ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

古語の謎

2010-12-23 00:18:14 | Weblog
以前も書いたことがあったかもしれないけれど、
私が「言葉はうつりかわる」と実感したのは、小学校3年生のとき。
いつも朝礼から教室に戻るときに利用していた校舎の入り口に、大きな額が掛かっていた。

文字は「おなす」。

その下を通りながら、男の子たちと「お・な・す~!」と叫ぶのが楽しかった。
ある日、クラスで一番頭がいい男の子が、「あれは、すなおって読むんだよ」と言った。
そして、横書きをむかし右から左へ書いていたことを知った。

家に帰って、大発見!とばかりに母に話したら、
当時、万葉集を学んでいた母は嬉々として、万葉仮名について語り始めた。
小学校3年生の漢字量では、とうてい追いつくことはできない。
そして、「あなたも一緒に行ってみようか」と、
万葉集の勉強会に、連れて行かれるようになった。

もちろん、私はチンプンカンプンなので、少年探偵団シリーズをずっと読んでいた。
ただ、2時間の講義の間、本さえ与えておけば静かに座っていられるという性格だったことは、
いまの私よりも忍耐力があったと、多少誇らしく思う。

何十年も経ち、いま読んでいるのは『古語の謎』(白石良夫著、中公新書)
万葉集にはじまる国学の流れがわかりやすいし、
音を記録できなかったころの大和ことばが、
文字となり、時代が下って研究の対象となったときに、
どのように変化するのかがわかって面白い。

古語は、すでに外国語に近い。
その時代の空気がわからなければ、文字は読めても、ことばはわからない、という事態に陥る。
日本語であっても。

古典の授業で、この言葉はこんな意味です、と教えられ、それをテスト用に暗記した。
でも、大和の風を想像するような機会は少なかった。
そんな悠長なことは言っていられなかったし、
なんでこんなに恋の歌ばかりなんだ!と思ったものだけど、
改めて「あいうえお」の発音が違った時代の日本語に触れるというのは、なかなか面白い。

写真で見る満州全史

2010-12-21 21:00:41 | Weblog
私のことを「モンゴルで馬に乗って青龍刀でバッサバッサ切りまくっている蒼き女狼」と呼ぶ友人がいる。
決して、怒ってはいない。
戦車より馬、鉄砲より刀のほうが、私の性格には向いていると思う。
そういう問題でもないか。

その友人のご両親が旧満洲にいらして、引き揚げのときのことを文章にしている。
その影響で、ここのところずっと満洲関連の本を読んでいた。
そして、普段はあまり買わないような本を買ってみた。
『図説 写真で見る満州全史』(河出書房新社)

とにかく、どんなところだったのか、写真が見たくなった。
中国にはよく行ったけれど、まだ訪れたことがない土地、旧満洲。
いや、熱河の避暑山荘までは行ったことがある。
でも、訪れた1993年、川が氾濫してて清東陵までは行けなかった。
清東陵は、清の皇族のお墓があるところで、西太后のお墓もそこにある。
もっとも、彼女のお墓はすでに荒らされてしまったあとだけど。

この本を開いて、まず眼に飛び込んできたのが、
右手に青龍刀、左手に鉄砲を持った、モンゴルっぽい顔をした男性の写真だった。
こうして見ると、先に書いた友人のセリフはあまりにヒドい。
今度会ったら、文句のひとつでも言ってやろう。

満鉄「あじあ」号の写真もあった。
開拓団の写真も、奉天、撫順の写真、愛新覚羅溥儀の写真、そして関東軍の写真。
写真が高価だった時代のことだから、軍隊の記録写真が多いのはしょうがない。
それでも、少し、当時の町並みがうつっていた。
目抜き通りは、これまた写真でしか見たことがない銀座のようだった。

そして、たくさんの兵隊たち。
私たちの国が、本当に戦争をしたんだ、と思った。
しかも自分の国の国土ではなくて、他国において。
他国の人たちの土地や命や、自尊心や、目に見えるもの見えないもの、たくさん奪った。
そして、外国に置き去りにされ、踏みにじられた日本人がたくさんいた。

それにしても、溥儀の奥さんの婉容さんは、なんて悲しそうな顔をしているのだろう。
この人は、生きている間に、心の底から笑うような瞬間があったのだろうか。
美しいけれど、その胸を病んでいるような・・・、
満洲は、この婉容さんのようだったんだなあ、と思う。

