たどり着きそうでまだたどり着けない鎌倉時代、、。北条政子の活躍まではまだまだ遠いなあ、、。この時代も他の時代に負けじと劣らず歴史に名を残す人物が目白押しで、そこ飛ばしては鎌倉時代にたどり着けないんじゃな、多分。院政と武家との絡みがまた複雑で、わし、、来月の鎌倉旅に行くまでに鎌倉時代にたどり着けるのかしら(・・;。と思いつつ、今日も先日に引き続き後白河法皇が登場✌。晴れて天皇に即位した後白河天皇ですが、この人事を快く思わない人ももちろんおりました。そうです、前にも紹介した崇徳上皇です。この方は、後白河天皇のお兄さんだと前に紹介しましたが、実は(´゚д゚`)今日(正しくは昨日)知った衝撃の?事実が、、Σ(゚∀゚ノ)ノ!!実は、崇徳上皇のお父さんは、鳥羽法皇ではなく、鳥羽法皇のお爺さんにあたる白河法皇だったそうで、、う〜ん、、混乱する(+o+)。えーと、、うーんと、、鳥羽法皇の子とはなってますが、、鳥羽天皇のお父さんは堀河天皇だから、その更にお父さんである白河法皇が崇徳上皇のお父さん。でも家系図的には、白河法皇は崇徳上皇の曾祖父さんに当たるということですか。なんかよくわからなくなってきた。うう、、。混乱。間違っていたらスミマセン💦
で、それはそうとして、鳥羽法皇の跡継ぎに一番最初に任命されたのが、鳥羽法皇の実子である近衛天皇であります。後白河天皇じゃないのよなあ、、。しかし、この近衛天皇は残念ながら若くしてお亡くなりになってしまった。で、次に任命されたのが近衛天皇のお兄様である後白河天皇でございます。この方については、前回書きました。天皇になるまですんなりとはいかなかったのですなあ。で、なったらなったで崇徳上皇から、「俺はそんなのいやじゃ。」と思われてしまうのだから苦労が絶えません。で、、鳥羽法皇が亡くなった途端、、乱が勃発←有名な、保元の乱ですな。後白河天皇派と崇徳上皇派が争うことになります。この乱では、平氏や源氏の身内内でもどっちにつくか分かれてしまい、最後には身内が身内を裁くという悲惨なことになってしまいます。辛い時代だ、、。この保元の乱あたりから、武士の力量がどんどん増してきて、「ああ、このままじゃ皇族の力は衰え、武士たちが強くなっていくぞ
で、それはそうとして、鳥羽法皇の跡継ぎに一番最初に任命されたのが、鳥羽法皇の実子である近衛天皇であります。後白河天皇じゃないのよなあ、、。しかし、この近衛天皇は残念ながら若くしてお亡くなりになってしまった。で、次に任命されたのが近衛天皇のお兄様である後白河天皇でございます。この方については、前回書きました。天皇になるまですんなりとはいかなかったのですなあ。で、なったらなったで崇徳上皇から、「俺はそんなのいやじゃ。」と思われてしまうのだから苦労が絶えません。で、、鳥羽法皇が亡くなった途端、、乱が勃発←有名な、保元の乱ですな。後白河天皇派と崇徳上皇派が争うことになります。この乱では、平氏や源氏の身内内でもどっちにつくか分かれてしまい、最後には身内が身内を裁くという悲惨なことになってしまいます。辛い時代だ、、。この保元の乱あたりから、武士の力量がどんどん増してきて、「ああ、このままじゃ皇族の力は衰え、武士たちが強くなっていくぞ
。」と想い始めていた皇族もいたのではないかしら。後白河天皇もその一人かもしれません、保元の乱で自分の側に付いてくれた平氏や源氏たちの素晴らしい戦いぶりに感心すると共に、「この人達、、強すぎじゃないかい?やる気が漲ってるし」とも感じていたのでは、、。
事実このあと益々武士たちは強くなりだします👊。