ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

在日朝鮮人の方と話して

2010-12-12 22:17:03 | Weblog
今日も、とても内容の濃い一日だった。

まず日付が変わってすぐの深夜、ベランダでガチャン!という音がした。
窓を開けると、昨日水菜を食べた真犯人らしき野良ネコが逃げて行った。
肩のあたりの毛が白くて、背中が灰色のまだら模様で、まだ小さく、
すごくかわいい、しなやかな背中をもつネコだった。

すまないねえ。水菜は、部屋の中に入れてしまったのだよ。
他の餌場を探しておくれ。

とはいえ、真犯人は現場に舞い戻る、じゃないけど、
その姿を見れたのはよかった。
これが、人間がむしゃむしゃ水菜を食べている図、だったら、本当に怖い。

むかし、私が幼稚園生だったころ、
いまは亡き母が、幽霊やお化けをこわがる私に
「この世で一番こわいのは、生きている人間の心だよ」と言った。

昭和19年、1944年生まれの母は、
いつも中国残留孤児のニュースを見て、自分のこととして受け止め、涙していた。
関西の貧しい家の娘として生まれた母には、
中国や朝鮮のこと、いわれのない差別を受けている人が、とても身近に感じられたようだ。
私に、いつも「日本人なんて、大陸と半島の人との混血よ。文化だってそう。
教えられたことの方が多いんだから」と言っていた。

私が中国に興味をもったのも母の影響だ。
小学生のころ、母が真剣に見ていたテレビでは東京裁判の映像を流していた。
そこで愛新覚羅溥儀が証人席に座り答弁していた。
その姿を見たときに「この人はウソをついている。この人の言葉を学ぼう」と思った。
なぜ、ウソをつかなければならなかったのか、その理由が知りたいと思った。

今日の午後、友人に誘われて、
「ウリハッキョにも無償化を!」というタイトルの、
朝鮮学校無償化除外反対アンソロジーの朗読会に行った。

もし母が生きていたら、一緒に行きたかった。
母が聞いたらどう受けとめるだろうか。
そう思いながら、2人分の心をもって、参加した。

いろいろと考えさせられたのだけど、
今日の今日で考えていることとしては、以下の2つがある。

1つめは、詩の発表者の誰かが言っていたのだけど、
「朝鮮は、近代化しようとしたと同時に、日本による植民地支配が始まった」というような一言。

これまで、中共によるチベット支配のナンセンスについて考えてきたけれども、
チベット問題とは根本的に違う点は、ここだと思った。

チベットは、自ら近代化しようと思っていた訳ではなくて、
その文化・伝統を継続しようとしていたところに中共が攻めて来たわけだから、
「帝国主義」に対する反発の表現は、自ずと違って来る。
あえて、ここで中共の対チベット政策を「帝国主義」と言うが、
日本で開かれるチベット仏教の勉強会の雰囲気は、ある意味で「あっけらかん」としている。

それに比べて、朝鮮の人たちは「近代化の必要性は十分に考えていたのです。
だからこそ、自分たちで模索しつつ進めたかったのに、
なんで日本がそんなふうに押しつけをしてくるのですか!
結局は、日本の近代化のためにスケープゴードが必要で、
その役を朝鮮に押し付けたのですよね!」という憤りを感じるなあ、と思った。
私が言うと、一気に軽くなってしまうのだけど、正直にそう思った。

つぎに2つめ。
これは、あらゆる差別に共通すると思うのだけど、
差別される側は、自らを抹殺したくなるほどに直視する。
でも、差別する側は、自分も差別する対象も、直視する必要は感じない、という点。

いま、日本人同士でも取りざたされるイジメの問題。
差別する側は、優越感というベールにくるまって、のほほんとしていられる。
でも、イジメられる側は、死ぬほどの苦しみを味わい、人によっては自殺してしまう。

この優越感という甘美な罠は、自らの視野を広げることによってしか、解消することができない。
つまり、自らの視野を広げようという意志がない人は、ずっと差別意識を持ち続けるということだ。
その恐ろしさを感じた。

そして、個人的にはもうひとつ。
私が大好きなシモーヌ・ヴェイユ。
彼女は、フランスで哲学の教授でありながら、同時にユダヤであった。
その民族としてのジレンマを、これまであまり考えることはなかったのだけど、
改めて考えてみたいと思った。

