豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

広響(ひろきょう)

2006年05月20日 | Weblog
ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中の一曲、「夢やぶれて/I Dreamed a Dream」を岩崎宏美さんで聞きたいがためにお願いしていたコンサート、今朝まですっかり忘れていました・・。とりあえず、現地集合ってことでよろしく。


中・四国唯一のプロオーケストラ「広島交響楽団」の、ポップスコンサート。
今年のゲストが岩崎宏美さんでして、チケットは二ヶ月前に完売という盛況でした。
前半は、オーケストラ・ポップス・オン・ステージ。
映画音楽「オズの魔法使い」やミュージカル「コーラスライン」からのナンバーを指揮者に藤野浩一さんを迎えた広響が奏でます。
「コーラスライン」の説明で、「ビールのCMで御馴染みですね。きっと、みなさん飲みたくなりますよ、でも、帰るまでは我慢ですよ・・」っておっしゃってた彼ですが、曲の後半に缶ビール開けて、グラスに注いで飲んじゃった。面白い方です。夫は、もちろん帰りに該当の銘柄を買いに行きました。

そして、後半は岩崎宏美さんとの「夢の」コラボレーション・・だそうで。
シルバーグレーのタイトな上着に何層にも重なった同色のシフォンのスカートの彼女が登場すると、やはり華やぎました。同い年、頑張ってます。
「黒いオルフェ」を情感たっぷりに歌った後、デビュー曲からのヒットメドレーも披露してくれました。
そして、お目当ての「夢やぶれて」。
・・・まんぞく。

最後に、「聖母(マドンナ)たちのララバイ」でさようなら。
アンコールは「思秋期」。短いけれど、とても素敵なコンサートでした。
一応、クラシックベースなので、馴染んだ歌謡曲なのに妙に上品。乗り切れないのもなかなかおつだったりしました。

「聖母(マドンナ)たちのララバイ」は、世の中に出てすぐにたくさん売れてしまって、どんどん先に行く曲を自分が追いかけているような感じだったそうです。
「戦士」とか「戦場」とかの言葉が、23歳の彼女にはピンと来なかったようで、「火曜サスペンス」のエンディングで使われるからこういう歌詞なのねって思っていたそうです。
発売から三年後にエジプトの親善大使に選ばれて、ピラミッドの前でコンサートをしたとき、動物などもいろいろいたりする中、様々な人が熱心に歌を聞いてくれている表情を見ていたら、その「戦士」、「戦場」という言葉が突然納得できたのだそうです。
ああ、ここがそうなのだな・・と。
三年かかって、言葉に焦点があったんですよっておっしゃっていました。

そういうことありますよね。
ある日突然、もやもやとしていた(という認識すらなかった)ものの意味が、わかったような気になることって。
悟りというには、幼いものだけど、獲得できたときは自分ながらうれしい。

株式会社に関する法律について、そうか、無限じゃなくて有限責任だから細かく決めて置かなくていけないんだ・・って、後々納得できたときはうれしかったなあ。とはいえ、判定「可」は覆されないのですけど。


ともかく、岩崎宏美さん、とっても素敵でした。もちろん、広響もね。
同じく、ついていこうと思った方に昨夜出会いました。
ここからは、日記としての覚書かな。
女優の高畑淳子さん。
なんとなく、ついていたTOKIOの番組。
なにこの人・・・って、一気に興味しんしんになりました。かわいいのです。
舞台、追いかけてみたいですね。



付記:広響のコンサートの模様は5/28(日)午後7時~8時30分まで広島エフエム放送で放送されるそうです。会場では、広島カープの応援グッズ、バイオリンを弾くカープ坊やのマーク付Tシャツも売られていました。地元密着型の親しみやすいオーケストラです。
広島交響楽団


妖しい香り

2006年05月19日 | Weblog
雨の中で、ジャスミンの花が満開でした。


清々しい香りというよりは、妖しい香りです。
風がないのであたり一面その香りに包まれていました。
すぐ横には、洗濯物が雨宿りしているという風景は、妖しい香りに浸るには
非常に日常的?でしたが・・・。

春の始めに、指宿で見たニオイバンマツリもとても魅惑的な香りを持つ花でした。
時々、花屋さんの店先で鉢植えに出会います。
家に持って帰って育ててみようかなと一瞬思うのですが、お世話は下手だし、あの強烈な香りが思い切り充満したら、それこそ「あやしうこそものぐるほしけれ」で寝てる場合じゃありません。

