サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

羽田空港 → 新千歳空港

2025-03-04 05:29:03 | お出かけ♪

羽田空港です。
クリスマスツリーがありました。

ぼくは福井県からやってきた恐竜博士だよ!
ぼくといっしょに写真をとろう!

このあと、羽田空港で慌ただしくおみやげを選んで買って。

あっという間に、飛行機に乗りこんで。

飛びました。

さあ帰りますよ。

新千歳空港に着きました。

本日の夕食
北海道そば
一灯庵

新千歳空港に着いたのが20時くらいだったから、もうほとんどの食べ物屋さんが閉まっていて、蕎麦屋さんくらいしかなかったのよ。

それでもお腹がペコペコだったので、開いている店があるだけありがたい。

おろしそばを注文しました。

連れは天とじそばかな?
おいしくいただきました。

北海道そば 一灯庵
千歳市美々987-22 新千歳空港 国内線ターミナルビル 3F

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さくらももこ展

2025-03-03 05:28:17 | お出かけ♪

森ビルの「さくらももこ展」に行ってきた。

「さくらももこ展」は、まんが家、エッセイスト、作詞家、脚本家といくつもの顔を持ち、新しいキャラクターやエッセイを次々と生み出し続けた稀代のアーティスト・さくらももこの今もなお輝き続けるその全魅力に迫る展覧会です。
まんが家として、1984年『教えてやるんだありがたく思え!』でデビュー以降、『ちびまる子ちゃん』、『COJI‐COJI』といった人気作品を続々と発表。こどもから大人まで愛される作品に加え、ブラック、かつカオスなユーモアセンスが存分に発揮された『神のちから』、『永沢君』、『ちびしかくちゃん』など、多岐にわたる作品を生み出しました。
特に、1986年に少女まんが雑誌「りぼん」(集英社)にて連載開始となった『ちびまる子ちゃん』は、1990年のアニメ化以来、大人から子供まで誰からも愛される国民的まんがとなっています。

さらに、1991年に刊行したデビューエッセイ『もものかんづめ』は累計発行部数290万部(※2024年1月時点)を超える大ベストセラーになりました。エッセイスト・さくらももことして、その後も『さるのこしかけ』、『たいのおかしら』といった作品を発表し、さくらももこエッセイ三部作として人気を集めました。以降も自身の幼少期や思春期がテーマの『ひとりずもう』や『おんぶにだっこ』、妊娠・出産エピソードを盛り込んだ『そういうふうにできている』など、様々なライフステージ上でもエッセイストとしての腕をいかんなく発揮し、その確固たる地位を確立しました。
また、まんが、エッセイだけに留まらず、ちびまる子ちゃんとコジコジが夢の共演を果たした『絵本まるコジ』など、まんがを読むより前のちいさなこどもたちに向けた著書も数多く発表しました。
本展覧会では、代表作を含む約300点のカラー原画や直筆原稿をこれまでにないボリュームで一堂に展示します。
さらに、東京会場ならではの展示や企画も予定しています。
「描く」ことと「書く」ことを楽しみつくし多忙を極める一方、季節のうつろいや小さな日常をこよなく愛したさくらももこの世界をぜひお楽しみください。

会期
2024.10.5(土)~ 2025.1.5(日)
前期 2024年10⽉5⽇(⼟)~2024年11⽉20⽇(⽔)
後期 2024年11⽉21⽇(⽊)~2025年1⽉5⽇(⽇)

ほぼ撮影不可で、2ヶ所だけ撮影可能エリアがあります。

ほぼびっしり読み物なので、入場制限はしていますが、みんなじっくり読むので、遅々として進まず、帰りの飛行機が迫っておりだいぶイライラしました。

私はちびまる子ちゃんのドストライク世代なので、なつかしく読み返しました。

午前中にルイーズ・ブルジョワ展を先に見てしまってよかったです。

また、展望台は満員御礼で予約が取れなかったのですが、予想外に時間を取られてしまったので結果オーライでした。

また、さくらももこ展カフェもお昼より少し早いタイミング(11時40分頃)に入ったので、激込みする前でよかったです。

絵も字も味があり、ほのぼのしていいですよね。

六本木ヒルズを堪能しました~。
昨年は3回も東京に行ってしまいました。

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さくらももこ展カフェ

2025-03-02 08:31:45 | 食べ歩き

さくらももこ展カフェ に行ってきた。

森タワー52階にある THE SUN のカフェです。

さくらももこ展に合わせて、さくらももこ展カフェをやっておりました。

メニューです。

テーブルもさくらももこ仕様。

まるちゃんとたまちゃんのハンバーグプレート 1780円

さくらピーチオレ 1050円

空飛ぶコジコジバーガー 1680円

もものかんづめソーダ 1100円

中にもものかんづめが入っています。

4品頼んだので、4つコースターがもらえます。

おまけ
ピーチオレを飲んだら、まるちゃんの顔が伸びてしまいました。

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ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ その3

