「チベットみたいなところ」という言葉を聞いて、
まず私が思い浮かべるのは、「ああ、高山だから空気が薄いんだ」ということ。
これは、私がチベットに行った時、酸素が薄くてつらかった実体験に基づく。
少し前に、「モンゴルみたいなところ」という言葉を聞いた。
そのときに私が思い浮かべたのは、
「360度草原で、少し心細くなっちゃうところ、ってことか」だった。
これも私の実体験による。
実際に現地を訪れた私の言葉であっても、
やはり、チベットやモンゴルの一面を切り取った言葉にすぎない。
だから、比喩として使った人にその含意を聞くと、いろいろなイメージが出て来る。
その想像力は、なかなかおもしろい。
ただ、ほとんどの人は、チベットとモンゴルともに、
産業がなくて牧歌的なところ、もしくは、陸の孤島という意味で使っているようだった。
人それぞれ、いろいろな感じ方があるのだなあ、と思う。
特に「チベットにたとえるなんて、失礼だ」という反論の意見は、何とも言えない。
チベットの人たちは、中国の一員でありながらも、
自分たちの独自の文化を守るために一生懸命たたかっている。
山陰地方の人だって、土地の文化を守ろうとしているだろう。
一人の人間として生きて行く以上、心のよりどころとなる文化や土地への愛着は、
誰にだってあるものだし、他人も敬意をはらうべきものだと思う。
こういう比喩は、「お前のかあちゃんでべそ」に近いと思うので、
私は気をつけたいと思う。
まず私が思い浮かべるのは、「ああ、高山だから空気が薄いんだ」ということ。
これは、私がチベットに行った時、酸素が薄くてつらかった実体験に基づく。
少し前に、「モンゴルみたいなところ」という言葉を聞いた。
そのときに私が思い浮かべたのは、
「360度草原で、少し心細くなっちゃうところ、ってことか」だった。
これも私の実体験による。
実際に現地を訪れた私の言葉であっても、
やはり、チベットやモンゴルの一面を切り取った言葉にすぎない。
だから、比喩として使った人にその含意を聞くと、いろいろなイメージが出て来る。
その想像力は、なかなかおもしろい。
ただ、ほとんどの人は、チベットとモンゴルともに、
産業がなくて牧歌的なところ、もしくは、陸の孤島という意味で使っているようだった。
人それぞれ、いろいろな感じ方があるのだなあ、と思う。
特に「チベットにたとえるなんて、失礼だ」という反論の意見は、何とも言えない。
チベットの人たちは、中国の一員でありながらも、
自分たちの独自の文化を守るために一生懸命たたかっている。
山陰地方の人だって、土地の文化を守ろうとしているだろう。
一人の人間として生きて行く以上、心のよりどころとなる文化や土地への愛着は、
誰にだってあるものだし、他人も敬意をはらうべきものだと思う。
こういう比喩は、「お前のかあちゃんでべそ」に近いと思うので、
私は気をつけたいと思う。