なぜ、朝鮮の学校だけ、高校無償化からはずされてしまったのか。

私の友人にも朝鮮学校の出身者がいる。
彼女のルーツは、いまの韓国の領土だった。
でも、普通に民族の言葉としてハングルを習おうとしたら、朝鮮学校しかない。
だから、北朝鮮、韓国、そんな戦争によって分断されたラインなんか関係なくて、
朝鮮の学校に通った。チマチョゴリを着て。
まったく、
朝鮮の学校が、すべて北朝鮮とイコールで、スパイの養成学校などと、誰が言い出したのだろう。

今日は、本当に、実り多い一日だった。
私を誘ってくれた友人と、日本人に対する恐怖を乗り越える勇気をもって、
私を受けて入れてくれた在日朝鮮人のみなさんに感謝だ。

まったくもって予想外

2010-12-11 21:34:10 | Weblog
今日はゆっくりめに起きて、
いつものようにベランダのプランターたちにお水をあげようとして、
1回目に「ん?」と思ったけれど、よくわからなかった。

2回目にジョウロを持って行って気がついた。
水菜が小さくなっている。
というか、ヤギか羊にモグモグされたあとの草みたいになっている。


やられた。
これは、きっと、このへんを徘徊しているネコの仕業だ。
新芽をきれいにたいらげて、気持ちよく毛玉をはいたのだろう。

飼い犬なら、狙っているかどうかわかる。
きっと飼い猫でも、興味があるかどうかくらいはわかるだろう。
でも野良ちゃんは、わたしがいないときにやってくるわけだから、
まったくノーマークだった。
そういえば、先日、手すりに足跡がついていたよなあ。
鳥は食べないだろうと思っていたので、ネットを張っていなかった。

まったくもって、不覚・・・。

気を取り直して、ほかのプランターを覗き込むと、
あれ、咲いている。いちごの花。
早くないか? 温室でもないのに。


こちらも予想外。
水菜は、日が当たる室内に移動し、いちご用のネットを買いに行った。
いちごにいたずらしたら、本気で怒るよ!

いろいろとあるなあと思いながら、気分転換に、
先日買ったロイズチョコレートのブルーベリーチョコレートを食べた。
すごくおいしい。
パッケージも美しい。
お日さまがあたって、紫色がきれいに反射していた。


いろいろあるなあ。

街路樹

2010-12-10 22:10:59 | Weblog
昨日の忘年会で、久しぶりに会った人に「いま何をやっているの?」と聞かれ、
「派遣で、なんとなく食いつないでいます」と言ったら、
みんな、「へ?」という、あっけにとられた顔を一瞬する。

そうか、これは「ネタ」になるんだ。と、思って味をしめ、
喜んで、いろんな人に言っていたら、
「いやいや、いつまでも派遣じゃないでしょう」と、結構真顔で言われて、
「そうだよなあ、そろそろマジメに考えて、シフトしなきゃいかんわな」と思った。

だからと言って、野望がわいてくるところまで、
まだ精神力が回復していないので、
とりあえず、頭の片隅で考えるだけにして、あせらずにいこうと思う。

この次は、どこかに雇ってもらおうにも、年齢の問題がある。
それに、年齢というものは、派遣で働くにもついてまわるらしいので、
このままでいけるわけではなさそうだと、周囲を見ているとなんとなく感じられ、
そうなると、これまで以上の自立が求められるわけで・・・、
まあ、もう少し充電が必要だと、自分を甘やかしたい気分ではある。

今日、仕事をしていて、サマルカンドの街路樹でよく見かけた木は、
ハンノキという名前だと知った。

仕事でハンノキの写真を探していて、「これが、ハンノキか。よく見かけるじゃん」
そして、「あ、これ、サマルカンドでも会った!」となり、
心の中は歓喜の歌でいっぱいになった。
そういえば、ガイドさんが「日本でも見たよ。でも、名前がわかんない」と言っていたっけ。
今度行ったら「ハンノキだぜ~」と教えてあげよう、などと、
もうすっかりサマルカンドに着いたような気分で、
頭の中で会話をくりひろげながら仕事をした。