二つとも、部屋の中に閉じ込めると大変なことになりそうです。

ドリアンという果物は世界一美味しいそうです。
でも、その香りはかなり強烈らしい。
一説によると、○○○のにおいに似てるとか。
試してみたいようなそうでないような。

その強烈な香りがかすかに匂うなら、ものすごく良い香りとして印象的に脳に刻み込まれるのかもしれませんね。

きれいと汚いは、究極のところ隣りあわせなのかもしれません。





しちへん洗えば、鯛の味

2006年05月18日 | Weblog
妹のお姑さんが教えてくれた言葉です。

昔から広島市内には、「いわしのおばちゃん」というリヤカーを引いて小いわし売りさばく行商のおばちゃんがいらっしゃいました。今は、随分数も減ったようですが、それでも地区によってはまだまだ馴染みのある日常的な風景です。
網から直接仕入れたような新鮮ないわし。一尾がだいたい8~10センチくらいの大きさでしょうか。何尾というより、ひと山単位で取引されます。

鮮度が落ちるのが早いので、すばやく売りさばかなくてはなりません。
おばちゃんたちは、行商の傍ら、自らも専用の竹?のへらで身をへぎとり、いわしの刺身を作りながら街角を廻ります。
売り声は、「手手噛むいわし、いらんかえー」だったような。
手を噛むほどに新鮮ないわしは要りませんか、という意味ですね。

昨日のお魚の記事に対していただいた千鳥さんのコメントを読んでいたら、小いわしのお刺身のことを思い出しました。
これこそ、このあたりを代表する味だと思います。しかも、とってもリーズナブル。
めばるなんて本当に手がでません。せいぜい、手のひら大のを買って煮付けにするくらいですね。これも、美味しいですけど。
四人家族だとステーキを用意したほうがお得なくらいです。可食割合で言ったら、お肉は一応100%ですし。

小いわしの刺身は、ひたすら手間が命。
もちろん、新鮮であることは最低条件ですが、これに手早さと家族への愛が加わらなければなりたたない献立でしょう。
行商のおばちゃんのへらがあれば便利なのでしょうが、それほどの量ではないときは、(といっても四人分でどんぶり二杯ほどは欲しいですが)手でさばきます。
まず、えらに親指を差し入れて頭をひっぱります。すると、頭に渦巻状の黒い内容物がついてくるので、それごとちぎって捨てます。あとは、お腹を親指の背で開きます。中をざっと洗って親指の爪を身と背骨の間にに添わせて、骨から身を放します。これで身が二枚と骨に分かれました。いわゆる三枚におろした状態ですね。
この身は指のぬくもりで温くなっていますから、できれば氷水にとります。
100回くらいそれを繰り返して、四人分の量を確保。
その後、何度も水を替えて身を洗います。

これが、最初の言葉「しちへん洗えば鯛の味」なのですね。
すなわち、七回洗えば、値段の安いいわしも鯛のように美味しくなるよということでしょう。
あとは、中高に盛り付けて、わさびやしょうがのすりおろし、小口ねぎを添えます。醤油またはポン酢などお好みのもので食べます。

今日手に入れば、お目にかけたいと思ったのですが、あいにく入荷していませんでした。(ほっ・・。)
またその季節になったら、試してみようと思います。
もしも、鮮度が今ひとつというときは、その身をてんぷらやから揚げにすれば、これも飛び切りのご馳走です。シソの葉で香りを付けたり、柑橘類をひとたらしすれば問題ありません。
材料費が、これまたフレンドリーで、四人分で500円~600円くらいかなあ。

得意げに紹介しながら、実は心が痛いのですが、なんといってもこの料理は手間がかかります。
てんこ盛りにしてある小いわしの山を横目に、手早く調理できる切り身に手が出る現実があります。
お母さんって、やはり辛くても面白くなくても、おうちにいて家族のために生きていなくちゃと思わされることも度々ですが、これもそういうことの一つなのかもしれませんね。
でも、出来れば、本当にここで写真つきで紹介してみたいです。

そうだ、私は以前は魚の料理なんて全く出来なかったのでした。生簀で泳いでいる魚と目が合っただけで、数日は気分がすぐれない。まして、包丁で切りつけるなんてとんでもなかった時期もありましたね。
ま、そこから多少は進歩したのだからよしとしよう。


瀬戸内の魚

2006年05月17日 | Weblog
桜鯛、たけのこメバルという言葉があるように、季節季節に美味しい魚が瀬戸内海にはたくさんあります。
荒波に揉まれて逞しく育ったというより、瀬戸内海の魚はおだやかな風情です。
それでいて、やはり天然の海で育つ魚は、早い流れにも揉まれて育つ身の引き締まったとてもよい食材です。

