週刊 最乗寺だより

小田原のほうではなく、横浜市都筑区にある浄土真宗本願寺派のお寺です。

勝田山 最乗寺
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もったいない

2013-06-20 22:35:02 | 法話のようなもの

先週から風邪を引きずっています。
感染源は龍くんで、夫婦そろって防ぐことができませんでした。

今回の原因は、龍くんの残り物を食べたからと推察しています。

いつもなら、「龍くんが食べ残す→もったいないと私が食べる→私肥える」というパターンです。
今回は、「(風邪菌を有した)龍くんが食べ残す→(気づかずに)もったいないと私が食べる→私風邪ひく」という変形パターンとなったようです。

ふと気がつけば、何度となく「もったいない」を口にしています。
口にしなくても、そう思った末の行動を無意識のうちにしています。

「使えるのに無駄にするのが惜しい」など、大事にしようという心が備わっているからなのでしょう。

漢字で書くと「勿体無い」。

そもそも、この「勿体」は和製漢語で、もともとは「物体」と書き「もったい」と読む仏教用語だったそうです。 (出典が分からないので、一説としての紹介に止めます)

「事勿(なか)れ主義」ともいうように、「勿(まな)」は「してはならない」「いけない」という意味があります。
「体」とは「姿」であり、何も損なわれていない「本来あるべき姿」という意味が「勿体」にはあります。
それを無にするということで、「もったいない」。

浄土宗のHPには、このようなことが書かれています。

「もったいない」というのは、世の中の事々物々すべては、みな互いにもちつもたれつの関係でこそあれ、それ自身単独で我が本とすべき存在ではない、という仏教の基本的な考えを示すもので、「体なし」すなわち「勿体」という漢字をあてるのである。
逆に言えば、「勿体」は事物のすべてが互いに多くの縁でつながっている状態を示し、「勿体ない」はその一端をつぶし汚す結果を招いたところからでたわけである。

いわば「おかげ」を無視して万物のいのちを無駄にする心が「もったいない」に通じるのである。

「もったいない」の類語には「有り難い」があります。

風邪菌なんて勿体なくないと思うのは当然ですが、そんなふうにいろんなものを分別している自分に気づきます。
それでも、龍くんとつながり合えていることを教えてくれるなら、風邪もまた有り難いと思えるから不思議です。

見たいものを見るのが私の目です。
どうせ見るなら、「もったいなくて」「有り難くて」「おかげさま」な世界を見たいですね。