東京駅の八重洲地下中央改札の近くに
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銀の鈴
宮田亮平 作
東京芸術大学 学長
2007年10月25日
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東京駅「銀の鈴」の歴史
(初代)
昭和43年6月 昭和39年の東海道新幹線開業以降、お客様が増えたことをきっかけに、東京駅社員による考案で、「銀の鈴」待ち合わせ場所が1階の東海道新幹線乗換え改札前に誕生しました。
第1代目は手製の張子で、岳で鈴の型を作り、銀紙で装飾したものでした。
(銀の鈴の由来)
神社で鈴をつけた紐を揺すってから拝むのは、神様を呼ぶためのものだそうです。
古来、鈴は神様だけでなく、人を呼び注意を促す道具として鈴が制作されました。
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(2代目)
昭和44年11月 手製の第1代目誕生から約1年半後に鋳銅製で制作され、昭和53年3月まで鈴の音を流していました。
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(3代目)
昭和60年2月 東京駅名店会により名店街30周年記念事業として東京駅に寄贈され、1階八重洲中央待ち合わせ場の改良工事完成と共に設置されました。
平成6年8月に、長野新幹線(平成9年開業)乗入れ整備に伴って、現在地に移転されました。
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(4代目)
平成19年10月 東京駅が生まれ変わる「東京ステーションシティー」の誕生を機に、東京芸術大学 楽長、金工家・宮田亮平氏による制作の4代目「銀の鈴」が(株)鉄道会館により寄贈されました。
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都庁に向かう地下通路で発見。
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銘板はなく、検索しても引っかからず。
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調べている途中で、排除アートなるものを目にする。
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特定の人々(ホームレス等)の排除のために作用する、デザインとアートの中間のものとのこと。
排除アートと過防備都市の誕生。不寛容をめぐるアートとデザイン が面白かったので、興味がある方はどうぞ。
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都庁から帰ってくる途中で見つけた。
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スバルビル新宿の目
作 宮下芳子
1969.12.27
東京都新宿区西新宿1丁目7-1
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人の流れが多く、無人で撮るのはほぼ無理です。
中に照明があり、東日本大震災の後、節電のため消灯していたが、今はLED照明になり点灯を再開したとのこと。
アートも進化するのね。
夫は東京に4年ほど住んでいたことがあり、銀の鈴や新宿の目は見慣れており、足を止める事はないが、私には興味津々。
別の角度で観光を楽しめるのもまた楽しい。