関西の都会で始めた新婚生活。スーパーで見かけるのは、切り身のパックがほとんど。
腕は棚に上げて、頭としっぽのついた魚の形が懐かしかったですね。
冗談だとは思いますが、魚はあの切り身の姿で泳いでると思っている人もいるのだとか・・。
ま・さ・か・な。

こちらでも、大型店舗よりも地元密着型の小規模なスーパーの方に質の高い魚を見ることができるようです。いつになく充実した品揃えだと感じられたある日、一応遠慮しながら写真に収めさせてもらいました。
養殖物もそれなりに美味しくてお値段的にも助かるのですが、やはり、海の近くで暮らす醍醐味は、野生の魚。
天然物は、何にも変えがたい味わいです。

「めばる」「あじ」「さより」


「ちぬ(黒鯛)」「ぎざみ」「やず(つばす)」


自分で狩をしてしとめることの出来る獲物を食べるということが基本なら、なんとか得られる動物性の蛋白源は、やはり魚でしょうか。ウサギや鳥、蜂やいなごあたりも大丈夫だと思います、かろうじて。
他の大型の蛋白源はちょっと無理ですね。こっちの身が危ないです。

ニューギニアのあたりでは、お芋しか食べない種族もいるらしいのですが、彼らは痩身ながら筋肉隆々でした。長年の間に、炭水化物を蛋白質に変容させる酵素を腸内に育んできたそうです。ほんとかなあ・・。便利ですよね。




カラフルメリイ

2006年05月16日 | Weblog
NYLON100℃の舞台、ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出「カラフルメリイでオハヨ ~いつもの軽い致命傷の朝~」を観てきました。



出演される役者さんに引かれて随分前から楽しみに待っていた舞台でした。
しかし、観に行くことを迷ってもいましたが、行ってみて良かったです。事前に情報を入れていかなかったせいもあって、新鮮な感覚で観ることができました。
気持ち、元気になったような気がします。

一言でこうだったと語ることはできませんが、10分の休憩を挟んでの三時間半はおおむね目が離せない充実した時間でした。
場面転換も細かくて、ほとんどショートコントで構成されているような運びでありながら、9年ぶり4回目の上演という定評ある舞台らしい安定感を感じました。

背景となっている世界は、老年性の痴呆症(認知症)なのでしょうか。
最近、シュールな設定としてよく取り上げられるような気がします。
同じような設定として、昨年の中谷まゆみさんの「お父さんの恋」、これはシュールというより極めてリアルでしたが。
そして先日の後藤ひろひとさんの「姫が愛したダニ小僧」もそのひとつにあげられると思います。これは、主人公のおばあちゃんの脳内への冒険物語でした。
「カラフルメリイでオハヨ」の主人公は、おじいちゃん。この主人公が、たぶん、老年性の痴呆症。

SFや宇宙に求めない非日常の世界は、今、人の心の内に向かっているそうですが、その中でも、老いに伴って生じてくる世界は舞台を作る人たちの関心を呼んでいるということかもしれません。あまりにも身近だけど、計りしれない深遠さも併せ持つ、非常に繊細な題材でもあります。

「人生は大いなる冗談です・・」とエンディングで主人公が講釈し始めると、とたんに緞帳が降りてきて、チョン。という終わり方も、いきなりでなかなか面白かったです。

お爺さんを抱える家族の混乱が悲劇的に描かれるのではなく、むしろ重なるような笑いどころも満載。
「お前たちのことをクソミソに言っていたのだ。クソミソのクは、モヘンジョダロのピだ・・・」。かなり笑ってしまいましたが、これはやはり現地で聞いてこそですね。

時間を割き、間に合うように算段し、実際に出かけてこそ感じられることが観劇の魅力だと思います。
演じる側だけでなく、それを受け止めるこちら側の状態にも左右される舞台への反応は、自分でも予測がつかないので本当に興味深いです。
それがあるから、また繰り返し出かけていくことになるのでしょう。




新緑

2006年05月15日 | Weblog
若葉の季節、新緑あふれる良い季節となりました・・・って、今頃にちょうどぴったりのフレーズです。
乗り物に乗って移動中に目に入る景色は、一回り大きくなった山々、それぞれの葉を思い切り茂らせている木々。
学生時代、この時期の美術の時間は、写生が多かったような気がします。
風薫る五月に相応しい清々しい新緑の風景は、写生にもってこいという訳だったのでしょう。


