ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

セミ

2013-01-12 00:27:12 | Weblog
今日は会社の忘年会。
8日間連続出勤の最終日夜にふさわしい、とも言えなくない、
中国式の宴会だった。

中国人にもいろんな性格の人がいるので、
ばか騒ぎが好きな人もいれば、嫌いな人もいる。

とりあえず管理職は率先して盛り上げるように、というお達しだったので、
最後のパワーを振り絞って、テンションを上げてみた。

まあ、私の場合は、記録係だったので、スチールと動画を撮っていればよかった。
おかげでそんなに身をはる必要はなかったけれど、
中国は、役職者が下の人に奉仕する文化なんだなあと、つくづく思った。

ある意味、ヨーロッパの中世に似てるんだろう。
むかし、ヨーロッパの貴族たちは、ふだんはいい生活をしているけれど、
ひとたび戦争になったら、それこそ陣頭に立って戦ったという。

日本はいま、偉い人が陣頭ではなく一番後方に坐ってるだけで、
どんどん足軽が討ち死するような企業文化だけど、
その点、中国は、仕切れないくらいなら幹部になるなよ、という感じだ。

で、宴会のヤジが、またひどい。
今日いちばん多かったのは「脱(発音トゥオー、意味 脱げよ)」だった。
幹部だろうが、男だろうが女だろうが、また、歳とってようが若かろうが、
とにかく誰かが壇上に上がるとき、みんなで「脱!」「脱!」「脱!」と言う。

とりあえず郷に入っては、ということで、私も一緒になって叫んでおいた。
きっと動画の音声に録音されている。

あー、それにしても疲れた。
8日連続出勤なんて、セミなら寿命だよ、ほんとに。

言葉

2013-01-10 23:54:00 | Weblog
今日は、いろんな国籍のクリエイターさんが集まる新年&忘年会に参加した。
日本人、アメリカ人、スイス人にとっては新年会、中国人にとっては忘年会。
英語、日本語、中国語がちゃんぽんで飛び交う変な会だったのだけど、
若いクリエイターばかりだったので、なんだか冬だとは思えないようなアツさだった。

すごいなあ、と思いつつ、
私の中に、何も語るべきことがないことに、改めて愕然とした。
言語力の問題ではなくて、言葉自体を持たない感じ。

むかしは湧くように言葉が出てきていた時期があったようにも思うのだけど、
それは記憶の中で粉飾した自分像なのかもしれない。

なんだか、自分一人がぼんやりと、正体がない気分になって、
でも、お酒を飲めばトイレにも行きたくなるし、
すれ違うときにぶつかれば、肌の境界がそこにはあるわけなので、
すごく自分に気持ち悪くなった。

自己嫌悪の一種なんだろうし、
もともと1月と2月は毎年あまり前向きではない時期なので、
まあ、そんな感じでボーッとしているのも、いつものことだとは思う。

中国人でも、外国のことを素直に、そしてどん欲に吸収し、
表現の場があれば、どこへでも出て行き、
その過程で、あらゆる言語が話せるようになる人というのは、
やはり中国であっても13億人中の何人かはいるわけなので、
かなわないなあ、と思う。

マイペースにいこう。

人だかり

2013-01-10 00:14:18 | Weblog
朝、通勤で歩いていたら、上海銀行の前に人だかりができていた。



50代以上の人が、わんさかいる。
どこの上海銀行も人の山。

しかも、すごい勢いで上海語が飛び交っている。
いつも騒がしい人たちだけれど、いつも以上に興奮しているようだ。

どうやら、何かの株か国債が発売になる日だったらしい。
たまにこういう日がある。

このふつーの人たちが上海の経済を動かしているのだ思うと、
あまりにもふつーの格好をした、ふつーのおばちゃんやおじちゃんたちなので、
すごく不思議な気がする。

申し訳ないけれど、あまり賢そうな雰囲気でもなかったし、
そもそも本当のお金持ちだったら、
寒空の中、銀行の前に並ぶなんてこともしないだろうと思うので、
こんな人たちでも、資産を何倍にできるバブルが、
上海にもあったのだなあ、とつくづく思った。

いまは、正直言って、かつてほどの勢いがないけれど、
それでも資産が増えることを疑わない人たちがたくさんいる。
ある統計では、一般の人で株で儲けている人は、全体の5分の1とも言う。

それでも、みんなでわいわいやりながら、お祭りのように銀行が開くのを待っている。

中国の人たちって、明るいなあ、と思った。

アウトプット

2013-01-09 00:04:37 | Weblog
頭の中で想像していたときには、すごくいい思いつきだったのに、
紙に文字で書いたり、絵を落書きをしてみると、
意外と陳腐だったりして、面白くもあり、落ち込みもする。

