ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

小旅行

2010-09-04 23:12:07 | Weblog
金曜の午後から先ほどまで高知に出張。

高知のほうが東京よりもすずしく感じた。
日射しは強いけど、カラッとしていて、日陰はさわやか。

空気はきれいで、食べ物もおいしかった。

なんだかいい気持ちだった。

帰り道、タクシーの窓から、すごく大きな雲が見えた。
稲の刈り入れが終わり、そして、新しい稲がすくすくと育っていた。


高知空港の入り口には、なんだかかわいらしい実がなっていた。


そして、空港の夕焼け。


急な出張だったけど、行けてよかった。

感謝

2010-09-03 15:51:49 | Weblog
ここ数日、予測不能なことがたくさん起きる。
今日もまだまだ何かが起こりそうな気がするけど、何とかなるだろうと思う。

決して私がたいへんなのではなくて、
私の周囲の人が、体調が悪くなってしまったり、
最初の予定がちょっとずれたりして、私にも影響が出ているというだけ。
こういうときに重要なのは、決して私が不運なわけでも、悪いわけでもないから、
マイペースでいこう、多少ずうずうしく見えたってしょうがないさ、という割り切り。

国内だから、まず言葉で解決できるし、
身ぐるみはがされることも、まずない。

少し前には、
気の毒そうに見えないと、損をすることもあるかな、と考えた時期もある。
でも、「かわいそうだね、大丈夫?」と言われるよりは、
「お願いね。いいものでも食べさせてもらいな。それだけの権利あるよ!」と
笑って背中を押してもらう方が、やっぱり好きだ。

ということで、
図らずも目立ち気味になっていることが多い。
これは、もうしょうがないと思う。

いま、すごく頭も心もリラックスしている。
こういうときは、普通にしてても、十分にいいパフォーマンスができるんだ。
以前は、脳内麻薬を出すようにして、
ある種のハイ状態をつくって、乗り越えるようにしていたけど、
私の中で、根本的な何かが変わったと思う。

そして、この10年くらい、
つねに過去の自分よりもいまの自分のほうが好きだ、と思えていることに、
すごく感謝したい気持ちになった。
私の背中をポンと押してくれた、私よりも広い眼でものごとを見ることができる
先輩たちに感謝だな。

ウイグル、審判、読書の話

2010-09-02 21:20:34 | Weblog
朝の通勤電車での読書が楽しい。
朝は集中力があるから、どんどん進む。
そして、降りる駅でハッと気づく。
いつかきっと乗り過ごす。

今日の往復では、この本を読んだ。
『7.5ウイグル虐殺の真実―ウルムチで起こったことは、日本でも起きる』
イリハム・マハムティ著、宝島社新書

10年くらい前に、友人が「もうウルムチはダメらしいよ」と言っていた。
これはつまり、ウイグルらしさがなくなり、漢化されてしまった、という意味だ。
街中、漢民族があふれ、漢民族のビルが建ち並ぶ。

ウイグルの本を読むと、4月にウズベキスタンへ行ったときのことを思い出す。
ウズベクのガイドさんに「新疆ウイグル自治区」と言っても通じず、
「東トルキスタン」と言ったら、すぐにわかってくれた。
あそこは、漢民族にとっての新たな領土、名ばかりの自治区ではなくて、
シルクロードの民にとっては、「東トルキスタン」なんだ。

この本を読むと、いろいろと考えさせられる。
・日中記者交換協定のためか、中国の実態を報道できない日本のメディア。
 これは、中国にとって不利なことは報道しない、という協定で、
 マスメディアのあり方として、かなりずれている。
・外国人の参政権。
 ウイグルやチベットに漢民族が移住したように、日本に移住してきたとき、
 参政権があったらどうなるのか、ということ。
 すでに、現在、子ども手当も相当おかしいけど。
こういった、日本に直結した話がたくさんある。
ウイグルの問題もあるけれど、明日は我が身、なのかもしれない。

ここで、ふと、昨日読み終わった『審判』を思い出した。
(カフカ著、辻ヒカル訳、岩波文庫)

ここでは、原罪をもつ人間、
万能だという幻想をもちおごってしまった人間が、
存在の根本的な不安に浸食されていく姿が描かれるのだけど、
このブルジョアの塊みたいな人間の描写が、なんとも滑稽だった。

滑稽なんだけど、それを自分でも気づいているのだけど、
「これだけ社会的に成功したんだから、何が悪いんだ」という居直り。

他人や外国を見るということは、自分を知ることにつながる。
そろそろ、ちゃんと中国のことを報道してほしいものだな、と思う。
国営放送は、中国の中央電視台と蜜月を続けるのだろうからしょうがないけど、
せめて民放は・・・、お願いしたいものだ。

むかし素晴らしいと思ったドキュメンタリー「シルクロード」への幻滅が、
日々つのる。

ある人の愚痴 いや主張

2010-09-01 20:57:01 | Weblog
ふと、会社への不満らしき会話が聞こえてきた。
どうやら、非正規雇用の人たちらしい男性の声だ。
聞こえてくるので聞いていると、
(というのは、きっと彼らは他の人に聞いてもらいたく、多少大きい声だったので、)
要は、「もっと長く会社にいさせてくれ」ということらしかった。

どんな仕事なのかも、そもそもの雇用契約ではどうなっていたのかも、
話の内容からは類推できなかった。

ただ、「仕事があるのだから、せめて17時までいさせてくれ」と、
繰り返し言っていた。
どうやら、午後2時か3時になると「今日はもういいよ」と言われ、
帰されてしまうらしい。
でも、その人いわく、
「会社にはまだ仕事があるのだから、それをやらせてほしい。
せめて17時までいないと、お給料が増えない」と。

私も同じ非正規雇用だけど、なんとなく共感できないまま聞いていた。

そんなに早く帰れるのなら、私だったら何か違うことをやる。
お金が必要だったら、バイトを考えるし、
それほどお金に困っていないなら、本を読んだり、
なにか興味があることをやる。
必要なお金はいくらなのかから考え始めて、
そのうちいくらをA業でまかない、
それで足りなかったら、B業やC業をためす。
ABCの割合は変動して当然だし、あがくのも結構楽しい。
などなど、頭の中をぐるぐるまわった。

そこで気がついたのが、
ある人たちには、
働くなら、一カ所でどっしりと稼ぎたいという欲求があるんだ、
という、非常にあたりまえのことだった。

それが時代が要求する雇用形態にあうかどうかは別として、
無意識からわき上がって来る根本的な欲求として、
私とは全然違う働き方を求める人がいるのだと、改めて思った。

まあ、結婚して子どもを育てようと思ったら、一カ所でどっしりが基本だよなあ。