2025-03-01 07:54:11 | お出かけ♪

シュレッダー

ブルジョワは街中で見つけた廃棄物を使った作品を多く制作しました。本作では、電線を収納する大型リールが無防備に横たわる下半身だけの女性マネキンをいまにも細断しそうな、悲惨で暴力的な場面をつくり出しています。
「怒りや苛立ちを作品で表現できなければ、その矛先を家族に向けてしまう」とブルジョワ自身が述べるように、作品をつくり続けることで、衝動的に湧き上がる敵対心、嫉妬、殺意という思いを浄化していました。
特に立体作品をつくることで、恐れや失望から生まれる攻撃的な感情に形を与えることができました。そして、それらの負の感情を対象物として観察し理解することで、手なずけることを可能としたのです。ブルジョワは心の葛藤を表現するためには妥協を許しませんでした。時に見る者と圧倒し、困惑させてしまうほどの大胆な発想力を、本作は体現しています。

無意識の風景-1960年代の彫刻
本コラムでは、父の死後、精神分析に専念していたブルジョワが、創作活動の休止状態から徐々に抜け出し、本格的に政策を再開した1960年代の作品に焦点を当てています。ブルジョワが1940年代に制作した数多くの「人物像」シリーズに見られる垂直性は、1960年代に入ると、水平なフォルムや、内部空間を持つ構造に取って代わられます。制作の手法も、木彫から、樹脂、石膏、ラテックスなどの柔らかい素材を使った流し込みや造形に移行し、人体描写はますます抽象的になっていきました。
《トルソー、自画像》(1963-1964)でみられる生物形態と、人体における対称性の融合は、ここで紹介されている1940年代のブルジョワの自画像にも通じています。また、ブルジョワは、1960年代の彫刻作品のいくつかを「隠れ家」と表現しました。1962年の同名の作品を含む、巣穴か巣のような彫刻は、隠れ家がもつ保護と束縛の両方の性質を想起させます。1960年代後半から1970年代初頭にかけて、大理石やブロンズの彫刻、ドローイング群は、再び上方に向かって伸び、身体や風景を連想させる形態の反復を見せ始めました。

迷宮の塔 隠れ家 トルソー、自画像 無意識の風景

クラマー

お針子の妖精


第3章 青空の修復
最終章では、ブルジョワが長い制作活動のなかで、いかにして意識と無意識、母親と父親、過去と現在との均衡を保とうとしたかに焦点を当てています。晩年の作品でブルジョワは、家族や親しかった人々との関係を修復し、心を開放する方法を模索しています。1990年代後半から、自分や家族の衣服、日常生活で使用した布製品など、大切な思い出の品々を用いて作品制作を始めました。自身の過去と密接に結びついた素材を取り入れることで、死後もそれらの思い出が永遠に残るように希求したのです。
布の断面を縫い合わせたり、つなぎ合わせたりする行為は、ブルジョワにとって、別れや見捨てられることへの恐怖を克服する方法でした。また、それは、タペストリーの修復業を営んでいた母親の仕事を思い起こし、子供の頃の思い出を遺す手段でもありました。布の作品は、ブルジョワの有名な「部屋(セル)」シリーズのひとつである、1997年の巨大なインスタレーション作品《蜘蛛》にも関連しています。蜘蛛は、修復と癒し、養育と保護という母性のメタファーであり、ブルジョワ自身から母への讃歌でもありました。
本作では、蜘蛛の巣が部屋の形をとり、ブルジョワにとって思い入れのある品々を守っています。
《青空の修復》(1999年)にも見られる、青色はブルジョワにとって自由と開放を意味しています。青い糸で縫い付けられ、修理された5つの空洞は、ブルジョワが生まれた家庭(両親と3人の子供)とニューヨークでブルジョワが築いた家庭(妻、夫、3人の息子)を表しています。

