ありがたき毎日(⌒‐⌒)

今年は神様と、、( - ө - )

Baby天皇誕生 なのさ。 鎌倉時代の少し前

2023-11-19 15:49:30 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾
平清盛は保元の乱、平治の乱と勝ち進みまさに飛ぶ鳥を落とす勢いでげす。

後白河上皇が自分で選んだ跡継ぎの二条天皇は短命でしたが、頑張り屋さんでした。院政を敷き、力をちらつかせる後白河上皇に反発もしました。実力も兼ね備えていたはずなのに、病が、、(;_;)。そして、いよいよ病が重くなりもうだめだという時に息子の順仁を跡継ぎにしますが、この時順仁はまだ0歳、、。赤ちゃんや😞。でも、とにかく0歳でもなんでも、順仁は即位して六条天皇となりました。後白河上皇は気が気でありません😟。何故でしょう?それは、六条天皇派の力が強くなり自分の立場が危うく事を恐れたからです。
色々心配が尽きない後白河上皇、、。ソリャソーダ。で「どうすっかな、、🤔、、あ、そうだ💡」こういう時に素晴らしく頭が働く後白河上皇。「自分の子供を皇太子にしておけば安泰じゃないか。」ややこしいですが、つまり、自分の孫の跡継ぎに息子を指名した、という事です。当然ながら0歳よりは年上の息子。「憲仁。5歳🖐。」こちらが皇太子となりました。これなら安心じゃろ。そして更に、何だかんだと理由をつけ、六条天皇を退位させ、憲仁を天皇にしたのです。これが高倉天皇でございます。
ちなみに、若くして亡くなった二条天皇同様六条天皇もご病気で若くして亡くなりました。
高倉天皇のもとに嫁いだのは、実力者、平の清盛くんの娘、徳子。たいら清盛にすれば「これで俺もいよいよ名実ともに、、ヒッヒッヒ、、( ̄ー ̄)」

といったところでしょう。だが、、清盛は、いかんせん、強くなりすぎました。出る杭は打たれる。敵多し。といったところか。、、。そして、清盛くんをよく思わない人の中に、他ならぬ後白河上皇もおりました。「何だかなあ、、最近の清盛くんは権力が増してきて、何か不安だなあ、、😮‍💨」←後白河上皇、心の呟き。
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乱が止まらない 平治の乱 鎌倉時代の少し前

2023-11-19 13:21:44 | 🇯🇵知れば知るほど、、日本の歴史🗾

保元の乱で、武士の手を借りて勝利した後白河天皇、、まずは一安心☺。「わし、、息子に皇位を譲るわ。ほんで、わしは、上皇になりますがな。」決断早く、後白河天皇は息子を天皇にし自分は上皇になりました。息子は「二条天皇」となりました。さて、、それで安泰かといいますと全くそうではなかったのだ。
後白河上皇には、僧侶でもあった信西(藤原通憲)というやり手の側近がおりました。彼の母さんは後白河上皇の乳母をしてまして、まあ、そんな関係からちゃっかり側近の座についてたわけですか、実際に仕事もできる人でした。この信西に何気に近づいていったのが例の、平清盛です。近づいて、信西に好かれるよう頑張るのでした。 すると、今度は、これを面白くなく思う方たちが現れます。保元の乱で後白河側について戦った源義朝と、後白河上皇の重臣である藤原信頼です。藤原信頼👨「なんだかなあ、、。信西なんか大した家柄でもないくせに、後白河上皇からやけに気に入られてるよなあ、、(●`ε´●)」

源 義朝「おいら、保元の乱であんなに頑張って勝利したのに、何で清盛ばかり出世するんだヽ(`Д´)ノ報われんよなホント、、🔥」←と、こんな感じです。面白くない想いを抱いていた二人は結束します。コソコソコソ👂。作戦を練り、平清盛が熊野参拝に出かけてる間に信西を捕まえて、死に追いやってしまいます。これが、平治の乱の始まりです。やれやれ、また乱か、、。結局、急いで熊野から戻った平清盛が挙兵し藤原と源を破り、 藤原頼信も源義朝も◯刑されてしまいます。

この、平治の乱で父とともに戦に初参戦したのが、源頼朝。
繋がりましたなあ。父はやられてしまい、頼朝も島流しになりました。が、その後の活躍は以前こちらのブログでも触れましたね。近づいてきた、、少しずつ鎌倉時代が近づいてきた、、。

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