この付近には、明治15(1882)年~明治34(1901)年の間、空知集治監(現在の
刑務所)があり、ここにはその典獄(現在の刑務所長)官舎がありました。
現在はレンガ煙突のみが残されており、三笠市の指定文化財となっています。
この煙突は、明治23(1890)年に作られたもので、高さが約8mあり、囚人の手で
作られたものとされています。官舎は平屋建て、広さは約80坪(訳264㎡)ありました。
なお、初代典獄は渡辺惟精(1845-1900)で、典獄のみならず、市来知戸長、警察署長、
幌内坑業所長、炭砿鉄道事務所長を兼任し、道路、水道、学校、橋、病院などを次々と
建設しました。また彼は、当時の三笠には大きな産業がないことを懸念し、集治監に
依存しないまちづくりを目指し、養蚕業などの新たな産業をおこすことにも尽力し、
三笠の発展に大いに貢献しました。
集治監には廃監となるまでの20年間、多いときには3000人あまりの囚人が収容され、
未開の地の開墾、採炭労働や道路の建設などの労働に使役されていました。
囚人たちが三笠開拓に果たした功績は、はかりしれないものがあります。
三笠指定文化財 典獄官舎 レンガえんとつ
北海道三笠市本郷町
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