紀貫之
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける
『古今集』の四人の選者のなかで中心的な役割を担っていたと思われる。
『古今集』には漢文で書かれた真名序と仮名で書かれた仮名序があり、貫之は仮名序を執筆した。
この仮名序はその後長く歌道界の師表となった非常に重要な内容なので、ちょっと長くなるが冒頭部分を記載しておこう。
大和歌は、人の心を糧として、万の言の葉とぞ成れりける。
世の中にある人、事、業、繁きものなれば、心に思ふことを見るもの、聞くものにつけて言ひいだせるなり。
花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いずれか歌をよまざりける。
力をも入れずして天地を動かし、目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、男女の仲をもやはらげ、猛きもののふの心をもなぐさむるは歌なり。
さて、『古今集』について解説しておくと、全20巻に1111首が撰進されており、成立は10世紀のはじめに醍醐天皇(60代)の勅命によって編纂されたことによる。
この『古今集』はその後に続く勅撰和歌集の手本となり、百人一首にもここから24首が入選している。
この後も多くの勅撰和歌集が編纂されたが、そのうち最初の3つ、すなわち『古今集』『後撰集』『拾遺集』を三代集と呼ぶ。
その後編纂された『後拾遺集』『金葉集』『詞花集』『千載集』『新古今集』を三代集とあわせて八代集と呼ぶ。
さらに続く『新勅撰集』『続後撰集』までが百人一首にとられてる歌集で、『続古今集』『続拾遺集』『新後撰集』『玉葉集』『続千載集』『続後拾遺集』『風雅集』『新千載和歌集』『新拾遺和歌集』『新後拾遺集』『新続古今和歌集』とあわせて十三代集。先の八代集とあわせて二十一代集と呼ばれる。
また長くなるが、『古今集』から百人一首に選出された歌は以下のとおり。
猿丸大夫、
安部仲麻呂、
喜撰法師、
小野小町、
参議篁、
僧正遍昭、
河原左大臣、
光孝天皇、
中納言行平、
在原業平朝臣、
藤原敏行朝臣、
素性法師、
文屋康秀、
大江千里、
菅家、
源宗于朝臣、
凡河内躬恒、
壬生忠岑、
坂上是則、
春道列樹、
紀友則、
藤原興風、紀貫之、
清原深養父
さて、紀貫之といえば『土佐日記』も有名であるが、この日記の内容は土佐へ受領として赴いた貫之が、任期を終えて京へ帰るまでの途上を日記風に書き記したものである。当時は活版印刷などはないから当然、人から人へ書き写して伝わってきたのだが、驚くことに本人の自筆本が15世紀頃まで残っていたことがわかっている。そのため自筆本を直接書き写したものは現在まで残っており、内容が正確にわかっているのもこの日記の価値を高める一因といえる。