最終回文庫 ◇◇雑然と積み上げた本の山の中から面白そうなものが出てきた時に、それにまつわる話を書いていきます◇◇

※2011年9月以前の旧サイトで掲載した記事では、画像が表示されない不具合があります。ご容赦ください。

回想 「クリちゃん」の作者 根本進さん

2016年03月10日 | 気になる作家/画家





ある資料を探していたら、書棚にあった、この本の存在に気づきました。



ある年代以上の方は、朝日新聞の夕刊に連載されていた4コマ漫画の「クリちゃん」を覚えておいでだと思います。

調べてみると、連載されていたのは1951年10月1日から1965年3月31日で、作者は根本進さん。
当時、我が家では「朝日新聞」を取っていて、ひとつひとつの作品は覚えていませんが、載っていたことは覚えています。


この本は1965年に出版した私家版の海外版。海外版と言っても、「まえがき」に相当する一文が日本語、英語、フランス語、ドイツ語で表記してあるだけで、この漫画には吹き出しは無く、絵だけでわかってもらえるのですから世界共通ですね。

この本には2001年1月12日付の自筆署名と私宛の献辞があります。
献辞にはこう書かれています。

ちょっとした思いつきから……
貴社に伺い、貴兄にお眼
にかかれたのは、本当に幸せだ
ったと思います
これははじめて自分一人で作った本ですが
今になってみると僅かながら(数冊ながら)よくとっておいたものだと思
っています
不備だらけ(特に外国文字)
 いつも慌てていますし不勉強ですし不熱心でした

おそらく本を送っていただいた前年の2000年かその前の年のことだったか……ある日、私が勤めていた出版社に、背丈ほどもある杖を手にした老人が訪ねてきました。最初に応対した総務課員からの内線電話を受けたのが私でした。
質問内容が何だったか覚えていませんが、社の出版物に直接かかわる質問というよりは、一般的な自然科学の領域の質問だったように思います。調べることは嫌いではなかったので、調べた範囲でまとめた資料を後日お送りしたんだったと思います。
その後、頼りになると思われてしまったのか、何度か電話があり、こちらからも電話をかけた記憶があります。
その時に何を話したんだったか……。その老人が「クリちゃん」を描いていた根本進さんだということがわかったのはいつだったか……。記憶が定かではありません"(-""-)"

この本は会社に郵送されてきたのですが、数日おいて同じ本がまた届きました。ほとんど同じ内容のことがしたためてあったと思います。
「と思います」というのは、仕事をお願いしていたデザイナーに「根本進さんから同じ本が2度届いたんですよ」という話をしたら、彼が根本進さんを敬愛しているというので、それならとダブった1冊をプレゼントしてしまったので手元にないのです。
後日知ったことですが、晩年の根本さんは物忘れが激しかったらしく、雑誌の連載にも支障が出て続けられなくなったようです。
尋ねられたことを調べてコピーを送ったはずなのに、届いていない(手元にない)と言われことがありましたっけ。

根本進さんが亡くなられたのは2002年1月で、85歳だったそうです。

亡くなるひと月前、2001年の12月、銀座の伊東屋でのこと。
伊東屋のエレベーターは年末で特に混んでいて、途中階からは乗れないことが多々あったので、最上階まで上がって、階段を下りながら面白そうな階を覗いて下りていた時、独特の大きな声が聞こえてきました。「あれっ? 根本さんの声では?」と声がした方を見ると、エレベーターホールの人ごみの中に、長い杖を手にした根本さんの姿が見えたのです。

ですから、新聞の訃報欄を見た時にはにわかに信じられませんでした。
訃報を聞く直前に銀座で姿をみかけたことがあったはず(いつだったか記憶はなかったものの、その状況だけは克明に覚えていました)と、当時の手帳を探し出して日付を辿ってみたら、訃報欄を見た日に「先月お姿を見かけたのに」とメモしてあり、その日が2001年12月の何日だったということがわかりました。

最初にお会いしたのは、おそらく根本さんが83歳の頃だったのでしょう。その歳で、亡くなる直前まで都内のあちこちをひとりで闊歩していたのですから、大したものだと思います。


10年と少し前のことなのに、これほど記憶がアヤフヤとは、いやはやなんとも情けない限りです(^_^;)