稚内港北防波堤ドームです。
ホテルから近かったこともあり、散歩がてら見に来ました。
稚内港北防波堤ドームの由来
こ防波堤は 戦前 稚内~樺太との定期船発着所として築設されたものでアーチ型構造物として立案され 昭和6年に着工し昭和11年に完成したものであるが 激浪のため老朽が進み 昭和53年より改良施行し 完成は昭和55年である この構造物の名称は 古代ローマの柱廊を思わせる独特の外観から通称「ド-ム」と呼ばれ世界で唯一のものである
土木学会選奨土木遺産
2003
稚内港北防波堤ドーム
海です。
立派な構造物です。
稚泊航路記念碑
りしり 巡視船です。
この車輪は、昭和12年3月、C55型として製造され、我が国では49番目に当たる機関車の主動輪です。
昭和20年までは、稚内と大泊(現サハリン州コルサコフ)を結ぶ稚泊連絡船への接続列車を、戦後は急行「利尻」をけん引するなど大活躍をしました。
放射状スポークの美しいのが特徴です。
「大鵬幸喜上陸の地」記念碑
この記念碑は、2020年5月29日、第48代横綱である大鵬(1940-2013)の生誕80年を記念して、大鵬幸喜上陸の地記念碑建立期成会(代表:仲村房次郎)により建立され、同日、稚内市に寄贈されました。大鵬は、現役時代、当時の子どもたちが好きなものをあげた「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉が流行するほど、人気と実力を兼ね備えた昭和を代表する大横綱として知られています。
大鵬は1940年5月29日、樺太(現サハリン)の敷香で生まれ、1945年8月、日本がポツダム宣言を受諾した直後、ソ連の参戦で混乱する中、樺太の大泊港より母らとともに引揚船「小笠原丸」に乗船しました。小笠原丸は小樽を目指していたものの、母の船酔いが酷く大鵬一家は稚内港で途中下船しますが、翌日、増毛おきで船は潜水艦の攻撃を受け沈没してしまいました。大鵬は生前、樺太の島影を眺めることができる稚内に幾度も足を運び、「ここ稚内で降りたことで今の自分がある。横綱になれたのも稚内が原点」と、旧友である仲村代表に言葉を残しています。
カラーマンホール蓋
ものすっごく探しました。
北防波堤ドームの前の公園の道路沿いにあります。
第1次南極観測隊に参加した樺太犬タロ・ジロ、夕日に染まる利尻山、北海道遺産である北防波堤ドームがデザインされています。
このデザインマンホールの蓋は平成7年に誕生し、稚内市内各地で使用されています。
カラーマンホール蓋の設置場所を載せておきます。
稚内市のホームページには見当たらず、稚内市役所からいただいたものをスキャナしたものです。
クリックしたら大きくなります。
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