永遠のおでかけ(益田ミリ/毎日文庫)
この人も、短い期間で2冊目を紹介することになった。本屋で新しい文庫を見かけたものだから。
叔父さんが死んだ話から始まり、1年もたたないうちに父親の具合が急に悪くなる。やがて父を見送り、ふとした折に父を思い出して・・・
父親の死の前後を綴ったエッセーである。21章からなるが、気になるのはそれぞれの章が書かれた時期のこと。エッセーはよく、雑誌などに連載されたものが、ある程度まとまると単行本として出版される。もしこの本が、そのような形で現在進行形で書かれたものならば、そんな作業ができる人の頭の中はどうなっているのだろう、と思った。
(現在進行形のエッセーといえば思い出すのが、町田康氏の『猫にかまけて』に始まる猫エッセー。あまりに痛ましすぎて、2冊目まで読むのが精いっぱいだった。そういえば、この人もエッセーしか読んだことがない。)
文庫では、最後の1章だけ、少し遅れて書かれたこと以外は分からないので、調べてみると、文庫になる前の本は書きおろしで出版されていた。(しかし、筆者が現在進行形で書いていた可能性は否定できないが・・)
と、余計なことを書いたが、作品そのものは、この人の良質な部分がにじみ出ており、エッセーとしての代表作、と評されてもおかしくないと思う。
この人も、短い期間で2冊目を紹介することになった。本屋で新しい文庫を見かけたものだから。
叔父さんが死んだ話から始まり、1年もたたないうちに父親の具合が急に悪くなる。やがて父を見送り、ふとした折に父を思い出して・・・
父親の死の前後を綴ったエッセーである。21章からなるが、気になるのはそれぞれの章が書かれた時期のこと。エッセーはよく、雑誌などに連載されたものが、ある程度まとまると単行本として出版される。もしこの本が、そのような形で現在進行形で書かれたものならば、そんな作業ができる人の頭の中はどうなっているのだろう、と思った。
(現在進行形のエッセーといえば思い出すのが、町田康氏の『猫にかまけて』に始まる猫エッセー。あまりに痛ましすぎて、2冊目まで読むのが精いっぱいだった。そういえば、この人もエッセーしか読んだことがない。)
文庫では、最後の1章だけ、少し遅れて書かれたこと以外は分からないので、調べてみると、文庫になる前の本は書きおろしで出版されていた。(しかし、筆者が現在進行形で書いていた可能性は否定できないが・・)
と、余計なことを書いたが、作品そのものは、この人の良質な部分がにじみ出ており、エッセーとしての代表作、と評されてもおかしくないと思う。
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