先月、全日本民医連の創立60周年記念シンポジウム
「原発に依存しない東アジアをつくるために」で
報告する機会をいただいた。
シンポジウムの内容は以下のとおり。
第1部 DVD上映「福島の今を見る」
講演「フクシマの今」 伊東達也さん(浜通り医療生協理事長)
第2部 シンポジウム「原発に依存しないアジアへ」
「3.11から学んだ韓国の脱原発のたたかい」
ウ・ソッキュンさん(韓国反核医師の会、保健医療団体連合)
「原発をつくらせない人びと」
山秋 真(ライター)
「韓国の原発反対運動と医療者からの支援」
イ・サンユンさん(人道主義実践医師の会)
「原発はいらない、自然エネルギーでいこう」
大友 詔雄さん(工学博士、北海道自然エネルギー研究センター)
印象ぶかい言葉のいちぶをご紹介したい。
・世界ではじめておきた「原発震災」による惨状は、日本史上、最大にして最悪の公害」となっている。なぜなら1)被害があまりにも深刻で、2)被害が極めて広範囲かつ、3)被害額が極めて甚大なうえ、4)地域のつくりなおし(復旧・復興)に極めて長期間を要するから。(伊東さん)
・たとえば浪江町で1700人の小中学生全員にアンケートをとった結果、生徒たちは県内外の690校に分散しており、「もとの家族がそろっていない(祖父母と別世帯となっている場合が多い)」が51%いた(2012年1月)。役場を移転せざるを得なかった9市町村のうち、もどったのは2町村(川内村と広野町)のみ。しかも住民の大半はもどらず、若い世帯はまったくと言っていいほど、もどっていない。(伊東さん)
・「原発なくす」、「核兵器をなくす」運動は、「憲法守り、活かす」運動とも重なる。福島の惨状は、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有する」とうたう憲法前文や、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」とうたう25条に反した問題をもたらしている。(伊東さん)
・韓国では3・11のあと、原発に反対する人の割合は60%以上になっている。そのうち2/3以上が、3・11で変わった人びと。(ウさん)
・「脱原発/反原発希望バス」という、各地からバスを借り切って現地へ集まり、支援する「希望バス」運動が韓国ではじまっている。(ウさん)
・「密陽(みりゃん)」原発の送電塔の建設に反対し、「補償はいらない、自分たちの村で棲み続けたい」と毎日山に登って直接行動をしている住民(70代80代中心)の健康被害調査をおこなったところ、警察の暴力による精神的・身体的な健康被害が深刻ということがわかった。(イさん)
・韓国政府は「原子力発電所(原発)」ということばをつかっているが、わたしたちは「核発電所」ということばを意識的につかっている。「核発電所」こそ核兵器をつくるところ、ということに自覚的であるために。科学的にも、この言い方の方が正しい。(ウさん)
・「原発はいらない、自然エネルギーでいこう」――これは、いますぐ実現可能なこと。つまり、問いのたて方は、「いかにして、太陽エネルギーを使いきるか」。「自然エネルギーでやっていけるか」、「自然エネルギ―で電力需要を満たすに足りるか」ではない。(メモ:自然エネルギー=太陽エネルギー。オオモトは太陽だから)。(大友さん)
・地域内の経済循環、いいかえればエネルギーの地産地消は、ドイツ・オーストリア・デンマークなどの先進国がある。日本(北海道)でも実現できるはず。地域内で経済循環を確立するための条件は、地域資源を石油の代替として使うこと。地域外へ流出していた石油代が地域内にとどまり、地域が豊かになる。(大友さん)
休憩時間も惜しく、各自が必要に応じて適宜休憩するかたちで
けっきょく3時間ぶっつづけとなった、充実のシンポジウム。
山秋からは、日本各地の原発をつくらせない人びとの存在を紹介し、
そうした人びとの経験から学ぶことについて、
土地・海・「当事者」をキーワードに報告をこころみた。
さて、シンポジウムのあと、
いまは札幌近郊に暮らす、かつてのルームメイトと合流。
札幌名物のひとつ、スープカレーでランチにしようと、
連れていってもらったのは「インドカリ店 アジャンタ」さん。
まずは、この看板に惚れました。
店内にはいるとスパイスの香りが漂い、うっとり。
入門的なカレーを注文して、待つことしばし。
おいしかった!!!
食後には札幌の森を散歩。すでに山では紅葉がはじまっていた。
あわい色あいが美しい樹木が目にとまり、なんの木だろうと近寄ると、
これが「桂」の木。
よくみると、葉はハート形だった。
清浄な空気を胸いっぱい味わい、心身ともにリフレッシュできた。