特に絵の場合は、描いているうちに、
「私って、絵、下手だな~」という気持ちに支配されるようになり、
そのまま紙を破って捨ててしまう。
紙がもったいない。

文字の場合は、最近はパソコンで打つから、そのままゴミ箱行き。

でも、たまに出先でメモっておいて、メモしたことすら忘れた言葉を
あとでふと見つけたときに、「私っていいこと書くな~」と思うこともある。

つまりは、アウトプットする前の自分の期待が大き過ぎると、
そのまま自分に幻滅するわけのようなので、
結局は「私って自分が好きなんだな」という三段落ちくらいの気分になる。

漠然と頭の中でイメージすることと、
実際にアウトプットすることはまったく違うこと。
あと、スピーチが上手な人が、文章も上手とは限らない。

他者の視線の位置によって、同じものでも、見え方は全然違う。

そして、学校のテストの点だけよかった人と言うのは、
国籍を問わず、どこにでもいるもんだ。
特に中国は、自分の頭で考えるトレーニングをしてないぶんだけ、多いかもしれない。

懺悔

2013-01-08 01:12:50 | Weblog
最近、雨が降っていない日は、会社までの往復を歩いている。
比較的大きい通りを、西と東に移動するだけなので、
そこそこ安全だと思っている。

ただ、一カ所だけ、100メートルくらいにわたって、
あまり人通りがないところがある。

そんなところに電話ボックスがあるのだけど、
今日はその中から、5~6歳の男の子の泣き声が聞こえてきた。
「ママー、ママー」と叫んでいた。
そして、電話ボックスの外には、
どう見てもその子のお母さんではないだろう若い女性が立っていた。

「ああ、誘拐だなあ」と思った。

中国は、幼い子どもの誘拐がすごく多くて、社会問題になるくらいだ。
子どもがあまりに切実な声を上げていたので、気になって見たのだけど、
私を見返す女性のそぶりが、かなりおかしい。

日本だったら「どうかしましたか?」とか「大丈夫ですか?」と
声をかけたかもしれないけれど、
ここはおそろしい黒社会がある中国。
申し訳ないけれど、ジロジロ見て「気づいてる人間がいるんだぞ」という
プレッシャーをかけるだけにした。

正直に言って、私もこわい。

でも、後になって気がついたんだけど、
もしかして日本人の子どもだったんじゃないだろうか。
中国人だったら、「ママー」じゃなくて「マーマ」なんじゃないかな。
子ども言葉はよくわからないけれど。

そして、もう1つ思い出した。
秋ごろにも、確か同じ場所で子どもが泣き叫んでいることがあった。
電話ボックスに閉じ込める、というのは、
その家のしつけ方法なのかもしれない。(中国にしつけがあれば、だが)
もしくは、誘拐犯の巣窟が、そのあたりにあるか。

いずれにしても、ごめんなさい。
子どもには自力で抜け出すことなんてできないって、わかっていながら、
ものすごく後味が悪いんですけど、逃げました。

向いてない

2013-01-06 23:50:21 | Weblog
会社員に向いていないなあ、と思う瞬間。

「忘年会をやるので、率先して盛り上げるように。
 今回は、食事の会場にカラオケがあります!」

そう言われ、会社を辞めたいくらいに憂鬱になった。

中国人の宴会は、大学のサークルのノリなので、
日本の会社の宴会以上に憂鬱だ。

なぜ、盛り上がることを強要されないといけないのだろうか。
やれと言われたら、やらないことはないけれど、
同時に楽しめ!と言われると、
感情にまで介入してくるんじゃねー!!!
そんなら、やれと言われても絶対にやらん!という気分になる。

やりたい人だけやればいいのになあ。
そもそも、仕事ではやりたくないこともやっているわけなんだから、
結構限界なんだけどなあ。

中国人の大好きな話題は、独身の若い人をつかまえて、
「社内で選ぶとしたら誰?」とか、
「これまで何人とつきあった? どこまでいった?」など、
まあ、そういう話でみんなで突っつき合って、
「わっはっはっは!」と楽しむのが定番のようなんだけど、
正直言って、楽しそうなふりをしながら話を聞くのも、
結構な労働なんだよなあ。

そんなに興味ないし。

あ~、引きこもって読書がしたい!

