紋別市役所の前に彫刻あり。
頭にフン害を受けてかわいそうな状態になっています。
加藤顕清
波濤を越えて
像に寄せて
時代に新しい活力を与えるものは開拓と創造の精神であり一望千里オホーツクの
海原に砕け散る波濤には若々しい生命が躍動しています
若い人々が先人の遺業を偲びたくましい意欲と情熱をもって強度の伸展を期せら
れるよう希うものであります
新潮社の竣工にあたり加藤顕清氏の労作に成る青年のひたむきな向上を象徴する
像を贈り記念とするものであります
昭和41年9月 岩倉信一建立
紋別市役所
紋別市幸町2-1-18
紋別市の大山山頂園に場所を移動します。
敷地内に彫刻があります。
大山山頂園
紋別山(大山)は、標高334m、東京タワーとほぼ同じ高さです。
大山通称の由来は、アイヌ語「ポロシリ」に由来し、「ポロ」は大きい。
「シリ」は大地、山という意味です。
オホーツク・望景’83-3
1983年
作者は、齊藤顯治です。
これだけの彫刻があるのに、大山山頂園で調べても、コテージやウォーキングコース、
トレッキングコース、大山山頂園展望塔、野鳥や草花、樹木の紹介はあるのに、彫刻
の紹介が一切ないのが残念です。
齊藤顯治は紋別市出身の彫刻家です。
しなりのある形Ⅰ
1995年
紋別市のホームページに齊藤顯治の紹介があります。
日本彫刻界の巨星 齊藤顯治
昭和8年紋別市に生まれる。父は看板業(三書堂看板店)で長男だったこともあり、
デザインの勉強をするために芸大を目指した。東京芸術大学彫刻科を卒業後、
二科展に出品、特選受賞。横浜を中心に全国各地で個展を開き、平成元年、
二科展において文部大臣賞を受賞。二科会彫刻部会会員・理事を務め、共立女子
大学教授、名誉教授を歴任。
紋別市内では、大山山頂園(11点)をはじめ、スポーツセンター、紋別中学校、
文化会館等で、作品を観ることができ、地元の芸術振興にも積極的に寄与した。
生まれ育った郷土紋別を原風景として、多くの作品を残し、日本彫刻界の第一
人者として活躍した。
大山山頂園
紋別市大山町4丁目
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