まったくもって、不真面目だ。

でも、昨日会った人たちは、
私について、いろいろと言いたい放題に言ってくれる人たちなので、
逆に自信と勇気をもらった。
そうそう、私は、みなさんが一様におっしゃるように「気が強い」です。
この評価は勲章だな。

久しぶりの宴会

2010-12-10 00:26:01 | Weblog
暮れなのだなあ。忘年会だ。
いや、お祝いごとの集まりなのか。

まあ、なんだかんだと理由をつけては集まり、
ゆるく仲間に入れてもらっているサンタさんの集まりに出席させてもらった。

前の仕事での繋がりの人もいれば、
今日初めて知り合って、妙に意気投合する人もいるし、
なんとなく中国繋がりということで、親近感をこちらが勝手にもってしまう人もいる。

いずれにしても「しっかりした人たち」の集まりだ。
この「しっかり」というのは精神的な意味で、
精神的な意味でしっかりしているから、お金もそこそこなんとなく回っている、という、
生きる力のある、生きることを楽しめる人たちという意味だ。
それぞれ、いろいろな悩みをもってはいるのだけど、
ぐっとどこかで持ちこたえる覚悟が決まっている人たち。
覚悟が決まっているから、他人のことも尊重できる。

誰かの顔色をうかがう人はいないけど、お互いに細かい心配りがあり、
だから居心地がいい場所。

なんとも居心地がよくて、
昼間会社で働いているときの自分は、
どれだけ「いい子ちゃん」をしているのかと、可笑しくなった。

とはいえ、いまの仕事は、とても私にはプラスに働いている。
地震があって、コップの中の水が揺れる。
その揺れがおさまるのは、地震がおさまってから少し経った後だ。

自分の心を水に例えて、コップの水と海の水の対比から、
私に何かを伝えようとした父の話を、ふと思い出す。
いま、私の心は、波風がおさまりつつあるけれど、
水は循環し、表面は絶えず揺れているように、うたかたを映す。

いい1年だったと思う。                                           

ひらがな

2010-12-08 21:37:32 | Weblog
毛筆で美しい文字が書けたら、いいなあ。
そう思ってから、すでに20年くらい経つ。

一向に練習をしないので、上手くはならない。
というか、学校で習った漢字は、楷書がまだどうにかなるものの、
ひらがなは、特に難しい。

筆は、持つ姿勢から、いろいろと筆に合理的にできている。
むかしアメリカ人と集まって一緒に勉強しようとしたら、
彼らはベットの上に横になったり、床に座ったり、
もう見ている方が困ってしまうくらい「だらしのない格好」をして、
テキストやノートに、読めないようなアルファベットを書いていた。
私はその場に自由を感じる以前に、居心地が悪かった。

さて、電車のなかで、ひらがなの難しさをボーッと考えていた。
私が、ひらがなを勉強しはじめたとき、一番難しいと感じたのは「は行」だった。
最初は「ま行」が難しいと思ったのだけど、
ある程度経験を積んでも、最後まで格好がつかなかったのは「は行」だった。

「はひふへほ」どれも難しい。
「は」と「ほ」は、すごく似ている。
「ひ」は、左側と右側のどちらが高いと格好がつくのか、よくわからない。
「ふ」なんて、なにがどう流れているのか、さっぱりわからない。
「おたふく」の「ふ」のように、ふんわりと、
「ふ」という音を発するときの頬と唇のように書きたいのに、
そんなやわらかさや軽さを文字で表現するのは、最高に難しい。
「へ」は、右側が長くなりすぎて、ひげのようになってしまう。

ひらがなほど、コツが必要な文字はないと思う。
ひらがながもつ軽さとやわらかさは、その音を発しているときの身体と密着につながっている。
「あいうえお」ではなくて、「いろは」のほうが近い。
滑舌の頬の筋肉の問題ではなくて、流れるように美しく発する音が、
そのまま文字というかたちになったのが「ひらがな」なんだと思う。

