厚真町スポーツセンターの中で彫刻を発見してしまう。
作業の邪魔で壁際に押しやられたようだ。
一緒に行った女性に「彫刻趣味なんです。写真撮ります。」と言って撮ったが
変な趣味と思われたに違いない。
遠近法ではなく、手がでかい。
彫塑 寄贈者 元幌里小学校教諭 田中隆行殿
田中隆行は三笠市出身の彫刻家です。
厚真町スポーツセンター
北海道勇払郡厚真町字本郷234-6
厚真町スポーツセンターの中で彫刻を発見してしまう。
作業の邪魔で壁際に押しやられたようだ。
一緒に行った女性に「彫刻趣味なんです。写真撮ります。」と言って撮ったが
変な趣味と思われたに違いない。
遠近法ではなく、手がでかい。
彫塑 寄贈者 元幌里小学校教諭 田中隆行殿
田中隆行は三笠市出身の彫刻家です。
厚真町スポーツセンター
北海道勇払郡厚真町字本郷234-6
令和4年10月28日、厚真町で発生した鳥インフルエンザの殺処分に
行ってきました。
バスは23:30札幌発。24時間3交代、夜通しの作業になります。
当日は2時間年休を取り、洗濯・早めの夕食。18時から22時までガッツリ
寝ようと思っていたが、なかなか寝付けずやっと寝入ったと思っても30分で
目が覚める。(みんな横にはなっていたけど眠れなかったと言っていた)
日付が変わって29日A.M1時ころに厚真町スポーツセンターに到着。
深夜なので建物の外観の写真は撮れず。
夜食があたる。おにぎり・サンドイッチの軽食もあったが、このあと9時間ほど
食べ物は口にできないので、夕食もしっかり食べたがカツカレー弁当をいただく。
みそ汁ももらってしまい、カレーにはいらなかったかと思った。
夜中の1時半ころです。
ホワイトボードに進捗状況が書かれていました。
食後防護服が配られる。
防護服2枚。(二重に着る)薄手の手袋、厚手の手袋、ゴーグル、髪の毛が
出ないようにキャップ、マスク。
作業中は撮影ができないので、作業終了後の写真です。液化炭酸ガス。
作業は鶏をつかまえて、70リットルのポリバケツに入れて、蓋をして炭酸ガス
を注入。死骸をポリ袋に詰める。ポリ袋は業者が速やかに運び出す。
今回の養鶏場は17万羽の鶏を処分します。
消石灰。
うちの課からは華奢な女性2人で参加したため、リーダーからご指名を受け、
ゴミ袋係に任命されました。巨大なゴミ袋を二人で開いて、速やかに死骸を
ゴミ袋に入れやすくします。
作業効率のためには重要な仕事と言われました。
私たち2人はご指名だったけど、あとのゴミ袋担当者は「この中で体力に自信
がない人手をあげて」とのリーダーの言葉に、立候補した方が選ばれていました。
おかげさまで鶏舎に入ることもなく、比較的楽な仕事をさせていただきました。
でも夜通しだったし、雨は降っているし、過酷でした。
またトイレに行くと防護服を脱いで、捨てて、また新しいものを着ることになる
ので、水分は控えて、10時間ほどトイレを我慢しました。よく頑張った自分。
朝の11時ころに厚真町スポーツセンターに到着。ここに荷物を置いてあり、
今度は昼食をいただきます。
生姜焼き弁当。お茶とみそ汁。
作業はだいぶ進みましたよ。
体育館なので、大坂なおみのラケットが展示されていましたよ。
最後にコロナの検査キットをいただきました。
家に常備しておくと安心なので、うれしかったです。
そんなことで今朝のブログ更新は大幅に遅れました。
すんごい疲れた。今日は早く寝よう。
滝川市内を車を走らせていて、
彫刻に気がつく。
おかしいなぁ・・。ここ何度も車を走らせていたのに気がつかなかった。
画像拝借 北海道デジタル彫刻美術館より
JR滝川駅前から移転してきたとのこと。
まず一つ目
青春
JR滝川駅前にいた時は、3体が密集して、噴水の中にいました。
ちょっと広いところに移転してきて、3体を全方向からくまなく見られるように
なったのはよいことと思います。
制作者 鈴木吾郎
二つ目
情熱
三つ目
理想
希望と躍進の像
滝川市は開基88周年を迎え先人達のたゆまない努力と汗で今日の明るく住みよい
街が出来上がりました。この作品は88歳という喜ばしい年を祝いこれからの豊か
な街づくりを祈念して建てられました。
彫像は「理想」「青春」「情熱」を表し輝かしい未来へ向かう滝川市を象徴したも
のです。
昭和53年 秋
追記
これからの滝川市の発展を願う中心市街地の新たなシンボルとして滝川駅前広場か
らこの地に移設されました。
平成26年 秋
寄贈 滝川建設協会
制作者 鈴木吾郎
3・4・22栄通
滝川駅まで600mのところ。
駅前通りになるのかな・・。