豚も杓子も。

私にすれば上出来じゃん!と開き直って、日々新たに生活しています。

ふふふ。

2007年06月20日 | Weblog
わーい



ハンドルまっすぐ持ってりゃ、なんとかなると思うケロ。
カーブは、曲がりきれなければ,目を瞑ってればいいし。

ガソリンスタンドは、最近休憩所にも使えるみたい。

直線になると、スピード出したくなるのよね。
ずんずん走っていると風景が飛んでいって、周りを置いて行っちゃうこともたびたび。
それも、なかなかの快感!


(さて、このカエルくんは、どうやって使うものでしょう?答えは、明日。)

南国か?

2007年06月19日 | Weblog
小さな町の商店街で暢気に自転車をこいでいたら、印象的な花が・・!

引き返してじっと見上げると、やはりそう!
たぶん、「デイゴ」。
石垣島で見た花です。
ここは南の国なのでしょうか・・?


かの地とは、かなり緯度も違う場所です。日差しの強さもだいぶ違うはずなのに、たくさん花をつけていました。
幹には、寄生しているランの一種も花を咲かせていました。


なるほど、ランってこういう場所で育つ植物なのですね。
強いのか弱いのかわかりませんが、そもそもは寄らば大樹の陰的な植物のようです。どういう理由なのか定かではありませんが、両者、お互いの存在を尊重しながら持ちつ持たれつで生きているようでした。

 花の名前を尋ねる人が多いのかもしれません。
葉の影には、「アメリカンデイゴ」と書かれたプレートとが。「??ラン」と薄くなった字で書かれたプレートも下がっていました。

さらに、近くの畑には見慣れない花も。


しょうがのようだけど、しょうがではない!
それは、何かと尋ねれば・・・。

「ヤーコン」!(たぶん)


【訂正】
正しくは、「春ウコン」!!でした。
ごめんなさい。

神戸

2007年06月18日 | Weblog
 大阪への新幹線を途中で降りて、本当に久しぶりに神戸に行って来ました。
 
 学生時代に友人と訪れ、その後、仕事場の旅行で一度訪れた以外は、わざわざ降り立つこともなく、大阪への通過駅でしかありませんでした。
久々の神戸は、朝曇りが一転して、かなり強い日差しの中できれいに光っていました。
新幹線の新神戸駅の徒歩圏に点在する異人館巡りをしながら、用事のある三宮駅まで、坂を下っていきました。


 うろこの家や、風見鶏の館。見覚えのある洋館を巡っていると、二十数年前に友人と歩いた記憶がしだいに蘇ってくるようでした。
田舎の女子学生が、雑誌で紹介されていたしゃれたお店の可愛い小物に、目を輝かせていました。北野通りのあちこちに店を構えていたそんなお店を思い出しながら歩く私のお供は、その頃の私の年と同じ長女の虎子です。
あの時一緒に歩いた三人は、それぞれ娘や息子を授かりました。
当時はそんなことを想像することもなく、ただただ賑やかに楽しく歩いたものでした。

 神戸は、その後たいへんな震災に見舞われ、しばらくは気楽に観光地としてとらえることが出来ない場所となりました。
今はもうその跡を探すのが困難なほど、街は復興し人であふれていました。
女子学生三人も、それぞれの道をなんとか歩んできました。一人はもう一緒に歩くことはできないけれど、記憶の中では神戸の町を背景に嬉しそうに笑っています。


魔法の・・

2007年06月17日 | Weblog
 明日が最終日の舞台を観て来ました。
稲垣吾郎さんの「魔法の万年筆」です。
ロビーには、豪華なお花。白やピンクの大輪のユリから、とてもよい香りがしていました。華やかな雰囲気です。