ああ、上手く筆で書けるようになりたいなあ。

布バックの思い出

2010-12-07 21:43:46 | Weblog
北風が吹くなかを歩いていると、なぜか北京を思い出す。
いまの北京ではなくて、私の思い出の中の、93年当時の北京。
アスファルトの感覚が消えて、石畳の感触がよみがえり、
独特の靴音が聞こえたような気がする。
もう12月なのだなあ。

12月になると届くハガキがある。
喪中ハガキだ。
今年も、ちらほらと舞い込み始めた。

今日届いたのは、ちょっとした思い出のあるおばあさんが亡くなったというハガキだった。
母親同士が仲良しで、私と同年の女の子がいるという家のおばあさんだ。

母親同士の気が合うと、娘同士も気が合うのだろうか。
お互い1人娘だったこともあって、以前は一緒に遊ぶ機会が頻繁にあり、
ときどきおばあさんともお会いすることがあった。

小学生のときに、おばあさんからお手製の布バックをもらった。
当時、私たちはピアノ教室に通っていたので、
その楽譜入れにちょうどいいサイズのものだった。
ピンクのふわふわした感触の、とてもかわいらしいバックで、
外側に小さなポッケがついていた。

よく見ると、友人のバックと私のバックは少し違う。
どうやら、彼女のバックのほうがポッケが多く、サイズも一回り大きいのだった。
なんとなく、少しショックを受けて、家に帰ってから母に言ったら、
「当たり前じゃない。あなたは孫じゃないんだから」と言われた。

私は母に、「それならなんで、お母さんはいつもいい方のを他の子にあげちゃうの?」と聞いた。
おやつが余ったら、いつも母は私の友だちにあげてしまう。
私はいつも後回しだった。
だから、親は自分の家の子どもを「ひいきしないもの」だと思っていた。
身びいきは恥なのだと思っていた。

そうしたら、母は私の顔を見つめて、
「あなたは一人っ子だから、なんでも自分のものになると思うようになったら、
心が歪んでしまうからよ」と言った。
もちろん私は、「だって、あの子だって一人っ子じゃない。どうして!
あの子は、お下がりなんか着ないし、自分のお部屋もあるのに」と反論した。

母は笑いながら、
「あそこのおうちはね、もともと京都の名家なのよ。
地位もお金もある人は、他人にあげないものなの。
上品だし、頭もいいし、とてもいいおうちだけど、そこはかっこわるいね。
でもさ、おばあちゃんはああだけど、おばさんはわりと普通だよね。
そういえば、成城のお金持ちの人も、
一生かかっても使い切れないくらいのお金を持っていたけど、すっごくケチだったよ~」と、
すごく可笑しそうに言った。

そういえば、おばあちゃんの前では、なんとなく窮屈な気持ちになったっけ、など、
いろいろなことが、喪中ハガキを眺めながら思い起こされた。
「祖父母は孫にあまい」という典型みたいな家だったなあ、と懐かしく思う。

誘惑者、絶叫

2010-12-06 21:25:58 | Weblog
今年100冊目の本はキルケゴールの『誘惑者の日記』だった。

これは恋愛小説なのか・・・。
ある種の官能小説だとは思う。
ただ、これを官能小説だと思う人は、たぶん男性がほとんどだろうと思うし、
こんな恋愛をしてみたい、と思う男性とは、たぶん付き合えないと思う。

なんとなくだけど、光源氏と若紫を思い出した。
自分のイメージそのままの、かわいらしくて美しい女性を、
ひたすら観念として愛でたいという欲求は、たぶん男性側のもので、
女性が書くと、源氏物語のように、最終的には具体的な愛になっていくと思う。

まあ、男性が落として、婚約して、捨てて、女性が自殺する、なんていう恋愛は、
いまならゲームのなかで展開されるのだろう。
別にイヤな気持ちにはならなかったけど、面白いとも思わなかったのは、
私に美女ゲーをやるセンスがないのと同じ根っこのような気がした。

そして、101冊目の本は穂村 弘さんの『絶叫委員会』。
節目にふさわしい1冊だった。

内向的な人だからといって、心の中もおとなしいとは限らない。
内面では、さまざまな面白いストーリーが展開している人はいる。

生活にあふれるいろいろな言葉を、独特の感性で切り取る。
そのネタには「そうそう、同じことを思ったことがある!」ということもあれば、
「うむむ。そんなセリフを聞くのは、あなただからでは。普通はない!」と、
思い切り突っ込みたくなるようなことなど、いろいろと広がっていく。
本を読みながら声をあげて笑ったのは、本当に久しぶりだ。

