ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

体罰

2013-01-27 19:28:56 | Weblog
最近日本では、悲しい出来事ともに「体罰」について様々な議論があるようで、
ニュースのトピックスを見るたびに、中学の部活のことを思い出す。

中学の部活では、毎日顧問の先生に殴られていた。
殴られない日があると、チームメートとお祝いするくらいに殴られた。
もちろん、毎日時間が止まって部活の時間が来なければいいと思っていたし、
自殺しようかと思ったこともあった。
チームメートも同じようなことを言っていた。

2年生のある日、あまりにもすごく殴られ最悪な気持ちになっていたら、
引退した3年生の先輩が「いまの辛さは絶対将来役に立つよ。
受験勉強は苦しいけど、殴られない分だけまだマシと思って頑張れるもん」と励ましてくれた。
これは顧問の先生もよく使った言い訳で、「将来の根性につながる」とよく言われた。

ただ、あまりにも体罰がひどかったので、親の間でも「引継」があり、
「なるべく交代で練習を見に行くこと。親がいると顧問も手加減するから」と
先輩の親から母も言われたらしい。

中学時代はいつも母と一緒にお風呂に入っていたので、
私の身体についた青あざをみて、ある日母が「お母さんから先生に言おうか?」と言った。
私は咄嗟に顧問からの報復をおそれ、こう答えた。
「まだ我慢できるから大丈夫。もっとひどく殴られている人いるし。
 それに、私にはお父さんがいないから、ちゃんと叱ってくれる男の大人がいるのはいいことだよ」と。

そしたら、母に「ごめんね。でも、そういう考え方できるって嬉しいよ」と言われた。
私の咄嗟の言い訳が母を傷つけたわけだ。
母は褒めてはくれたけど、悪いことを言っちゃったんだなと思い、
それから、部活が辛いと言いづらくなってしまった。

そして引退して、受験勉強があって、
いろいろと苦しいときに、中学時代の体罰の記憶が支えてくれるかと思ったんだけど、
見事なまでに、まったく思い出さなかった。

私の性格は、「いま辛いけど、過去と照らし合わせて頑張れる」と思うのではなく、
「これを乗り越えたら、何かをやる可能性が広がる」と思うほうだった。
ということで、将来にやりたいことが明確なほうが、頑張れた。

実際、部活で辛かったことを我慢できたときだって、
これを我慢してついていったら、次の試合に勝てるかもしれないと思ったからであって、
それよりももっと過去と比較して頑張っていたわけではない。
部活をやっていた当時だって、両親が離婚した辛さが、体罰を乗り越える支えにはなってくれず、
かえって母を傷つけたのと同じだ。

体罰には絶対的な立場の違いが必要で、
弱い立場の者は、永遠に負債を返し続けることを要求されることで成り立つ。
中学や高校の部活の試合なんて、ルールすれすれのケンカと同じなんだから、
同年代の対戦相手と本気で戦えることのほうがずっと重要だ。
ミスをしたら顧問から怒られるというので萎縮したら、それこそ意味がないし、
体罰をする先生ほど「おまえらはケンカもしたことがない」と変なことを言うものだ。

ただし、だからといって、ある特定の先生や学校だけを問題視するのは、おかしいと思う。
そうやって絶対的な立場の違いから「負債の返済を求める」のは、体罰と同じ構造に見える。