2014.7.13 芦浜のたたかい50周年記念行事
「芦浜原発を止めた町 50年の歴史から知ること学ぶこと」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/154101
感銘とともに拝見しました。
必見の語り満載です。
ぜひともお時間をつくってご覧になってみてください。
以下、お忙しい方のために、山秋的に見逃せないタイミングをメモ。
1:22:00あたり。
芦浜原発候補地に漁業権をもつ
旧南島町の古和浦にお住まいの女性のお話。
原発予定地の暮らしに「あるある」なリアル。
ひとりでも多くの方に、ぜひ知ってほしい現実。必聴です。
2:00:00あたり。
古和浦の隣町の若い漁師さんだった男性のお話。
「芦浜原発計画の海上調査がかかった漁協総会で、
会場前に座り込んだ漁師さんたちの最前列は若い漁師さんたち。
ところが、おばちゃんたちが現れて、その前に座り込んだ。
機動隊がおばちゃんたちを一人ずつごぼう抜きにしていく…」。
そのおばちゃんたちのはなし、などなど。
2:10:10あたり。
芦浜原発白紙撤回の決め手となった
三重県民81万署名運動を引っ張った男性のお話。
「最初は古和浦の漁師だけの問題だった。
第一次闘争はそれでよかった。5年間は、とにかく、いけ! と。
で、勝ち取った。ただ、第二次闘争はそうはいかなかった。
金でどんとん一本釣りされてしまった。
今までは、古和浦だけの問題として芦浜原発をただとらえて、
それで闘っていくのが、いちばんいい方法と言われていた。
ところが古和浦自身が、古和浦漁協自体が一枚岩じゃなくなってきた。
だんだんだんだん崩されていった。
そのときに、これは古和浦だけの問題にしていたら、
それにこだわっていたら、もうやられる、
という危機感を私自身は持っていました。
そこのことに気づいたのか、
古和浦のとなりの、こうざうらの若い人たちのグループが、
ある日、立ちあがりました。
若いエネルギーはホンマすごい、2日か3日で立ちあげた。
当時20代、30代。
若いのはやっぱりすごい。どんどん変わっていった。
古和浦の問題が、古和浦だけの問題でなく、南島の問題になりました。
そして遂に、三重県全体の問題として、はっきり認識されていったんです。」
まだ癒えない深い傷を抱える原発計画現地の当事者をして
重い口を少しずつ開かせしめた、それほど危機的な
この国の現状−−−東電の原発事故を経て、
多大な犠牲を出しつづけながらなお−−−が残念でならない。
傷を押してすこしずつ語りはじめた心中を察すると
にわかには言葉も出ない。
「原発計画は止まったけれど、私たちの心はズタズタになりました。
(長い長い間)……そうは、ならないように……」。
とにかく、まずは、みるべし。