつだと思う。
自由を倫理という側面からとらえる。
愛によって充足する。
他者への応答。
自分の肉体と不可分な主観。
そして、認識に対する考察が深まる。
こういった本を休日に読むと、即、仕事を辞めたくなる。
他者という鏡なくして、自分はない。
だから、世間の目を気にする。
仕事で求められている役回りに徹しようとする。
そもそも、収入がなくては食事もできないし、生物的に生きてはゆけないとも思う。
でも、自分が代替不可能な存在だと信じたい。
結婚もせず、子どももいない。
生存の根底から突きつけられる「立場」を持たない。
そんな人間が、本当に、自分を代替不可能な存在だと信じられるのだろうか。
もし、信じられるとしたら、それはどこにあるのか。
これはすでに、哲学の領域を越えた問いのような気がする。
自分でも、本を読んでいて、求めているのは哲学ではなく、
ある種の宗教ではないかと感じることがある。
いっそ、新興宗教でもはじめてみるか。
そんな発想は、ニヒルな笑いにしかならない。
私は自分なりの「神学」というか「宗教」を持っていると思うけど、
それを既存の宗教はおろか、新しく団体をつくって、
他人と集い、共有した気分になることは、たぶん生理的にできない。
それほどまでに執着する、私という個。
ふだん、うまく自分をごまかしているのに、
ふと時間ができた週末に、ゾンビのように出てくる自分。
私にとって、仕事は収入のためだけのものではない。
でも、本当に自分のために仕事をしているのか。
そして、自分なんかのためだけに頑張れるのか、と思う。
共存って、なんだ。
日曜日も一人で引きこもる。
願わくば、上の家の子どもが静かで、思索の時間がとれますように。
存在への問い。
西洋哲学は、人間に対する、素晴らしいアプローチのひとつだと思う。
自由を倫理という側面からとらえる。
愛によって充足する。
他者への応答。
自分の肉体と不可分な主観。
そして、認識に対する考察が深まる。
こういった本を休日に読むと、即、仕事を辞めたくなる。
他者という鏡なくして、自分はない。
だから、世間の目を気にする。
仕事で求められている役回りに徹しようとする。
そもそも、収入がなくては食事もできないし、生物的に生きてはゆけないとも思う。
でも、自分が代替不可能な存在だと信じたい。
結婚もせず、子どももいない。
生存の根底から突きつけられる「立場」を持たない。
そんな人間が、本当に、自分を代替不可能な存在だと信じられるのだろうか。
もし、信じられるとしたら、それはどこにあるのか。
これはすでに、哲学の領域を越えた問いのような気がする。
自分でも、本を読んでいて、求めているのは哲学ではなく、
ある種の宗教ではないかと感じることがある。
いっそ、新興宗教でもはじめてみるか。
そんな発想は、ニヒルな笑いにしかならない。
私は自分なりの「神学」というか「宗教」を持っていると思うけど、
それを既存の宗教はおろか、新しく団体をつくって、
他人と集い、共有した気分になることは、たぶん生理的にできない。
それほどまでに執着する、私という個。
ふだん、うまく自分をごまかしているのに、
ふと時間ができた週末に、ゾンビのように出てくる自分。
私にとって、仕事は収入のためだけのものではない。
でも、本当に自分のために仕事をしているのか。
そして、自分なんかのためだけに頑張れるのか、と思う。
共存って、なんだ。
日曜日も一人で引きこもる。
願わくば、上の家の子どもが静かで、思索の時間がとれますように。