なにをもって「全史」というかは難しいけれど、見たかったものを少し見ることができた。

忘れないように書いておく

2010-12-20 20:28:54 | Weblog
最近よく「閉塞感」という言葉を聞くけど、いま、みんなそんなに苦しいのか。
私は、去年の今ごろがつらかったので、
それに比べると精神的にも経済的にもラクになったから、去年の年末頃が底だったと思う。

派遣社員だから、来年の今ごろはどうかと考えると、確かに大きな不安はある。
でも、正社員だってリストラはあるし、
派遣社員でちゃんと残業代をもらえるほうが、一時的には収入が増えることもあるし、
サービス残業をするより、精神的にもずっといい。
社会人になってから、いまが一番リラックスしている。
つまり、私個人のレベルで言うと、単純には比べられない。

ただ、帰りの電車が早い時間から混んでいるので、景気が悪いんだなあ、と実感する。
そして、女性を突き飛ばしながら歩くサラリーマンのおじさんが増えたように思うし、
ぶつかられてよろめいているおばあさんを、舌打ちで迎えるようなこともよく見かけるので、
きっと心がすさんでいる人も増えているのだろう。
師走だからなのか、それとも、いまの日本の空気がそうだからなのか。

最近、一番いやだなあ、と思うのは、
スーパーで買い物をしているとき、買い物かごに食べ物を投げ入れたり、
売り場に戻すときに、ぽいと投げるおばさんたちだ。
食べ物を投げるなんて・・・、いったいどうしてしまったんだろう。

むかし、中国に留学したとき、
「中国人って、物を投げるんだよ。
店員さんに、あれ見せて、と言うと、投げてよこすんだよ。
信じられないと思わない~?」と言っていた。
さすがに、まだ店員さんは投げないけれど、一般客は、けっこうよく投げている。
自分は、あと20年経って、腰がまがって腕の筋力がおとろえても、ぜったい投げたりしないぞ!
と、思う。この心を忘れないように。

詩集2冊

2010-12-19 21:40:49 | Weblog
なんとなく、詩集が読みたくなり、
少し前に買って、本棚で眠っていた2冊を取り出した。
ランボーの『地獄の季節』(小林秀雄訳)、ボードレールの『悪の華』(安藤元雄訳)

2人とも19世紀のフランスの詩人。
ボードレールの方が、ランボーより少し早い。

ランボーの言葉は、キラキラ光る宝石の断片を眺めているようだった。
そして、感覚的すぎて、私には少しわかりづらかった。

ボードレールは、笠井潔氏の『群衆の悪魔』を読んでから、
詩を読んでみよう、と思った人。
彼に対する先入観というか、彼が生きた時代背景に対しても、
『群衆の悪魔』のイメージがあるおかげかもしれないけれど、
すごく心に響く、・・・ような錯覚を覚えることができる。
勝手に親近感をもってしまった。

仕事帰りの電車で、すわれても、読んでいるとぜんぜん眠くならない。
こんなに引き込まれる言葉は久しぶりだ。
これまで、詩と言うと、
どちらかというとランボーの言葉のようなイメージがあって、
私には遠いものだと思っていたのだけど、
最近は、なんだか身近に感じられるようになってきた。

今日は、大掃除事始めということで、かれこれ3年ほど使っているお財布を拭いた。
3年も使っていると、オレンジ色がだんだんくすんで、茶色に近くなってくる。
色は変わってきたけれど、本革の手触りは相変わらず気持ちいい。

風水では、お財布は3年くらいで取り替えた方がいいらしいけれど、
本革のお財布を、そんなに頻繁に買い替えるほど、贅沢はできない。
それに、私の性格からしても、10年くらい使いたいと思っている。

土曜日は、母が30歳のころにはいていたスカートが、かなり痛んでいたので、
いよいよ捨てることにした。
40年近くはいたら、スカートも本望だろう。
時間は、長いのか短いのか、ますますわからなくなる。

充実

2010-12-18 20:44:33 | Weblog
今日は、本当に盛りだくさんの一日だった。

朝起きて、久しぶりにイチゴの覆いをどけてみると、
先週咲いていた花は散り、なんと新しい花が咲いていた。
いま冬なんだけど・・・。冬だったはず・・・。


そうこうしていると、
先日オンラインショップで買ったお皿が届いた。
大分の小鹿田焼(おんたやき)のお皿。





なんともいい色だ。
よく我が家にお越しくださいました!

