この2週間ほど、週末の土日は、見事なまでに
一歩も部屋の外に出ていない。
仕事を持ち帰って来ているせいもあるのだけど、
それで決して寂しくないのは、読書の時間があるからだと思う。
仕事が忙しくても、土日に1冊は必ず読む。
先週は止まらなくなって3冊読んだけど、
さすがに今週はこれ以上読む時間も体力も残っていない。
左目が少し腫れているし、このあたりが限界だろう。
読んだのは、友人に借りた三浦しをんの『きみはポラリス』。
読んでいるうちに、すごく日本に帰りたくなった。
日本の家のにおいが思い出され、窓から差し込む太陽の光線と、
その中で刹那きらめく、小さな小さなほこりたち。
日曜日の午後の、虚脱したひととき。
私の幸せと、実現されなかったいまが、ふと胸に去来した。
あと約1ヶ月で、日本に一時帰国する。
備前焼のカップで、コーヒーが飲みたい。
床に座って、ボーッとテレビが見たい。
今年はしらすが不漁だということだけど、しらすご飯が食べたいな。
美味しい白米に乗せて。
でも、まだ止まれない。
ピラミッドも見に行ってないし、マチュピチュにも行ってない。
まだもう少し働いてお金を稼いで、いつか行きたい。
でも、心の中で、なんとなくだけど、
もう想像の世界で何回も行ったそうした場所は、
私の想像を凌駕することがないんじゃないかと恐れている。
お土産物屋さんがあって、私たち日本人はいいカモで、
ぜんぜん静かに物思いになんてひたらせてくれなくて、
砂漠は暑く、高山は空気がうすくて頭痛をもたらす。
そして私は、世界中のどこへ行っても、中国人に間違われて・・・。
小さい頃、母が『唐書』を白文で読んでいたとき、
漢文を読めることがカッコいいと思った。
小学2年生になったある日、
もうかなり漢字を覚えたと自信をつけた私は、
母に「私も漢文が読みたい」と言った。
母は私の目をジッと見つめ、「じゃあ」と小さく呟いて、一言書いてくれた。
「百聞不如一見」
「中国語は、日本語とは言葉の順序が違うのよ。だから、印をつけて読むの。
これは、百聞は、一見に、しかず、と読むのよ」と、返り点を打ちながら教えてくれた。
何回も聞いてわかったつもりになったことでも、
実際に見ると新しい発見があったり、本当の姿が見えるものだから、
必ず自分の目で見るようにしなさい。
そして「見る」ときには、ちゃんと心の目で見ることを大切にするのよ。
人間にとって一番大切なのは、心の目なの。
心の目が美しかったら、澄んでいたら、その人の外見も美しくなるものなのよ。
母は、何度も何度もこう言っていた。
私が本を読むのは、心の目をリセットするため。
偏見にまみれ、「こう見たい」と思うようにしか見えなくなる目を、
もう一度軌道修正するためだ。
そして、本を読み終わると、ものを書く人ってすごいなあと、改めて思う。
一歩も部屋の外に出ていない。
仕事を持ち帰って来ているせいもあるのだけど、
それで決して寂しくないのは、読書の時間があるからだと思う。
仕事が忙しくても、土日に1冊は必ず読む。
先週は止まらなくなって3冊読んだけど、
さすがに今週はこれ以上読む時間も体力も残っていない。
左目が少し腫れているし、このあたりが限界だろう。
読んだのは、友人に借りた三浦しをんの『きみはポラリス』。
読んでいるうちに、すごく日本に帰りたくなった。
日本の家のにおいが思い出され、窓から差し込む太陽の光線と、
その中で刹那きらめく、小さな小さなほこりたち。
日曜日の午後の、虚脱したひととき。
私の幸せと、実現されなかったいまが、ふと胸に去来した。
あと約1ヶ月で、日本に一時帰国する。
備前焼のカップで、コーヒーが飲みたい。
床に座って、ボーッとテレビが見たい。
今年はしらすが不漁だということだけど、しらすご飯が食べたいな。
美味しい白米に乗せて。
でも、まだ止まれない。
ピラミッドも見に行ってないし、マチュピチュにも行ってない。
まだもう少し働いてお金を稼いで、いつか行きたい。
でも、心の中で、なんとなくだけど、
もう想像の世界で何回も行ったそうした場所は、
私の想像を凌駕することがないんじゃないかと恐れている。
お土産物屋さんがあって、私たち日本人はいいカモで、
ぜんぜん静かに物思いになんてひたらせてくれなくて、
砂漠は暑く、高山は空気がうすくて頭痛をもたらす。
そして私は、世界中のどこへ行っても、中国人に間違われて・・・。
小さい頃、母が『唐書』を白文で読んでいたとき、
漢文を読めることがカッコいいと思った。
小学2年生になったある日、
もうかなり漢字を覚えたと自信をつけた私は、
母に「私も漢文が読みたい」と言った。
母は私の目をジッと見つめ、「じゃあ」と小さく呟いて、一言書いてくれた。
「百聞不如一見」
「中国語は、日本語とは言葉の順序が違うのよ。だから、印をつけて読むの。
これは、百聞は、一見に、しかず、と読むのよ」と、返り点を打ちながら教えてくれた。
何回も聞いてわかったつもりになったことでも、
実際に見ると新しい発見があったり、本当の姿が見えるものだから、
必ず自分の目で見るようにしなさい。
そして「見る」ときには、ちゃんと心の目で見ることを大切にするのよ。
人間にとって一番大切なのは、心の目なの。
心の目が美しかったら、澄んでいたら、その人の外見も美しくなるものなのよ。
母は、何度も何度もこう言っていた。
私が本を読むのは、心の目をリセットするため。
偏見にまみれ、「こう見たい」と思うようにしか見えなくなる目を、
もう一度軌道修正するためだ。
そして、本を読み終わると、ものを書く人ってすごいなあと、改めて思う。