豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

追悼

2006年06月24日 | Weblog
中学から高校、大学、社会人。十数年間同じ環境にいた友人は、互いに心を寄せながらも互いが気になりすぎる関係でもありました。
今日は、その彼女の誕生日です。

彼女は何でもよく出来る人でした。
美人でスタイルもよくてセンス溢れる人で、明るく理知的。機転が利いて気配りも完璧、しかもユーモアに満ちていました。何をしても足元にも及ばない私。ライバルというのもおこがましい間柄。

互いに弱いところは敢えてさらさずに過ごしていた・・・ということにさえ気がつかない、そんな関係がいつしか途切れ、次第に疎遠になっていたところに、数年前に届いた訃報。薄々察知してはいたけれど、やはり驚きました。

どうして苦しいこと、みっともないことをお互いに見せ合わなかったのか。
彼女が隠していたことを知らずに私が羨ましく思い、私が隠していたことを知らずに彼女が羨ましく思うという、お互いに虚像を作りあった関係だったのかもしれません。
困っていること、つらいこと、かっこ悪いことを私が彼女にきちんと伝えることが出来ていれば、もしかしたら彼女は救われていたかもしれない・・・、と思うのは私の思い上がりかもしれませんね。

全てに完璧を望み、それを確実に手にしてきた彼女は、普通の人が成し遂げる仕事のほとんどをやり終えたようにあっという間にいなくなってしまいました。お洒落だった彼女の細く傷んだ髪をなでながら残念でたまらなかった日からもうだいぶ経ちました。

弟さんの心尽くしで、お別れの日には松山千春さんの歌が流れていました。決して悲しい歌ばかりではなかったのが異例でしたが、あまりに彼女らしくて悲しさが募りました。亡くなる数年前から学生時代に接した歌をとても懐かしんでいたようだったと、後にお母さんから伺い二人で泣きました。いつかお母さんを誘って松山千春さんのコンサートに行ってみたいと思っています。
彼が30周年を迎える今年が良い機会なのかもしれません。今はもうなくなってしまったけれど、見心講堂で行われた最初の広島公演で彼の歌に魅せられたことを嬉しそうに語ってくれた彼女の笑顔は今も記憶に鮮明です。

あれから30年過ぎたのですね。やはり短くはない歳月でした。