ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

旅行後

2013-08-07 00:59:11 | Weblog
週末、長春とハルピンに行き、
学生時代のことをいろいろと思い出していた。

そして、もう何年も会っていないし、
もう2年くらいメールもご無沙汰している友人のことが、
元気にやっているだろうかと、ふと気になった。

夜、残業中に個人のメールを見たら、その友人から連絡が入っている。
本当に何年かぶりに。久しぶりに電話でも話した。
そしてつい先ほど、ご家族の訃報が届いた。

8月6日は広島の原爆の日。
多くの人の死と、生き残った人の苦しみと、
そして、それでも人として生まれてきたことに感謝しながら、
平和を築く気持ちを新たにする日。

平和は、生まれながらにして与えられるものではなくて、
みなで知恵をしぼって、心を優しくして、汗を流して築くものだ。

でも本当に、中国の人たちと一緒に平和な未来を築けるのか、
仕事をしていると非常に自信がなくなることがある。
ただでさえ、両国間でお互いの印象は悪く、
日本人と中国人の間では、互いの違いばかりが目についてしまう。

中国人は手抜きをしたがる。
それが合理的な時もあれば、単なる手抜きの時もある。
要は手を抜く本人次第なのだけど、中国人全体に敷衍して考えたくなるし、
非常に腹が立つ。

そんな彼らとも、一発の原爆の下にいれば、同じように灰になるか、
後遺症に苦しむことになるし、
家族に病人がいれば心配だし、誰かが去ると悲しくなる。

どうしてこの同じ点を、
私があの友人に対して感じているような親しみの気持ちを、
中国人に対して広げて行くことができないのだろう。

私がいま生きているこの立ち位置は、満洲の光と影とまったく同じだ。
長春のように一生懸命に協力して1つの価値を築こうとしている。
でもその私の心は、同時に彼らを切り捨ててもいいと思っている。

お互い様なので、私だけが努力してもどうにもならないけど、
私は自分の心を見つめるときに、もう少し何とかなりたいと、やはり思う。

ハルピン

2013-08-07 00:06:15 | Weblog
日曜日は、7時54分長春西駅発→8時58分ハルピン西駅着で移動。
長春西駅はとても大きく、まだ使い切れていない感じだった。



高速鉄道のおかげで、約1時間でハルピンに到着。
ハルピン西駅は、上海の虹橋駅と同じくらいに立派だった。
そして、蘇州駅と同じくらい並んでタクシーに乗り、まずここへ。
731部隊の研究所跡地。



敷地に入ると、鳥肌が立って、なんとも恐ろしい気持ちがした。
ということで、これ以上の写真は載せないことにする。

日本語の音声ガイドを聞きながら展示品を見た。
展示品の内容は、きちんと整理されていて、とても客観的で、
よくまとめられていたと思う。

第一次大戦の頃より、ヨーロッパでは細菌や毒ガス兵器の使用が普通になっていたこと。
日本も、支那事変以降、多くのそうした兵器を用いたこと。
その際には日本国内で研究されていたものが多く投入され、そしてここでも研究が進められたこと。
ここでは多くの人体実験が行われ、中国人やモンゴル人、ソビエト人が犠牲になったし、
もちろん日本人の研究者の中にも犠牲になった人がいたこと。
戦後は、アメリカがそのデータをすべて持って行ったために、東京裁判では裁かれず隠蔽されたこと。
日本軍が敗走時に地中に埋めて行った兵器によって、いまでも犠牲になる人がいるということ。

長春が満洲の美しい面ならば、ここは満洲の闇そのものだ。

展示品の足かせの前で、中国人の女の子がピースをしながらニコニコ顔で写真を撮っていた。
そういうノリが一番似合わない場所だと思うし、それもけっこう恐ろしかった。
日本人に、原爆資料館の中で、ピースをしながら写真を撮る人がいるだろうか。

それに、敷地は非常に広く、731部隊の建物が残っている真ん中に、
敷地を分断するように新しいマンションがたち、人が住んでいた。
右を向いても、左を向いても、なにかが出そうだ。
どう考えても縁起が悪い土地だと思うのだけど、住む人がいるんだなあ。

寒気がし、頭が痛くなり、胃もむかむかしてきたところで、辞去した。
帰りに乗ったタクシーの運転手さんからは、「731に行って来たのか?」と聞かれたので、
「そうだよ。日本人もちゃんと学ばなければならない歴史だから」と言ったら、
「そうか。これは歴史か」と、半分自問するような答えが返って来た。

高校生のときに森村誠一の『悪魔の飽食』を読んでから、
一度は訪れようと思っていた731部隊の研究所跡地。
やはり、重かった。

さて、お腹もすいたので、ハルピン市内に戻り、ロシア料理を食べることにした。
タクシー運転手さんから勧められたのは、なんと長春でも勧められた「東方餃子王」だったのだけど、
二日連続はもったいないので、中央大街のロシア料理屋へ。
ガイドブックに載っていた老舗は、昼食の時間帯を過ぎていたので並べず、
ついでに「夕方また来い」と言う店員の態度が非常に悪かったので、
向かいの少し高級そうな店に入った。結果、正解。



平和な時代に感謝します。

ワインをたらふく飲み、ぶらぶらと街を散歩。
久しぶりに見た大きな氷。



長春が霞ヶ関なら、ハルピンは銀座だと思う。
中国人だらけだし。



もっと白人ぽい人がいると思ったんだけどなあ。



ロシア正教の前では、結婚式用の写真を撮っている中国人のカップル。



中には祭壇すらなかった。
きっと文革の時代に、すべて消えたのだろう。

次は瀋陽と旅順、そして大連に行きたいなあ。

帰りの飛行機は、19:20ハルピン太平国際空港発。のはずが、約1時間の遅れ。
上海に着いたのは、23時近かった。

帰りのタクシーの運転手さんが、
「まあ、1時間くらいの遅れなら、普通だね」と笑っていた。