 いわゆる人気アイドルの舞台。観客はお芝居を見に行くというより、生の彼の姿に接しにいくという目的の方が多いのかなと予想されます。かく言う私も、お芝居の内容はともかく、舞台に立つ吾郎ちゃんを是非とも拝見してみたいと思っていました。このたびは、うれしいことに関西でも公演が行われましたので、念願が果たせることになったのでした。
舞台に魅力を感じた彼は、もう何作品もの公演を経験されています。真摯に舞台に取り組む彼に対して、そういう鑑賞の仕方は失礼なのかもしれませんが、彼の置かれた状況では、そのような観客がほとんどだということは逃れようのないことでもあるのでしょう。そんな中、自分の力を試して来た吾郎ちゃんの姿勢は本当に尊ぶべきものだと思います。
やはり、観客との距離の近さ、すぐに反応の帰ってくる空間、共演者との関係性、そういうさまざまなものが彼を舞台へと向かわせるのでしょうか。

 安心感のある素晴らしい脇役陣。彼を支えてさらに輝かせることの出来るとてもよいチームでした。劇場全体を包んでいた温かい雰囲気。その中で演技することの意味を彼は良く承知されているでしょう。
多忙な中での時間の制約より以上に彼を包むある意味の制約を乗り越えて舞台の人として存在していくための、今は途中の段階なのかもしれません。

 とはいえ、幕が開いてお芝居が始まり、その幕が下りるまでの彼はお芝居の中で生きている人でした。
時折見せる素に近い姿やスマスマでのキャラクターと被る演技に、緩めの笑いが起こる以外は、普通のお芝居を見ているのと変わりはありません。

 でも、幕がもう一度開いて、カーテンコールの拍手を浴びているときの彼は、SMAPの吾郎ちゃんでした。
その表情の変化に驚いて観客席を振り返ると、そこにはコンサート会場の一ブロックを切り取ったような観客のかたまりがありました。満面に笑みを浮かべて、舞台に両手を打ち振るファンの姿です。
本当に、ここに集まっている人にとても愛されているんだなあということが良くわかりました。
自信に満ちた表情。さりげない彼らしいしぐさ。やっと素敵な吾郎ちゃんに会えました。それで、とっても満足してしまう、やわな私。
 

巌流焼

2007年06月16日 | Weblog
どら焼きの中で、一番好きなのはこの「巌流焼」です。



出会ったのは、随分と昔になりますが、小倉方面に出張する父のお土産だったので、ずっと九州のお菓子だと思っていました。
しかし、良く考えると巌流島は山口県。
巌流焼は山口県のお菓子なのでした。

よくあるどら焼は、丸くて薄いカステラ生地で黒い小豆の粒あんが挟んであります。しかし、この巌流焼は、餡が白いのです。これが一番の特徴ですね。使われているのは小豆ではなくて、大手亡豆。
大福豆や白花豆と並んで、通称『白インゲン豆』と呼ばれることもあるという白いお豆です。

この「手亡豆」は、明治時代に北海道の十勝地方で栽培されたのが始まりだそうです。『手亡(てぼう)』という名前の由来は、普通の豆は蔓がのびたら支柱にする「手竹」が必要なのですが、手亡は半蔓性だったので、この支柱(手竹)がいらなかったことから、「手竹のいらない豆」すなわち「手亡豆」と呼ばれるようになったということでした。

粒の大きさによって「大手亡豆」、「中手亡豆」、「小手亡豆」とありますが、中小の大きさの手亡豆は次第に無くなって、現在は大手亡豆が主流となっているようです。

で、「巌流焼」。
その「大手亡豆」で出来た白餡が、とにかく美味しいのです。
ふっくら煮えた餡もさることながら、適度に混じる皮がいい感じに豆の風味を残していて、絶妙。蜂蜜が使ってあるのではないかなと思うような香ばしいカステラ生地とこの白餡がとてもよく合うのです。

当たり前に黒いあんこだろうと予想して手に取ったどら焼が、白いあんこだった時にちょっと感じた違和感。その後、実際に口にしたときの、それがすべて払拭される逆転満塁ホームランのような感触。
それ以来、この袋を見るととても嬉しかったです。

とはいえ、白餡が何よりも苦手・・という方も知っているので、万人向きというわけではないのかもしれません。
そんな、黒餡の巌流焼を・・・という要望に応えて出来たのが「おそいぞ 武蔵」かな。
こちらは、普通の小豆餡です。



実は、私はこちらを食べたことがありません。
どんな味がするのでしょう?