今年は、しかしながら、爽やか極まりないこの新緑が何故か鬱陶しく感じられます。
妙に、暑苦しいの。

数年前、45歳になったとき、ここが人生の折り返し地点かなと一人合点しました。これからは、来た風景を見返しながら、ゴールに向かうのかなと。
寂しいというより、自分の手にしている時間に制約があることが実感されたのでした。
だけど、たぶん、私はとても90歳までは生きられないなあ。

既に、この時点で新緑のエネルギーに乗って上昇するどころか、その勢いに飲み込まれそうになっている。もし、90歳まで生きられたら、それからが本当の余生かも。
なんて、考えていたら、思い出しましたね。

今の時期は、俗に言う「木の芽どき」。
あらぬ格好をした人が出没しやすい、気持ちの乱れる危うい時期なのだと。
季節の移り変わりのうねりに、足元をすくわれないようにしなくてはなりませぬ。


突然ですが、今日は藤原竜也くんのお誕生日でした。
おめでとう。
今年はいろんなところで、いろんな姿を見せてくれていますね。
だけど、あなたも戌年とは・・・・。
ぼやかしていた年齢差が明確になったなんてもんじゃないわさ。



獲得

2006年05月14日 | Weblog
肩たたき券とか、おつかい券とか、母の日のプレゼントを保育園や学校で作ってくれていたのは、はーるか昔。

どうかすると、忘れてますね・・。

で、母はしっかりと自己主張します。
えーと、今日は、何の日でしょう。

夕ご飯はもちろん、作ってくれるのでしょう。
お風呂は一番に入れるよね。

で、普段はけちけち使っているオリゴメールをたっぷり目に入れて、お先に失礼。
ああ、極楽、極楽。

今日はデザートも豪華だよね。

名づけて、「フィレンツェの休日」。
ドイツ菓子店で買ったケーキなのですけどね・・。
どのあたりが、フィレンツェで、どのあたりが休日なのかよくわかりませんが、たぶん、明るい色がイタリア的ってことなのでしょう。
何だって、構いません、美味しければ。
ティラミスの上にマンゴームースがのっかっているような新鮮なお味でございました。

そして、まさかプレンゼントないなんてことないよねーって、脅して獲得したのが
隣のお品。
母の趣味を、君たち、なにげに利用してないかな?

ま、いいけど。
去年は、アンガールズ、今年はWaT。
楽しませていただきますね。

考えてみれば、普段もかなり自由にやらせていただいておりますし、昔の日本のお母さんのように、家族のことだけ考えて生活している訳でもない。
こんな母を、家族の皆さんはよく我慢してくれているものだと思います。

本当に、どうもありがとう。
今後とも、なにとぞよろしくお願いいたします。




頑張れ

2006年05月13日 | Weblog
思わず、頑張れ・・と声をかけたいものがあります。
この春出会ったのが、この方たち。

少し前に、アスファルトから芽を出した不屈の大根が話題になったけれど、こういう風景もあちこちで見られます。
どうしてだか、こんなところに居場所を定めちゃったのよね。
でも、精一杯頑張ったんだ。
けなげだね。


一昨年の秋。
かなり勢力の強い台風がこのあたりを襲いました。
特に風がひどくて家全体が軋むくらいの猛烈な強風が結構長い間続いたのです。
生垣の木も怖いくらいにしなり、風が治まった後に確かめてみると端の二本が根っこを浮かせて傾いていました。
近所では、ガラスが破れ風が一気に家中を駆け抜けたというお宅もありましたから、それだけの被害ですんだのは幸いなことでした。
生きた心地のしない数時間のことは今でも忘れられません。

ともかく、その傾いた二本を元の位置にひっぱって戻し、紐で何箇所かを固定させ様子をみることにしました。強引な措置に、もしかしたら枯れてしまうかもという状況でもありました。

その二本に、なんと今年、花が咲きました。
白いものがあるなあと近づくと、小さな花がたくさんついていました。
思いがけないことでした。
台風からこれまで、二本はやはり傷んでいたようで、他の数本がなんの憂いもなくずんずん枝を伸ばしている傍らで、じっと養生しているように見えました。身の危険を経験すると、次世代を残す準備をする・・・というある種の法則がここでも現れただけなのかもしれません。
でも、やっぱり順風満帆では成し遂げられない、苦境を経験したあとの晴れ舞台という気がして、天晴れだなと思いました。
剪定をしながら、ここだけ葉が茂っていない二本を見てそう感じました。