出た

2013-01-06 00:25:01 | Weblog
本日無事にボーナスが振り込まれたので、
予定通りMacBook Pro Retinaディスプレイモデルを買うことにする。

よし、よくやった、自分。

さて、会社で評価制度を見直しているので、
自然と社員同士の話題も、それを意識したものになることが多い。

みんなの意識として共通して言えるのは、
「中国に来て働く日本人は、管理職になることが大前提。
 それに足るスキルと意識があって、初めて海外で働ける」ということ。

もし、一般職員でゆるく働きたいのなら、日本国内に留まるべきだ。
そういった一種の甘えがゆるされるのは、そこが自分の国であるときだけ。
海外に出たら、そうはいかない。
わざわざ海外で働く場合、労働によって生み出される価値を、
しっかりと目に見えるものにしていかなければならない。

「いやいや、私、ゆっくりやりたいのです」と言うのなら、
それはそれでOKだけど、中国人の一般職と同じ給与だと言われても文句が言えない。
そして、これまで駐在員は「神」のような扱いだったけれど、
相当な大企業でない限り、もうそんないい生活はさせてもらえなくなった。

中小企業の駐在員の場合、
借りるマンションのランクが現地採用並みなんていう話もザラだ。
そして現地採用の場合、外国人は中国の社会保障で守られることもないのだから、
そのぶんのリスクは、自分で負う覚悟が必要になる。

一番気の毒なのが、日本人と結婚した中国人。
日本人の旦那さんが日本でリストラにあったりして中国に一緒に来て、
中国人の奥さんの国籍が日本になっている場合、
その女性は、中国の社会保障が受けられないけれど、人格形成の背景は中国。
そして、たいていは日本でそれほどいい仕事をさせてもらった経験もない。
日本国籍だと言うだけで、給与テーブルは日本人と同じだけれど、
それだけのパフォーマンスもできない。
ということで、国籍だけ日本の中国人は、査定のときにだいたい厳しく見られてしまう。

いろいろな国の人が働く会社は、人事や評価制度も難しい。
でも、終身雇用なんて考え方がそもそもないところから始まるわけなので、
日本よりは、実効性の高い制度になりそうな気がする。

マスク

2013-01-04 23:16:12 | Weblog
仕事始めにて、これから8連続出勤日。
ああ、つらい。

中国は年末なので、来年度の予算とか、人事評価とか目標設定とか、
もう、一番苦手な仕事が目白押し。

今日、風邪気味なのでずっとマスクをしていた。
これは、向かいに坐っている人が妊婦なので、風邪をうつさないため。
当の本人は、もう一ヶ月以上も鼻をぐすぐすしているけど、
私からうつって、さらにひどくなったら申し訳ないから予防のため。

でも、中国人には「誰かの迷惑にならないため」という価値観がないため、
「どうしたの、どうしたの?」「風邪、ひどいの?」と心配してくれる。
「いやいや、一番ひどい時期は過ぎたよ」と言っても、
マスク姿で仕事をするだけで、みんな「大変なこと」とばかりにギョッとする。

同僚がやさしかった。
でも、自分たちが、私の席の周りでくしゃみを連発していたために、私にうつった、
などとは、決して考えていなかった。
先週、自分たちが風邪をひいたていたことすら、忘れている模様。

このへんの上書き能力は、さすがだと思う。

だけど、みんながあまりにやさしいので、ちょっと感動。
反対に日本人は、まず第一声が「うつったらいやだ」だった。

そうなんだけどさ。
そして、なんだかすごくイヤな記憶がよみがえりそうになったので、
さっさと今日も寝てしまおう。

少し中国人を驚かせたいとき、マスクはけっこう効果がありそうだ。

仕事始めかあ

2013-01-04 01:10:11 | Weblog
上海は、あまりにも騒がしくて、何かを考えるには適さない場所だと思う。
根が引きこもりの私には、それなりのトレーニングになるのだけれど、
今回のように三連休、ほとんど自宅に引きこもり、
さあ、なんとなく自分のペースができたぞ、と思ういま、
明日からまた会社に行くのが、非常に苦痛だ。

会社は成長しているし、自分のキャリアも給料も上がるだろうと思う。
でも、それでもやはり、中国人と一緒に働くのはつらい。

その理由は、「仕事をしないこと」を権利だと思っている人たちと
一緒に仕事をしていくつらさだと思う。

中国人にとって、仕事は自己実現なんかじゃない。
やりがいなんて、どうでもいい。
お給料が高い仕事が見栄えのいい仕事。
お金をもうけるのは、仕事をしなくてもすむようになるため。
だから、株や不動産で労せずして儲けたヤツが一番偉い。