誕生日

2007年06月15日 | Weblog
 おめでとう!と言う主人公のいない誕生日。
今日は、進学のため家を出て行った下の娘の誕生日です。

 あらかじめ、プレゼント等は宅配便で送りましたが、さすがにケーキまでは送れませんでした。
一人でケーキというのもかえって侘しいかなあと思っていましたら、お気に入りの駄菓子屋さんでいつもより少し多めにお菓子を買って帰ったとメールが来ました。

 ここに残っている家族のほうもなんとなく手持ち無沙汰・・。
電話して声でも聞いてみようかと思っているうちに、テレビで「天空の城ラピュタ」をみながら、ついうとうとしてしまい機をのがしてしまいました。

 ケーキがなかった6月15日は、思えば初めてのことです。
一つケーキを食べ損なったぞ・・・無念なり。

 そうだ!
夏に帰省した時に、ちょっと遅めのバースデーをすればいいのですね!
なんて、良い考え。
さて、ドコの何にしよう。
そうだ、本人に聞いてみなくては・・・。


 今日は、いつもお世話になっている塾長さんのお誕生日でもあります。
まずはなにより、おめでとうございます。
大学で家を離れておられた間、お母様はどんな風にお祝いされていたのでしょうね。
 最近、残していかれた花の鉢に手をかけておられる息子さんの姿をご覧になって、きっと喜んでおられることと思います。

包丁研ぎ

2007年06月14日 | Weblog
 念願の包丁の研ぎ方の講習会。
出張レッスン?の先生から、直々に教えを乞うことが出来ました。
まずは、花ばさみ。
こういうものも研げるのですね。はさみは立てて研ぐのがコツなのだそうです、



 いよいよ、包丁です。
こちらは、寝かせ気味に研ぎます。最初に消しゴムのようなものでさびを落として、次に目の粗い砥石で割れや欠けを直しながら研ぎます。その後、目の細かい砥石に変えて研ぎます。向こうに押し出すように、均一に力をかけて研ぎます。なるべく砥石と交わる角度を大きくして広い面が当たるようにします。
見ているととても簡単。難しいことはありません。



 「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、褒めて遣らねば、・・・・。」と言う先生のポリシーの下、実際に研がせてもらいました。やはり、見るとやるとは大違い。頭で手順を考えていると手元がおかしくなります。写真の彼女は、なかなか上手でした。



 先生は、もともとは幼い頃から丁稚奉公をして、刀鍛冶の修行をされていた方ですが、今は料理用の包丁を作る専門家です。若い頃、ずいぶんつらい病気をされて、どうにも良くならないというときに出会ったある人に、刀鍛冶だった先生のお祖父さんが作った刀で命を奪われた人の霊があなたに災いをしている。刀を作る仕事をし続けたら寿命は長くはないと言われて、刀鍛冶の道をあきらめたのだそうです。名工の誉れ高かったお祖父さんは、お気の毒なことに、旅先で行き倒れてなくなられたそうです。名人と言われる人の最期はえてしてそのようなことが多かったといわれているのだそうですが、あえてその道は選ばないと、先生は包丁に専念することにされたのだと、研ぎ方を指導しながらとつとつと話してくださいました。先生自身、半信半疑ながらの不思議な話でしたが、そういうことって、あるのかもしれないですね・・・。
先生は、もうすぐ80歳。その選択が幸いしたのか、今もお元気であちこちに出向かれて、たくさんの人に喜んでもらわれています。
もちろん、先生の打たれた包丁は天下一品。良く切れますし、研ぎなおせば切れ味が戻ります。鍛えた鋼の力ですね。