その後、いいお天気なので、二子玉川へ。
今日の目的は、ツイッターで知り合ったlasah(ラサ)さん。
中国茶の専門店で、店長さんはどうやら私とほぼ同じ頃に、
中国に留学した経験がおありだということ。

流行で中国茶を扱うお店はあるけど、
やっぱりその土地のお水でお茶をいれた経験のある方にいれてもらいたい。
期待どおりの、本当においしいお茶だった。
安心して、お家用のお茶もいただいてきた。


そして、今日の夕飯は、おうち焼き肉。
小鹿田焼さんが「いきなり、のっけから豚肉ですか?!」と言うので、
「そうだよ。豚トロさ~」と答えた。


豚トロを焼いて、梅干しを作る過程でできた、梅酢がしみ込んだお塩を乗っけると最高!
締めは焼きそば。


なんとも充実した一日だった。

現代の女工哀史らしきもの

2010-12-17 22:35:09 | Weblog
先日、あるゲームをやってビックリした。
エンドロールに、延々と「デバッカー」の名前が並んでいる。

パソコンソフトやゲームソフトの開発に少しでも関わったことのある人なら、
そのデバックの恐ろしさは、すごくわかると思う。

クリエイティブと言われる仕事をしているのと同じだけの時間、
場合によっては、それ以上の時間をデバックにとられる。

デバックは、思った通りにソフトが動いてくれているかどうかを確認し、
間違いを探し、修正していく作業。
最近のソフトはいろいろと複雑なので、
人間が予想したところ以外でも、いろいろとコンピュータが動いてしまう。
というか、コンピュータからしたら、そういう指令がきているわけだから当然なんだけど、
人知をこえたことも起こる。
そして人間は「なんで~。どこが悪いの~!」となる。
作業の効率化のための計算機だった時代のコンピュータと逆転し、
いまは、コンピュータに人間がぶら下がっているような感じになっている。

そんな間違い探し、バイトにやってもらえばいいじゃん、と、
最初はみんな軽く思うんだけど、
そこにその機能を埋め込んだのを知っているのは自分だし、
ソフトがそんな動きをしてもいいのかどうかを判断できるのも自分なので、
結局は、クリエイティブ部門の人たちも総出で、デバックをせざるを得なくなる。

デバックは、本当に消耗戦だ。

ひたすらイヤな人になって、ソフトを使ってみる。
ひたすら、ひたすら・・・。

いまのプロジェクトも、ようやく素材がプラットフォームに乗っかってきたので、
これからどんどんデバックが増える。
コンピュータ様に言うことをきいてもらうために、
人間は「かゆいところはないですか?」「気持ち悪いところはないですか?」と、
言葉が通じぬコンピュータ相手にお伺いをたてなければならない。

特に、ソフト開発では後発で、「あれもこれもできる」と、
ワクワク感から仕様をどんどんふくらませた場合は、
担当者がデバックの恐ろしさを認識していないこともあり、
最後の最後は地獄のようになる。
今回のこれも、特に納期がきっちりかっちりと決まっているものなので、
本当にすごいことになるだろう。

あるゲームソフトのように、
エンドロールに、デバックに携わった人たちの名前を載せたくなった気持ちはわかる。
すごくつらい作業だし、名前が出ることなんかまずないし、達成感も乏しいし、
なにより、生活がすさむ。
でも、エンドロールで延々とその名前の羅列を見せられるユーザーの気持ちからすると、
「不要。内輪ウケやめて」の一言につきる。

女工哀史で語られるような仕事は、形をかえて、今に残っているということかな。

延長しそう

2010-12-16 20:49:43 | Weblog
さて、もともと来年の3月末までの予定で始まった派遣でのお仕事。
3ヶ月ごとに契約を更新していくものだと知ったのも、
派遣で働きはじめてからだ。
かれこれ5ヶ月。世の中は、いろいろと難しいなあ、と思う。
なぜ人の心はこんなにも複雑で、そして欲求は単純なんだろうか。