家族

妊婦


蜘蛛
ブルジョワは、1990年代半ばから2000年代後半にかけて蜘蛛のモチーフで繰り返し作品を制作しました。一連の蜘蛛の大型ブロンズ彫刻は、現在では最も代表的な作品として知られています。本作では、蜘蛛は腹部にナイロン・ストッキングに包まれた3つのガラスの卵を抱え、檻のような部屋を守るように長い脚を広げています。囲いの壁や中央の椅子には、タペストリーが施され、その他にも、メダリオン、止まった時計、ペンダント・ロケット、愛用していたゲランの香水「シャリマー」の瓶など、ブルジョワの身の回りの品々が並べられ、失われた時への回想に誘います。蜘蛛は、タペストリー修復工房を営んでいた母の象徴であり、また自身の体内から様々な感情を引き出しながら作品をつくるブルジョワ自身でもあるのです。


意識と無意識
ブルジョワが晩年の5年間に制作した4つの木枠ガラスケースによる大型作品のひとつで、2つの直立する立体は、それぞれ意識と無意識を表しています。白い柱には、同型の布製オブジェが少しずつ大きくなって積み重ねられており、意識がコントロールされた様を表現しています。それとは対照的に、宙吊りにされ、糸を通した5本の針が刺された青い涙型のゴムのオブジェは、無意識の非合理性や、予測不可能性などを表現しています。1951年に父親を亡くして深い鬱状態に陥った後、ブルジョワは精神分析を始め、制作過程における自身の感情の役割に気付きます。無意識へのアクセスできるという芸術家に特有の能力は、贈り物であると同時に呪いでもあると考え、「芸術は正気を保証する」と宣言しました。

雲と洞窟


トピアリーⅣ
自然の生命力や再生力は、ブルジョワにとって創作におけるインスピレーションの源でした。また、庭園などに見られる常緑樹や低木を刈り込んで動物や幾何学的な模様にした造形物であるトピアリーは、ブルジョワにとって人間存在の象徴でもありました。本作では、片足で松葉杖をつく女性の腕や頭部から生えた枝に、ビーズの青い房が実り、女性らしさと豊穣の花を咲かせています。腕の根本あたりや、青い房にいくつか混じる黒い実は、時折体内から負の感情がこぼれて結晶化したものにも見えます。ある枝からは、ブルジョワが自らの精神分析をしていた頃に制作された《お針子の妖精》(1963年)を思わせる涙のような形をした茶色の鳥の巣が枝からぶら下がっています。本作は、トラウマを昇華させ作品をつくり続けたブルジョワ自身を表しているといえるでしょう。

終わり

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ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ その2

2025-02-28 05:51:21 | お出かけ♪

ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ 続きです。

授乳

出産


ファム・メゾン(女・家)
この絵画シリーズでは、女性が家とひとつになり描かれています。身体はピンク色で頭部がネオ・クラシカル様式の邸宅になった女性や、石造りのマンションと合体して飛び跳ねる女性など、家に守られている一方で閉じ込められている女性の現実を象徴しています。また《、堕ちた女》[ファム・メゾン(女・家)](1946-1947年)に描かれた女性は、家を身体の一部としながら、自由と引き換えに家族というシステムからは除外された存在のようでもあります。ブルジョワは1947年に開催されたニューヨークでの2度目の個展でこれらの絵画を別名で発表しました。1960年代後半にフェミニストのアーティストたちが一連の作品を「女性と家の関係を提起するもの」と、ブルジョワはこのシリーズを「ファム・メゾン(女・家」と改題し、女性解放運動のアイコンとなったのです。

堕ちた女[ファム・メゾン(女・家)]


ヒステリーのアーチ
頭部のない男の身体が弧を描くように反り返っています。モデルは、1980年から2010年にブルジョワが亡くなるまで、助手として公私を支えた
ジェリー・ゴロヴォイで、このブロンズ像は19世紀フランスの神経科医ジャン=マルタン・シャルコー(1825-1893)が研究対象としたヒステリーを題材としています。シャルコーは長年、女性の病とされてきたヒステリーを、その研究成果によって男性も罹患する精神病であることを明らかにしました。ブルジョワは「美しい青年の背中を反らせた無理な姿勢」の彫刻をつくることによって、ヒステリーを起こすのは女性のみであるという固定観念を覆します。本作は、無意識化にある精神的緊張のエネルギーが解放される様子を、身体の動きとして提示しています。