歌詞

2007年06月12日 | Weblog
 「散歩」の歌と聞くと、映画「となりのトトロ」のオープニング主題歌が浮かんできますが、あれは「さんぽ」ですね。

 ヨナ抜き音階を紹介してくださった塾長さんの記事を読んでいると、ドレミファソラシドではなく、かといってハニホヘトイロハでもない音階で、メロディをたどっていた祖父のことを思い出しました。
「ヒヒヒヒ、フフフ~、ミフヒイミ~♪」と祖父が歌っていたのが「散歩」と言う歌でした。当時は、ドレミの音階を「ヒフミヨイムナヒ」と歌っていたのですね。明治28年生まれの祖父が、尋常小学校で習った歌い方なのだそうです。
 メロディも歌詞もなじみのある歌です。「小鳥の歌に誘われて、私もいつか歌いだす~♪」という歌詞をたよりに検索してみました。

「散歩」
勝承夫作詞・多梅稚作曲/昭和22年

若草もえる 丘の道
心もはずみ 身もはずむ
小鳥のうたに さそわれて
わたしもいつか うたいだす

小川の水も さらさらと
やさしい音を たてている
おもしろそうに 小山羊(こやぎ)まで
わたしのうたを 聞いている

 これです、これです。
でも、この歌は昭和22年の歌だと紹介されています。文部省唱歌として、小学二年生の教科書に掲載されたのだそうですが、その年は、祖父はもう成人している年齢です。さらに調べてみると、この歌は、元の歌詞を変えて歌い継がれていることがわかりました。元の歌詞は以下に記したとおりです。ただし、全部紹介すると50番まであるので、その中の一部「春」を載せてみます。
こちらは、明治34年の歌と紹介されていました。祖父が習ったのは、こちらだったのでしょう。
でも、どうして歌詞を変えることになったのでしょう。
なんにしても長い歌詞なので、省略する必要があったのでしょうか。確かに、全篇に流れるテイストは新しい歌詞にも引き継がれているようです。長い歌詞といえば、「汽笛一声新橋を~」で始まる「鉄道唱歌」が有名ですが、作者はこの「散歩唱歌」と同じ作詞作曲コンビでした。道理で、作風が似ています。

 それはさておき、昭和22年といえば、GHQによる占領のもと、5月3日に新憲法が施行された年です。「帝国」という言葉が使用禁止になるなど、言葉に敏感になっていた時節といえましょう。墨塗り教科書の事例もあるように、戦時下に使用されていた言葉をなくすことによって新しい考え方を定着させようとした時期でもあったのではないのでしょうか。最初の歌詞にあった一言によって、この歌が日の目を見なくなることを心配した誰かが、歌詞をリニューアルすることでその延命を画策したのでは・・・と想像するのは考えすぎですね。
読んでいると、これぞ日本の風景といった感慨が湧いてくるような歌詞です。