そして、派遣社員は派遣先の会社とは雇用関係にないけれども、
派遣先の部長から、3月末以降も長期で、というお話をいただいた。
契約は直接ではないけれども、意思確認は「当人同士で」ということなのか。
これはまた、新鮮だった。
てっきり、派遣会社の担当の営業さんが「どうしたいですか~」と、
聞いてくるのだと思っていた。

派遣会社から聞かれたら、延長しないでおこうと思っていた。
なんとなく自分の「棚卸」もできたし。

でも、いま一緒に仕事をしている人から「残ってね」と言ってもらうと、
やはり嬉しいし、
その言葉への感謝をこえるほどのなにかがあるわけではないから、
もう少しお世話になろうという気持ちになった。

ただ、いまのプロジェクトが終わって、
次のプロジェクトが本格的に始動する前に、
1週間ほど旅行に行きたいから休ませてほしい、とだけ言った。
もちろん笑いながら了解してくれた。

そしてなんと、来年1月になると、
働き始めて6ヶ月経つので、有給休暇がつくらしい。
なんとも、労働基準法とはありがたいものだ。
もちろん世の中には、お休みがとりにくい会社もあるだろうし、
そんな雰囲気の会社のほうが多いのだろう。
なんだか、すごくラッキーな気がしてきた。

それに、私は寅と卯の年は、運気が悪い。
ボーッとしがちで、ミスをおかしがちだ。
こんなときは新しいことを始めるよりも、毎日の小さなことをコツコツと
丁寧に積み重ねることを第一にすべきだ。
もともと地道な作業は苦手なのだから、修行のときなのだろう。

そして自分のできないこと、自分に腹が立つようなことを、
焦らずに受け止めようという気持ちが出てきたこと。
これがなんとも、ありがたい。

NOWHERE BOY

2010-12-15 23:37:35 | Weblog
今日は、映画を観てきた。
「NOWHERE BOY」という、ジョン・レノンの少年時代のお話だ。

ビートルズの曲は、聞いたことはあるけれど、別にファンではない。
というか、これまでの人生でノーマークだった。
だから、この映画で使われていた曲のなかで、知っていたのは、
ジョンが影響を受けたプレスリーの曲だけだった。
まだ伝説になる前の、本当に若かった頃の曲ばかりだったようだから、そのせいもあるのだろう。

これがまたよかった。
あまりにも「ビートルズ最高! ジョン大好き!」だったら、
たぶん途中でイヤになったろう。ファンではないのだから。

「活躍するようになってからのジョンは、あなたの心のなかのジョンでいい。
この映画では、ジョンが音楽に出会い、心に響く詩を書くようになった、その原点を描きたいんだ」

そんなメッセージが伝わってきた。
コンセプトが、はっきりしてていい。
おかげで久しぶりに映画自体にのめり込むことができた。

満足して劇場を出ると、
映画館のロビーでは、フルCGのハリウッド映画の予告編を流していた。
私はやはり、実写がいいな。
CGも、技術が進んだと感心するのだけど、実写の映画を観たときほどの感動はない。
すごいな、よく作ったな、とは思う。
でも、それに頼りすぎていて、人(キャラ)が描けていないようなものには、全然魅力を感じない。
シナリオ、どこへ行っちゃったんですか~?と思う。

あとは、私がマンガを読めない理由とも共通するのだけど、
登場するキャラの表情が、アニメのように記号化されているものは、どちらかというと苦手だ。
それは、作り手の心情が記号化されたもので、
実写のときのように、役者とスタッフがその場で表情を作り上げて行くような、
そんな一瞬の「突き抜けたもの」がない。

マンガを書くのが上手い人はいる。
でもそれは、書いた人がすごいということであって、
撮影現場で、どんどん変化していくような、
複数の人間が感情を持ち寄ったときの煌めきような、そんな雰囲気はない。

今日の映画は、音楽の使用料は高かったかもしれないけど、
きっとそれくらいしか、お金をかけていないと思う。
でも、決して飽きることはなく、素晴らしい映画だと思った。

この映画は、ビートルズやジョン・レノンのファンでなくても楽しめるひとつの物語だと思うのだけど、
きっと見に来る人は、本当のファンだけなんだろう。
それは、派手ではないからだ。
伝説になってからのビートルズやジョンを描いたのだったら、ファン以外も見には来るだろうけど、
ファンではない人は、見てから「うへ~、濃い~」と思いそうだし、
ファンは「これは、ジョンではない。描ききれていない!」と不満をもつかもしれない。

