ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

ありがとう

2013-08-17 18:35:26 | Weblog
お盆のころは、やはりいろいろな世界が繋がるのだろうか。
先日、友人のお母さんが亡くなり、昨日は親戚のおばあちゃんが亡くなった。
きっとたくさんの方にお迎えしてもらって、
さびしいことなく旅立ったんだろうと思う。

桜の下で死にたいと詠った人もいるけれど、
なんとなく、お盆もいい季節だと思う。

昨日亡くなった親戚のおばあちゃんは、血は繋がっていないけれど、
私のことを本当の孫のように思ってくれて、よく世話を焼いてくれた。

むかしは料理店をやっていたので、
父は仕事の仲間と一緒によく利用させてもらっていたし、
母は、週に1回、手伝いに行っていた。
戦後の混乱を生き抜き、女手ひとつで息子を育てた誇り。
そして、働く女性の、しかも人を動かす地位の人がもつ強さと心配りを、
なんとなく空気で教えてくれる人だった。

おかげで叔母はたいへんだったみたいだけど、
介護をよく頑張っていたし、逝った人も、遺された人も、
本当にお疲れさまでした、という気持ちでいっぱいだ。

私は上海にいるので、お葬式には行けないから、
電話で叔母に申し訳ないと伝えた上で、
国慶節のお休みで帰ったときに、お墓参りさせてもらうことにした。
羽田便じゃなくて、成田便にすればよかった。安いし・・・。

人が亡くなると、もっと話しておけばよかった、と思う。

少し話が変わるが、昨晩は、仕事関連の先輩たちと飲んでいて、
ある人が言っていた。
日本の技術力と競争力が落ちたのは、リストラを数だけで行い、
若返りという名のコスト削減を行って、
結果、優秀な人が韓国や台湾をはじめとする新興企業に流れたから、と。
日本の大企業は、最後は財務が強い。
なぜなら、財務は銀行との繋がりがあるから。
でも、メーカーにとって一番大切なのは、財務ではない、と。

そこで、私が不思議に思ったのは以下のこと。
ではなぜ、自分たちで、海外で会社を作らなかったのだろう、と。
彼らが大量にリストラされた10年前であれば、
中国をはじめとするローカル企業を実質的に乗っ取ることは可能だったはず。
なぜ、そういった冒険をしないで、一定の金額を提示してくれる外国の企業に流れ、
技術を伝えきった後に、そこからも追い出されるようなハメに陥るのだろうか。
確かに全員がそうではないだろうけど、話を聞く範囲では、かなりの人数が
そのような経験を強いられているような印象を受ける。

非常に日本人らしいと思う。

だからこそ、海外で頑張っている私たちの、彼らよりも若い日本人のもとに、
彼らは戻って来てくれるのだろうと思う。
日本人に技術と心を伝えるために。

国と日本人としての価値観が、ある人たちの人生を狂わせた。
それは、約70年前の日本でもあったことだし、
いまでも自殺者の数は、戦争の比にはならないとはいえ、相当な数だ。
でも、時はめぐり、日本が戦後の復興を果たしたように、
いま私は上海で、この人たちにめぐり会ったんだと思う。

昨晩、叔母から聞いた訃報のあと、
日本人のおじさんたちの話を聞きながら、
きっと、この人たちの子どもたちは、父親とこんな話をしたことがないだろう。
そう思った。
私は両親を比較的早くに亡くしたけれど、
父とも母とも、仕事や生きることについての話をよくした。
その経験が、いま、彼らと話す時の基本姿勢になっていると思う。

ありがとうは、こういう気持ちを伝えるための言葉なんだなあ。
中国語で「ありがとう」は「謝謝」だけど、
やっぱり「有難う」のほうがいい。