第2章「地獄から帰ってきたところ」では、不安や嫉妬、敵意や殺意、拒絶への不安など、心の内にある様々な葛藤や否定的な感情、そして父との確執などが作品を通して語られる。展示室には、糸巻きにつながった針が刺さった心臓の彫刻《心臓》、人間の頭部を象った《拒絶》など、ブルジョワ自身の苦しみが見る者をも突き刺すような強烈な作品群が並ぶ。

心臓


罪人2番
取り壊された建物から回収された重厚な防火扉が、小さな椅子を囲むようにそそり立っています。椅子はまるで叱責される子どものようで、罪の意識が伝わってきます。遮断された空間には自省を促すように鏡が備え付けられ、数本の矢は「お前が悪さをした」と指差す他者の視線、あるいは行き場を失った子どもの怒りと不満を表現しているようです。
本作は、1990年代前半から始まった「部屋」シリーズのひとつ。独房や隔離所などを思わせる空間に、彫刻や古着、家族との思い出の品を並べました。ブルジョワは、シリーズの制作意図を「苦悩と失望に意味と形を与えるため」とし、「痛みの存在を否定することはできない。それを
和らげることも、言い訳することもできない。私は痛みを見つめ、それについて話し合いたいだけだ」と語りました。これらの作品は抑圧できない心の葛藤を他者と共有するためのすべでもあるのです。


部屋X(肖像画)
金網のケースに置かれた、赤い布でできた人間の頭部が、他者を嘲るかのように口から舌を出しています。一見、相手を侮辱しているように見えるこの行為には、他者とつながりたいという気持ちも含まれているとブルジョワは考えていました。誰かと親密な関係を築きたいという切望と、相手を嫌悪する態度、もしくは拒絶されることの恐れを読み取ることができます。また、ブルジョワにとって、赤は感情の激しさを伝える色であり、その他にも、血、痛み、暴力、恥などを意味しています。

拒絶

どうしてそんなに遠くまで逃げたの


父の破壊
赤く照らされた洞窟のような空間の中央に壇が置かれ、その上に肉片や内臓を思わせるオブジェが散乱しています。夕食で延々と自慢話を繰り広げる横柄な父親に痺れを切らした妻と子どもが、その身体を解体して食すという、ブルジョワが幼い頃に思い描いた幻想を発想源にしています。丸みを帯びたいくつもの突起物は柔らかい身体の部位を連想させ、同時にこの場面を嚙み砕こうとする硬質な歯にも思えます。
ブルジョワは精神分析の治療を受ける過程で、近しい人たちとの複雑な人間関係が、自身の心象風景を形づくる極めて重要なものであることに気づきます。そのなかでも、父親を破壊し、体内に取り込むというカニバリズム的な行為を象徴的に表現することで、抗し難い父親への思いを断ち切ろうと試みたのです。また、肉体が波打つような抽象的な風景と、性的で露骨な身体部位の表現は、1960年代から1970年代前半にかけてラテックスやゴム、石膏などの素材で探求した彫刻表現の集大成といえます。


カップルⅣ
ガラスケースの中で抱き合う頭のない2つの黒い身体は、糸で縫い合わされ、永遠に離れることができません。しかし、大切な相手と一対になることへの幸福感が伝わってこないのはなぜでしょうか。仰向けに横たわる女性が着けている義足が均衡の喪失を象徴し、黒色が悲哀の感情と別離や見捨てられることへの恐怖を暗示しているからでしょうか。
また、ケースに閉じ込められたカップルは、人間関係に伴う息苦しさを表現しながら、他者に依存することの危険性を表現しているように見えます。ブルジョワはふたりの人物が寝そべる「カップル」を多数制作しています。その発想源は両親の行為を目撃してしまった子どものトラウマにあると述べており、混乱という感情もテーマとなっています。
本作のほかにも、ブルジョワは補装具が着けられた人物像を多く制作しましたが、それは第一次世界大戦の帰還兵を目撃した若かりし頃の記憶に起因します。ブルジョワは、自らを度重なる苦境を生き抜いた生存者と考え、手足を失った人々と自身の姿を重ねました。

つづく

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