このあたりが、伝記物をやるときの、
興行成績と、見た人の満足度をはかるうえで、難しい点だろうと思う。

私の今年の一文字

2010-12-14 19:46:35 | Weblog
今年の漢字は何だったの?と会社の人が言った。
たしか「暑」だったよ、と別の人が答えると、
いやいや、あなたの一文字だよ、と切り返しが入った。
そして出てきた漢字は「貧」だった。
実際は、子どもが生まれて入り用で、という、とても明るい話だったのだけど、
余裕がある人が言うから冗談になるんだよな。

さて、私にとっての今年の漢字はなんだろう。
考え始めると、まず浮かんだのは「乱」。

次に「瞋(じん)」。
これは、仏教のことばで三毒のひとつ。
自分の思いどおりにならなかったといって、怒る心のことだ。

確かに、今年は、自分の心の中にわいてくる怒りや、
その代償を他者に求めてしまう気持ちとたたかう一年だった。
暴力的な気持ちがどんどん出てきて、それを慰めるような醜い想像をし、
ときに行動までしてしまい、自分の心がただれていく。
まさしく「無明」を自覚させられる一年だった。

でも、電車に揺られ、最後に浮かんだ一文字は「果」だった。
これは、因果の果。

多くのことが今年一年をよび、そして、ある目に見える結果となった。
しかし、この果は同時に、
うわべだけのお人好しに扮していた自分を解き放ち、
自分の本心と向き合い、自分を取り戻す契機ともなった。
一年前と比べてストレスは減り、肩こりなどの鬱血もなくなった。
そしていま、新たな輪がまわりはじめていると感じる。

人生には、いろいろな時がある。

理不尽なことに向き合うとき

2010-12-13 21:38:57 | Weblog
昨日は、朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーの朗読会に行って、
頭や心を、かなりシャッフルされた。よい意味で。

ここのところ、差別や国を追われた人の話を見たり聞いたりすると、夜、必ず夢を見る。
私が少し前に、すごく理不尽さを感じたことについての夢で、
当時は、気がつかなかったふり、見たり聞いたりしなかったふりをしていたことを、
その相手に対して「それ、おかしいと思うんですけど」と、改めてしっかりと意見を言う、という夢だ。

当時は、「そんなもんさ」とハスに構えたり、
「人それぞれだから、いろいろあっていいんだよ」と好意的に受け止めようと思っていたことで、
でも、私の心は、すごくすごくすごくイヤだったことだ。

なぜ、私にそんなことを強いてくるのか。
しかも、それを私も望んでいることだなんて、どうして。
いくら考えたって、納得できるような答えは出てこない。

そして、もし当時、
「私はそんなふうに考えないんです。そんなふうに感じないんです」
と、自分の意見を言ったとして、
ことが解決できるかというと、実際は逆だったろう。

わからない人だ。これが常識でしょ。楯突くなんて生意気だ。
余計つらくなるような、いろいろな言葉をもらうことになるだろう。
だから、試す前にあきらめていたんだ。
主張しても、ケンカしても意味がないと思っていたから。

自分のことなら、ある程度は我慢できる。
我慢できなかったら逃げる、という手がある。
でも、もし、私の大切な人がその理不尽なことのターゲットになったら、
自分のこと以上に悲しいし、断固として戦うだろう。

仕掛ける側は、一番つらいところを突いたら萎えるだろうと勘違いして、やってくる。
これが外交、これが交渉だと言う。いっぱしの策士のような気分になるのだろう。
でも、いや、そんなことはないんだ。
それは、ただの弱い者イジメだし、仕掛けられた側はその理不尽さゆえに戦うだろう。

チベットが抵抗の意志を持ちつづけているのも、
中共が一番つらいところを理不尽に突いているからではないだろうか。

私は日本人だから、拉致被害者やその家族のみなさんを応援したい。
でも、子どもを人質にとられている、という意味では、
在日朝鮮人の方が日本で子どもを育てる気持ちも同じなのかもしれない。

もちろん、単純化しすぎることは危険だ。
だから、もっと自分なりに考えたいと思う。

ただ、直感として、子どもの教育を人質にとるのはよくない。
せめて、大人の話は、大人の話として解決すべきだ。