そんな雰囲気が蔓延している中で、働くこと自体がつらい。

そして、あたりかまわず痰を吐いたり、
食事の席でも平気で大きなゲップをしたり、
人の耳元でも、私には関係ない話を大声で始める。
そのデリカシーのなさが、私はそろそろ限界なんだろうと思う。

そして、そんな友人を軽蔑してしまう自分がいる。

人にはあこがれが必要。
中国人のように即物的なあこがれが原動力になるなら、
上海はすごくいい土地だと思うけれど、
洗練された美しさや、こだわる楽しさなんかを求める場合には、
非常に空虚な、単なる大騒ぎがあるだけに見えてしまう。

そして、友情には尊敬が必要。
でも、どうしても、
小さいころからマナー違反と言われてきたことを、
すべてやって見せてくれるような中国人のことは、
どうがんばっても尊敬できないし、友人と呼びたくない。

そもそも、向こうは私のことを尊敬することなんかない。
そんな尺度で他人を見てはいないから。

違う上海もあるのだろうに。

ああ、でも、それでも上海で働くことに、どんな意味があるんだろうなあ。

でも、結局は日本も大差ないと思う部分がある。
大企業のサラリーマンや官僚は、なぜか人として偉くて、あまり働かない人も多いし、
そういう人は、痰を吐いたりはしないけれど、けっこう下品だったりする。

つまりは、私がどうしたいか、なんだけどなあ。
それがいつもわからないんだよな。

変化すること、しないこと

2013-01-03 16:11:07 | Weblog
風邪からなかなか抜け出せないので、
今日は外出の予定をとりやめ、家でゴロゴロしていることにした。
明日から中国は8連続出社日なので、大事をとった。

つまり、1日から3日までの三連休を無理矢理つくるために、
明後日からの土日を出社日にしたわけだ。
つまりプラマイで考えると、1日だけが休日だという
非常に理不尽かつ強引かつ、非情な連休を
中共がありがたくも用意してくれたわけなので、
それに従うために、あえて、連休における消費を控えてみた。
買い物は日本でするんだ。

さて、あまり毒を吐くと必ずバチがあたるものなので、このへんにして、
ゴロゴロのあいだに、ワクワクしたことを少し。

せっかくなので、Kindleアプリで本を読んでみることにした。
iPhoneとiPadに入れて、それぞれを眺める。

日本にいた時は、「電子書籍なんて本じゃないぜ」と思っていたけれど、
海外だと、やはりありがたいと思う。

いくつか試してみて感じたのは、文字はちょっと大きく感じるくらいがいいと思う。
これは、単に私の老眼が始まっているからかどうかはわからないけど、
そもそも、たぶんディスプレイに明朝体はあわない。
ゴシックかナール系の書体にしたほうが読みやすいと思う。

ただ、そうすると、文章としての風合いがなくなるような気もするので、
やはり明朝体にこだわりたい場合には、
文字サイズを少し大きくして、輪郭がガタガタに見えない工夫をすべきだろう。
デフォルトの表示サイズとして、14ポイント以上はあるほうがいいのではないか。

そういえば、先日若者に「ナールっぽい書体で」と言ったら通じなかったんだけど、
「丸ゴシック」と言うべきなのかな。
まあ、それはいいや。

ディスプレイは、明るくするほど目が疲れるので、
ちょっと明るさを落とし気味で読みたくなるから、
その際に、文字が小さいと、もう読む気にならない。
以前に比べて、みんなディスプレイの文字を読むのに慣れたわけだけれど、
長い文章を読む場合には、工夫が必要だろう。

あと、想像しなかったけれど、非常によかった点としては、
ページを手で押さえなくてもすむことがある。

行儀が悪いと怒られるけれども、
やはりご飯やおやつを食べながら、読みたいことも多い。
それに、風邪気味のときには、くしゃみも出る。

そんなときに、食べこぼしを気にせず、
軽微な汚れであれば、さっと一拭きできれいに戻る電子機器はいい。
そもそも本は、そのかたち自体が作品なので、
なるべく手あかもつけたくない、と思ってしまうのだけれども、
電子書籍の場合は、あくまでも中身が作品であり、外側はいろんなことで共有する箱。

今回読んだのは、
「ロイヤリティフリーなので、とりあえず流し込みました」系の作品が多かったけれど、
これから期待大だなあ、と思う。

だからといって、紙の本を買わないかというと、私はやっぱり買う。
いまは電子書籍で、立ち読みする感じだ。
もしその作家の作品をもっと読みたくなったら、
つまり、コレクション欲が喚起されたら、やっぱり本で買う。

それが「ハマる」ということだと思うし、
キャリアが何になっても、根本的な欲求部分は、あまり変化がないと思う。