会話って面白い。
実際に耳で聞かなくても、双方向でなくても、たまに成立してしまうことがある。
でも、実際の会話も、ほとんどがそんなことの繰り返しじゃないかな、と思った。
冒険小説でも、「夢を与えます」ファンタジーでもないけど、
読んでスカッとした一冊だった。

朝焼け空

2010-12-05 21:09:59 | Weblog
今朝は、休みの日なのに普段よりも早起きをして、
6時30分ごろから散歩をした。

橋の上を歩いていたら、わらわらとカルガモが寄ってきた。


後から知ったのだけど、私の少し後にイヌの散歩のおばさんが、
パンのくずらしきものを大量に川に投げ込んでいた。
どうやら、私の影を、そのおばさんと間違えたらしい。

東の地平線から、太陽が顔を出した。


一気に空気があたたまり、川面にゆげがたった。
すごく幻想的。


朝日を浴びた紅葉。


紅葉はなんとなく夕陽が似合う印象があったのだけど、
冬の太陽を待ちわびている紅葉もまた美しい。

鳥たちがエサを求めて飛び、サギたちは縄張り争いをしていた。
白いサギは、姿は美しいのに、鳴き声はあまりきれいじゃなくて、
ついでに縄張り争いをしているときの迫力はすごい。

美しさと生存本能の激烈さを持ち合わせている。
まあ、いい女の見本のようだ。雄のサギかもしれないけど。

親玉

2010-12-04 20:24:07 | Weblog
このあいだ、うちの前の闊歩していた鳥の親は、
たぶん、こいつなんだろうと思う。


親玉らしい風格。
存在感ありすぎ。
すごく大きい。

周りを泳ぐカモの群れが、すごくすごくかわいらしく感じた。

たこ焼き器が、何かのカードのポイントに引き換えられて我が家に来たので、
今日は、たこ焼きを作った。


どうだ!という存在感だった。

近所の農家さんの畑で穫れた大根を、1本=100円で買ってきた。
もちろん朝、引っこ抜いたばかりで、葉っぱも活き活きとしていた。
さっそく葉っぱは浅漬けにして、大根おろしをつくった。
美味しい。


料理は、一日にあと30分、手間をかける時間があると、
ものすごく美味しくなる。

湯たんぽ

2010-12-02 20:49:50 | Weblog
昨日から12月なので、湯たんぽを使い始めた。
足もとが温かいというだけで、ぐっすりと眠れる。
空調と違って乾燥もしないし、電気を使っていないから電磁波も浴びない。
最初「あちち」だけど、でも、すべてがやさしいと思った。

むかし「赤ひげ」という映画を観た。
監督は黒澤明、主演は三船敏郎、山本周五郎が原作だったと思う。
たしか、雪が降っている日、日本家屋の中で、医者である主人公が、
「東京の寒さくらい、たえられなければならない」というようなセリフを言った。

雪が降っていて、吹きさらしのような日本家屋で、
すごく薄手の着物を着ていて、泰然自若としていた主人公。
家具らしい家具もない貧しい家にもかかわらず、なにかが、ぎゅっと満ちていた。

もしかしたら記憶違いかもしれない。
小学生のときに、一度観たきりだから。

当時、同級生に冬でもランニングの男の子がいて、
彼のニックネームは「ガンジー」だった。
素晴らしい、うらやましいニックネームだ。
中学生になり、制服を着なければならなくなって、
彼も「普通の人」になってしまった。

正社員でなくなり、東京に住んではいるものの都市の生活から落伍して、
いろいろと、古い記憶がよみがえってきた。
血行がよくなり、お酒をのまなくても眠れるようになった。

そして、安心が広がってきた。
去年のいまごろ悩んでいたことが、なんとも滑稽で面白い。
今年の年の瀬は、なんだかわくわくする。

幼稚園のころ、母が湯たんぽを使って布団をあたためてくれた。
小学生になって、温度調節ができるという理由から電気カイロになった。

そして、いま、また湯たんぽに戻った。