伊豆国の、蛭ヶ小島🐸に流された頼朝でしたが、その間何と二十年✌、、うわあ(´゚д゚`)普通なら人として干からびてしまいそうですよね。しかし頼朝は違いました。どういう方法でかは知りませんが、島の外の現在の状況、例えば平氏の現況、朝廷の様子などの情報を把握して、ふむふむ、そうか、、と色んなことを考えていたようです。来たるべき時に備えてという感じか。そして、この蛭ガ小島で頼朝は、運命の出会い😍をします。清盛から「おい、ちゃんとあの頼朝っちゅーのを見張ってろよ」と頼まれて監視役をしていた北条時政の子である北条政子と出会ったのです。平氏側の人間と源、、言ってみりゃ仇同士ですよね、これは。当然ながら時政は最初怒り狂ったようです。が、許すんですよ、最終的に。その後、北条も色々ありましたが、とにかく、二人は結婚しました♥。、、
さて、そんな頼朝についに!チャンス到来。切れ者の実力を発揮する時が訪れました。長かったけどな、20年は。
立ち上がりのきっかけは、時の法皇、後白河法皇の子である以仁王(もちひとおう)からの令旨(命令)です。「何としても、平氏をやっつけてちょーだい!」 頼朝「よっしゃ〜!ついに俺の出番だぜ!ちゃんと準備はしてたもんね✌」実際どのように策を練っていたのかはわか りませんが、とにかく、ちゃんと人を集め挙兵したのですから大したもんです。が、、張り切って望んだ神奈川の石橋山での戦いは、平氏側が勝っちゃったのよな😞。十三歳の時の初戦同様、また頼朝は逃げました💨。どこへ?安房へ。安房っていうのは千葉県。ほんでもってこの逃げた場所が安房だったのが大当たり🎯何故か?それは、「わしら平氏にはもう、ほんと不満タラタラや●`ε´●!打倒平!やで!」の武者たちがぎょうさん集まってきたのだ。こんな事、頼朝は予測していただろうか。やっほ〜い!の嬉しい悲鳴だろうさ。結局沢山の武者たちと共に鎌倉入りし、その後再び平氏側と、今度は静岡の富士川を挟んでの睨み合い。ギラギラ燃える頼朝。そしてこの戦は頼朝側が優勢。と、ここで頼朝は、戦の助っ人として参上した二人の弟、義経、範頼に戦を任せ、自分は鎌倉に帰ってしまいます。
ここがすごいとこですよね。二人に任せて向かった先の鎌倉で頼朝は何をしたか。答えは言わずもがな、、そう。鎌倉での幕府の政治体制の基盤づくりをせっせとやっていたのです。せっせせっせ。現地で戦う弟二人や他の武者たちを信頼していたという事ですよね。頼朝、リーダーにはもって来いの人物なのだろう。戦は続く。頼朝はその後どうしたか?!
ここがすごいとこですよね。二人に任せて向かった先の鎌倉で頼朝は何をしたか。答えは言わずもがな、、そう。鎌倉での幕府の政治体制の基盤づくりをせっせとやっていたのです。せっせせっせ。現地で戦う弟二人や他の武者たちを信頼していたという事ですよね。頼朝、リーダーにはもって来いの人物なのだろう。戦は続く。頼朝はその後どうしたか?!