ゼミの先輩友だちと、ひさびさのご飯にいった。
彼女は、ゼミで初めてできた「友だち第一号」。
きっかけは、ふたりが集合時間に遅れた者どうしだったから。
ジェンダー論の専門家である才色兼備の彼女と
原発問題をかんがえるボサボサでスローなわたしに
似たところがあるとも思えない。けれど、
肩の力のぬけるゆるーい出会いのせいか不思議と波長があい、
いつのまにか4年越しの友だちだ。
その間に彼女は『日本女性はどこにいるのか』(勁草書房)を上梓。
「オリエンタリズムとセクシズムによって二重の他者性を負わされた彼女らが、
きゅうくつな位置に立たされながらもそこから織りなすライフ・ストーリーと
アイデンティティ・ナラティブに、混じり、ねじれ、揺らぐ意味を読みとる。」
第1章 “日本女性”とは何か―カテゴリー、イメージ、アイデンティティの政治
第2章 “日本女性”とは誰のことか―フェミニスト・エスノグラフィーの(不)可能性
第3章 “日本女性”はどう見られるのか―人類学・社会学のまなざし
第4章 “日本女性”のライフ・ストーリー―生きられる経験、語られる経験
第5章 “日本女性”のアイデンティティ・ナラティヴ―ゆらぐ軸、ねじれる意味
第6章 “日本女性”という政治―ひとつのエスノグラフィー
一方、わたしは『ためされた地方自治』(桂書房)を上梓し、
たがいの論文/作品をよみ、励ましあってもきた。
「なぜか気があう」と思っていたのが「なぜか」でもなく
当然の帰結だった可能性に気づいたり。
この日も、いつものように
仕事からプライベートにいたるまで、状況や夢や愚痴をかたった。
ついでに、彼女はわたしの「ゼミ卒業祝い」もしてくれた。
そう、2005年度からお世話になったU野ゼミを、
2009年1月末をもって、わたしは「卒業」することに。
先生の研究休暇だった2006年度をのぞく、正味4年間の、
ビシバシみっちり愛あるスパルタなゼミ生活。
当初は、あまりのカルチャーショックに身体に発疹がでた。
ここは日本で、みんな日本語をつかっているはずなのに、
何を話しているのか全然わからない。
こんな世界では絶対に友だちはできない、と思った。
ストレスが高じたのか、仕事をしようとすると
発疹がでて痒くなり集中できない。
ゼミの文献を読むかゼミにいく以外、ほぼ横になって過ごしていた。
(この話をすると、「そんなにストレスだったの?」と先生は絶句。
確かに、わたし自身がやりたくて希望し、先生に頼みこんで
通いはじめたというのに、なぜ発疹がでたのだろう…?)
食物へのアレルギー反応だろうかと思って病院に検査にいったり、
ダニに反応しているのかと疑って住まいの大掃除をしたりもした。
むろんアレルギーでも何でもなかった。
最初の1-2ヶ月がすぎたころ、機会があったので
「ゼミでみんながつかっている言葉がわからない」と訴えてみた。
先生の助言は明快:「社会学用語辞典を手にとってみよ」。
そうか、世の中には「社会学用語辞典」なるものがあるのか。
ならば、ゼミで話されている言葉は「外国語」みたいなもの。
外国語なら意味がわからなくても当然だし、
ゼミは「外国」留学と思えばいいんだ―。
さっそく社会学用語事典を買いもとめ、
ゼミの夏休みには、社会学の基礎文献を集中的によんだ。
発疹はもうでなかったし、
「ここでは絶対にできないだろう」と思っていた友だちもできた。
外国語のようにわからなかった専門用語も、
それを使わずに議論すると1時間に5までしか言えなくても
それをつかえば1時間に10や15まで議論することができる
便利なツールなんだな、ということがわかった。
いつのまにか、大学時代の友だちより
U野ゼミのゼミの先輩・同輩・後輩の友だちの方が多い。
出不精で人見知りのため、わたしの交友関係は広くない。
なのにU野ゼミでは例外的に交友関係が広がっていったのは、
まずはわたし自身が、「自分がかかえてしまった謎を解きたい」という
強いモチベーションに衝き動かされてかよったこと、
そしてほかの人たちも、それぞれ自分の謎をかかえ、
それを解きたいという思いでかよっている/いた、という点で
似た者同士だったからではないか、と思う。
必ずしもテーマが似ているともいえないのに、
問題関心は(微)妙に似ている人びとが集う
ステキに不思議な、ありがたい空間。
そんなゼミのコンパは、かなりご機嫌なひとときとなる。
たとえば今年度の打ちあげコンパは、先生のご自宅で、持ちより制。
デパ地下などで買ってくる人は意外なほど少なく、
手づくりのおいしい品を何がしか持ちよった人が多かった。
ご覧のとおり、圧巻の食卓(このあと、さらに増えた)。
山ほどのおにぎりの、具は沖縄の油味噌(アンダスー)。
数年前にテレビでみて以来、何度か自己流で試作しつつ、
いつか本場のものを食べてみたいと夢みていた品。
沖縄出身のゼミ友のおかげで、初体験が叶った。
生地から手づくりという、野菜餡の水餃子も。
美味しいしあわせ。
「卒業記念」として先生とツーショット写真もとった。
たくさんのものを与えていただき、その恩を返せるとはとても思えない。
せめて、この感謝の気持ちをいつも胸に忘れずにいよう、
いつの日か、わたしも誰かに手をさしのべられるヒトになろう。
ココロも胃袋もみちたりて、2010年分の「元気」も充電完了
…たぶん。
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