8月5日。でんすけ君が死亡したことを知りました。飼い主さんからの直接の連絡ではなく、
ペット霊園ニルバーナさんから教えていただきました。飼い主さんは高齢です。
2年前くらい前までは、お手紙のやり取りをしていましたが、それがプッツリ無くなり、
飼い主さんのことを心配しておりました。でんすけ。思い出深い猫です。
地域猫と言う言葉のない時代に、大きな公園に遺棄された猫。
公園に集まる多くの猫好きさんから可愛いがられていた、人気猫でした。
その猫が、2013年1月15日。大雪の日に突然、いなくなったのです。
この時期は、まだSNSと言う言葉は聞いたことなく、
私はブログのみで不明猫のことを拡散希望し、今で言う「バズる」になりました。
当時のブログ閲覧数は、万を超えました。通常の閲覧が300〜500だったので、
びっくりしました。SNSの始まりだったのかも。
2013年1月25日ブログ 迷い猫を探しています!石神井公園の猫/でんすけ君
拡散希望のブログを多く書きました。結果は、ブログ繋がりで探せたのです。凄い力でした。
当時、でんすけ以外にも人慣れしていた多くの猫が、過酷な公園暮らしをしていました。
その数は70匹を超えていたと記憶しています。突然、消える猫も多かった。
でも誰も必死で探さない。私は、それに不満をもっていました。
でんすけ君には、必死で探す人がいました。
だから協力したのです。私は公園では、直接的なボラではなかったのです。
当時の私は譲渡会を夢中で行なっていたので、譲渡会宣伝用の新聞チラシの
裏に、「迷い猫探しています」のポスターを剃りました。配布数2万枚。
情報は、とても多かったです。情報のたび、自転車で駆けつけていました。
そして見つかった。保護できて、そこから餌をあげていた人の家で
暮らしていました。
不明猫になった時が、推定で5歳。保護されて家猫となって9年。
15歳くらいでの死亡でしょうか。人が好きで、穏やかな猫だった、
でんすけ君の生涯は幸福だったと思います。
でんすけ君が幸福になるお手伝いをできて、私も嬉しい。
私が地域猫活動、保護活動を全力で進めていた時期の捜索、成功例でした。
そして私が、猫ボラの世界に入ったキッカケは、でんすけ君でした。
このブログ記事の中のブラッシングをされていた猫が、でんすけ君だったのです。
保護猫も自分も、どんどん歳を重ねております。当時の餌やりさん達は皆、80歳を超え
餌やりボランティアさんを引退されています。引退を勧めたこともありました。
時間が流れています。寂しいですが、仕方ないことです。
でんすけ君を探すため、自転車で一緒に駆け回っていた捕獲名人中野さんも、
もういない。私たちの時代が終わった。寂しいけど仕方ない。
歳ですね。仕方ないが多いです。ため息が多い。
そのうち、私も消える時期がくる。
仕方ない・・・消えるまで頑張ろう!と思う毎日です。頑張ります!
でんすけ君
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