今日、中国人たちと一緒に、あることがらを考えていて、
ふと思ったことがある。
中国人は、よく話す。
が、話の内容はだいたい決まっている。
・おれはこうだ。
・おれはこう思う。
・おれってすごい。
で、他人のことを話すときには、基本上から目線で、
・あいつはあんなんだ。
・こんなどじをふんだ。
・まったくこんなだ。
と言った具合。
だから、お互いが当事者のことがらについて、
お互いを三人称的にとらえ、
客観的に現実を構築するような話が、あまり発展しない。
基本、一人称しかなく、多くて二人称までだから。
ということで、何か新しいことを始めようとするときに、
誰がやるかは一端わきにおいて、目標に対して必要なことは何かを話し合う、
という話題は、まったく弾まない。
そして、彼らが他人のことをとやかく言う時は、
影で揶揄して言うときに限られ、
みんなの前で、堂々と話すことも、やはりしない。
日本なんかが対象の場合は、
共産党が「悪口言っていいよ!」と認めているから、
個人が特定されないような場合には、思い切り悪口を言ってくるけど、
これが、共産党のお墨付きがなかったり、
また、個人が特定されるような場合には、まず声を上げない。
ということで、仕組みを考えるのは、やはり日本人の方が上手で、
それが個人の権益に結びつくとわかった途端に、
猛烈な勢いで横から奪って行くのが中国人だというのに、妙に納得した。
ふと思ったことがある。
中国人は、よく話す。
が、話の内容はだいたい決まっている。
・おれはこうだ。
・おれはこう思う。
・おれってすごい。
で、他人のことを話すときには、基本上から目線で、
・あいつはあんなんだ。
・こんなどじをふんだ。
・まったくこんなだ。
と言った具合。
だから、お互いが当事者のことがらについて、
お互いを三人称的にとらえ、
客観的に現実を構築するような話が、あまり発展しない。
基本、一人称しかなく、多くて二人称までだから。
ということで、何か新しいことを始めようとするときに、
誰がやるかは一端わきにおいて、目標に対して必要なことは何かを話し合う、
という話題は、まったく弾まない。
そして、彼らが他人のことをとやかく言う時は、
影で揶揄して言うときに限られ、
みんなの前で、堂々と話すことも、やはりしない。
日本なんかが対象の場合は、
共産党が「悪口言っていいよ!」と認めているから、
個人が特定されないような場合には、思い切り悪口を言ってくるけど、
これが、共産党のお墨付きがなかったり、
また、個人が特定されるような場合には、まず声を上げない。
ということで、仕組みを考えるのは、やはり日本人の方が上手で、
それが個人の権益に結びつくとわかった途端に、
猛烈な勢いで横から奪って行くのが中国人だというのに、妙に納得した。