先日、ニュヨークヤンキースの松井選手が、左手首の骨折というアクシデントに見舞われました。連日、関連のニュースが流れ、彼への期待の大きさが改めて示されています。

今の苦境が将来の順境を招くことを祈りたいです。
どうか、大きな花を咲かせてください。


CPU

2006年05月12日 | Weblog
中央処理装置・・・セントラル・プロセシング・ユニット=CPU。
コンピューターの脳みそにあたるもの。
メモリーは、作業机の大きさ。
ハードディスクは、記憶容量。

これを合わせて表示することで、コンピューターの能力が表されるのだとか。
で、いいのかな?

人間はこれに感情が加わるのかも。

(ともやさんに頂いたマザーボードの画像です。故障しているそうですが、きれいですね・・。)


メモリーとハードディスク、これは相互にバランスが取れていれば理想的なのでしょうが、どのあたりに支点を持ってくるかでその組み合わせはさまざまに変化すると思われます。

ハードディスク容量が大きくて、メモリーが小さい。
逆に、メモリーが大きくて、ハードディスク容量が少ない。
この間をそれぞれが程よい場所を定めて支点とするのでしょうか。

学校という枠で囲われていたときは、そのコンピューターの評価はハードディスク容量に基づいていたのかもしれません。
もちろん、保存した記憶を適切に取り出す能力も必要で、それにはメモリーの介在も不可欠なのでしょうが、小さな机の上でもその作業は容易だったような気がします。

囲いから放たれたとき、その評価は一転するのかもしれません。重視されるのは、むしろ作業をこなす速度、量。いくつかの作業を同時に要領よくこなす能力。真実以外でも動く世界への適応。それには、ある程度大きな作業机が必要になるのかもしれません。


私は、どんなタイプのコンピューターなのでしょうか。
たぶん、ハードディスクの割りに、メモリーの小さい、しかもその小さな机の上は整理されていない・・・そんな感じかな。

自分で、書庫の中から好きなものを出してきて眺めている分には楽しいのだけれど、いざ、何かに向かうときには非力そうだなあ・・。

結婚してすぐ、夫の母は、新米主婦の私に、冷蔵庫にたくさん物を貯めこまないで、毎日新鮮なものを買って来て料理しなさいねと教えてくれました。

そうよね、その方が身体にも良さそう。
しかし、難しい・・。
ある程度、食材が確保されていないと不安になります。
で、ついついいろんなものを貯めこんでしまいます。
技を磨けば良いのにね。


という話ではなく、そうだ、肝心なCPU。
私には、一体どんな脳みそが入っているのでしょうか。

これは、この先の課題のこなし方で正体が見えてくるものなのでしょうか。

なるべく簡単な問題が出ますように。
でも、難しい問題を選んでしまいそうだわ。



東京ばな奈

2006年05月11日 | Weblog
昨年秋の次女の竜子の修学旅行は、東京方面でした。

大学見学やディズニーランドを楽しんでの帰り、目当てのお土産の数々も手に入れて、無事帰ってきました。
「とうきょうばなな」も買ってくるぞと張り切っていたのですが、彼女が取り出した箱に書いてあった文字は「東京スウィートばなな」。
なんか余分なものついてない・・・?

開けてみると、いわゆるバナナ饅頭。多少細身で洗練されておりましたし、これはこれで香りも良くて美味しいのですが、竜子のイメージしていたふわふわのスポンジにカスタードが詰まっている東京名物「東京ばな奈」ではありません。
もう、ブームも一段落したころ遅ればせながらお目にかかり、優しい味と形にうちの娘二人は魅了されていたのでした。
修学旅行を利用してこれを手に入れるというのは、竜子にしては、建設的な計画だったのですが、やはり詰めが甘かったようです。

姉の虎子の仲良しの男の子に哀れな妹の話をすると、彼は一言、「スウィートだけど、ビターな間違いだね。」と、つぶやいたそうです。
・・・合格。


それはともかく、この連休に帰省したみたぽんに頂いたのがなーんと「東京ばな奈」。
昨年の無念が晴れるのかと、喜んだのもつかの間。
世間様は、一歩先を行っていたのでした。「黒べえ」・・?

 


かわいいというより、「ぼわん」と丸い黒い塊は、なかなかな存在感です。
いえ、たいへん美味しゅうございました。
ありがとうございました。

普通のごくごく一般的な「東京ばな奈」に巡り合えるのはいつなのでしょうか。