「散歩唱歌」大和田建樹作詞・多梅稚作曲/明治34年

     春   

来(きた)れや友よ 打(うち)つれて
愉快に今日は 散歩せん
日は暖かく 雲はれて
けしき勝(すぐ)れて よき野辺(のべ)に


空気の清き 野にいでて
唱歌うたわん もろともに
急げ 花ある処(ところ)まで
急げ 草摘(つ)む処まで


見返るあとに 霞(かす)みつつ
立てるは 村の松の影(かげ)
吾(われ)行(ゆ)く先に 心地(ここち)よく
躍(おど)るは 川の水の声


踏めば 音ある板橋を
渡る袂(たもと)に 吹き来るは
もつれし土手の 糸柳(いとやなぎ)
ときしあまりの 春の風


黄なる菜のはな 青き麦
錦(にしき)と見ゆる 野のおもの
ここやかしこに おりのぼる
雲雀(ひばり)の歌の おもしろさ


長き日ぐらし 舞い狂う
ちょうちょうは 羽も疲るらん
暫(しば)しは休め ここに来て
吾等(われら)も休む 芝原(しばはら)に


やさしき花の 菫(すみれ)ぐさ
うしろに五つ 前に三(み)つ
先(さき)なる友は 残したり
あとなる友よ 踏み折るな


うす紅(くれない)に 立つ雲と
見えたる岡の さくら花
莟(つぼみ)もあらず 散りもせぬ
盛(さかり)にあえる うれしさよ


やよや 梢(こずえ)の鶯(うぐいす)も
うたえや われらに声そろえ
春の日影(ひかげ)は なお高し
われらの歌は まだ尽きず

10
手帳 鉛筆 取りいだし
ここの景色も 写しみん
向うの畑を 打つ人の
笠は 手本の中にあり

11
宮のうしろの 山高く
登れば 谷の岩蔭(いわかげ)に
蕨(わらび)取る子も 見ゆるなり
つつじ折る子も 見ゆるなり

12
あの藤ほしや いかにせん
仰げば 岸はいと高し
招くに似たる 紫の
房は 松より曲りたり

13
水を離れて 一二寸(いちにすん)
出でたる小田(おだ)の 苗代(なわしろ)は
はや青々と なりにけり
田植はいつぞ 六月か

14
名残(なごり)は あとに残れども
またこの次の 日曜を
約していざや 別れまし
さらば胡蝶(こちょう)よ 春風よ

15
愉快に 今日は遊びたり
明日は 学科を怠るな
身を健康に なす事も
国に報いん ためなるぞ

2007年06月11日 | Weblog
今年は、たくさん梅が生ったらしい・・・。
ということで、梅を見に行きました。確かに、たくさん実がついています。
桃栗三年、梅何年?
少し小ぶりだけど、これで一瓶梅シロップを作ろうと、気軽に摘み始めました。

それがです。さあ、これでおしまい!と思うと、ほんの数センチ先に、ぷっくりと傷のない可愛い梅の実がにっこり!
ついでに、それも・・・と欲張っているうちに、結局10キロ近くの梅の実を収穫してしまいました。

もう、梅酒は漬けているし。
どうしよう?

ここは、一念発起。
梅干に挑戦してみましょうか?と、梅仕事の本をめくったり、ネットで検索した結果、洗って数時間水でさらすと良いとのこと。傷のないきれいな粒を選りすぐり、準備しました。


夜の間水に浸し、今朝、籠に打ち上げて出かけました。帰ってからへたを取って、塩漬けにしてと手順を復習しながらいそいそ帰ってきたのですが、籠の中を見てびっくり!
かなりの数の梅の表面が変色し、傷んでいました。
もはや、これまで・・・。

義母が梅干を作らないのは、失敗すると悪いことが起きるという言い伝えを信じているからなのだそうです。(石橋を叩いて後戻りするタイプかも。)今回の、この変色は失敗のうちに入るのでしょうか?それとも、スタート前の失格ということで、ノーカウントなのかしら?

梅干作りは急遽方向転換。梅ジャムを作ることにしました。
これが、意外に美味しかったりして!(まだ、完成してないけれど・・・


二連敗(2)

2007年06月10日 | Weblog
 二連敗の一戦目だった雷鳴下のソフトバンク戦。
長女の虎子も、雨の中、球場でびしょ濡れになりながら応援しておりました。

彼女の観戦は、今年になってはや数回目。
いろんなメンバーと出かけていますが、一昨日は大学の留学生との交流サークルの行事で、様々な国の人と一緒に観戦したそうです。

 もともと英語が苦手で、英会話などとんと興味のない様子でしたが、このサークルに属するようになって、その必要性と楽しさを知ったようでした。
何事も自分で探してこなくては身に付かないものですね。

日本人の友達同士では発見できないことを見つけたり、実際に触れ合ってみて感じる違いや共通性など、いろいろ学ぶことが多いようです。
時々、面白かったことなどを教えてくれるのがなかなか興味深いです。今日は、野球観戦に関して彼女が話してくれことを紹介してみます。

 広島東洋カープには、応援歌がありますが、その一節に「カープ、カープ、カープ広島、広島カープ~♪」という箇所があります。
これが、留学生の皆さんには、「たーぶん、たーぶん、たーぶん広島、広島たーぶーん~♪」と聞こえていたのだそうです。

 くくくく・・・・・。
聞いてみないとわからないものですね。
何がどういう風に「たぶん」なのでしょう

 昨日と一昨日は、勝ちを譲ったのではなくて、たぶん、単に弱かった・・・ということのようです。
今日は延長戦。でも、ソロホーマーで勝利も露と消えました。

 単独5位ですね、たぶん。