「何か1つ」を見つける毎日(⌒‐⌒)

自然と神様と猫と木と音楽、、それからそれから、、( - ө - )

何も知らなかったっす(´-﹏-`;)、、「鶴岡八幡宮」 鎌倉時代

2023-11-11 23:10:47 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
あーっ、、鎌倉の歴史的建造物、、。今回取り上げたのは、鶴岡八幡宮でございます。わたくし、こんなにも有名な神社がどこにあるのか数年前まで知りませんでした。住んでいる山形県の、庄内地方にある鶴岡市にある神社だと思ってました。ある時、神社が好きな私は、車で鶴岡八幡宮にちょっと行ってみるか!と想い軽い気持ちでネット検索したら、あれ、、。鎌倉にある神社だと書いてあるじゃないですか。、、うわあ、、恥ずかしい。わたしゃ知らなかったよお〜😭。
というわけで、今回はこの鶴岡八幡宮について少し調べてみました。観光で行く身としては、絶対に外せない場所の一つだと思ってます。歴史は長く、約八百五十年近くも前に開かれた模様です。現在の場所に建つ前は、由比ヶ浜のあたりにあったようです。建てたのは、頼朝のご先祖様に当たる源頼義(ご先祖様まで似た名前か、、😮‍💨)この方は信心深かったようです。もともと京都にあった石清水八幡宮(の八幡神)をあつく信仰していたので鎌倉に勸請し、お祀りしたそうです。この頼義は武勇の誉れに満ちたかただったらしく、平安時代に平忠常の乱を抑えたり、あの有名な「前九年の役」で安倍氏を討ったりと、色々メジャーな戦で、戦った方らしいです。
ので、この方が信仰していた八幡宮がお祀りしている神様三神の中にも武神がおります。それが、応神天皇→第十五代天皇。そして、このかたのお母さんも三神の一人として祀られております。そう、神功皇后です。神功皇后の旦那さんは、あの、ヤマトタケルノミコトの子供。孫は仁徳天皇。壮大すぎてよくわからない(@_@;)。神功皇后も勇ましい皇后だったようです。そして、あと一人の神様は神道神である比売神さま。

最強のトライアングルですな。この神社を鎌倉の現在の地に移し建てたのが源頼朝。そして、もともとの鶴岡八幡宮を建てたのが頼朝の祖先である源義朝だということがわかった。←今日の学び鉛筆✐。頼朝も、この鶴岡八幡宮を篤く信仰していたようですなあ。


時代がそうさせるの、、。 鎌倉時代〜

2023-11-11 16:32:48 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
着々と鎌倉での政治体制づくりに励んでいたやり手の頼朝だが、幕府を開くまでの間に、いとこや弟などを、自分では手を下さず、誰かに頼んでやっつけています。これはいかがなものだろうかねえ、、。「あいつを生かしておけば、いずれろくなことにならないだろう😟」と思う気持ちもわからなくありませんが、非情ですね。こんな一面を持つ頼朝を、妻、政子はどんな思い出見ていたのでしょう。今となっては知る由もありません。しかし、政治をうまく運営するための策の一つだとすれば、頼朝はやはりやり手だと言わざるをおえません。まず、初めに頼朝が厄介な奴だと思ったのは、頼朝のいとこに当たる、木曽義仲こと源義仲です。俊敏さに長けていたとみえて、例の、以仁王の令旨の際、いち早く戦の場に躍り出て平氏をやっつけまくり武勇を周りに見せつけたのだ。どうだ😤!とばかりに、入京後は平氏を追い払い、後白河法皇から、「あんた、なかなかやるねえ」と褒められ、左馬頭、越後守を命ぜられ将軍にまでなったのにい、、結局調子に乗りすぎた感もあり、あーあ、結局は法皇から嫌われちゃう。こうなりゃ破れかぶれよ、とやけになった義仲は頼朝とも仲違いしてしまいます。才能はある人なのに、惜しいわねえ(;_;)。で結局、もう、義仲はいらんな、、と見限ったのか、頼朝は弟の義経、範頼に義仲を何とかして。と命じます。んー、、いくら厄介者ったって彼らからしたら、義仲は従兄弟じゃありませんか、、😭厳しいなあ、、(;´д`)トホホ…。そして、この時、頼朝の命令に従い信長をやっつけた義経も、のちに、頼朝に討伐されそうになります。、、兄弟やないかー。身内ないかー。仲良くせいやー。というのはこの時代には通じない理念だったのかしら、、。ああ、、。、、それにしても、、人物ありきで書き始めたため、初めの目的、鎌倉時代の、鎌倉の寺社や名所を歴史的人物に絡める、というところになかなかたどり着かないなあ、、。そろそろ、鶴岡八幡宮とかにたどり着くようにしたいのだが、、。