20世紀は「戦争の世紀」と言われています。
21世紀もまた「戦争の世紀」と言われるようになるのでしょうか。
9.11
父親が犠牲となり、その不条理な死を受け入れられなかった幼い息子は、敵に対して「核を落とせ」と言い張りました。
5年後、少年は自国の掃討作戦に巻き込まれた一般市民から、自分達が憎まれていることを、怒りの矛先を見失っていた過去の記憶を思い出し、自覚します。
「憎しみが世界中を回っている」
暴力を受け、暴力を返し、それをまた暴力で返す。
その連鎖に歯止めをかけることはできるのでしょうか。
自問自答しても、答えは出ません。
ただ少なくとも、人間の愚かさと、その愚かさへの反省と許しがなくてはならないということだけは分かります。
「人は己れより愛おしいものを見出すことを得ない。
それと同じように、すべて、他の人々にも自己はこのうえなく愛しい。
されば、己の愛しいことを知るものは、他のものを害してはならぬ」
仏典にあるお釈迦さまの言葉です。
自分より愛しいものがいないということは、「他人より自分が大事」 「自分さえ良ければそれでいい」ということではありません。
誰もが自分が大事と思っていることに気づき、その上で自分を思うがごとくに他者を思うということです。
「同じ大切さ」
その言葉を字面だけではなく、本当の意味で受け止めることができたとき、人は初めて反省と許す心が生じるのかもしれません。
他でもない自分自身に、その心があるのだろうか…?
いずれ回ってくるであろう憎しみに、暴力で返しはしないだろうか…?
もしかしたら、父親を失った少年のように、己れの正義を振りかざそうとはしないだろうか…?
9.11
私には、宗教者の責任という自覚が問われています。