我・愛・ 泉州 信太の森 【信太山丘陵】

~恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉~
★★森羅万象・自然・人生 ★ 凡人の散歩絵日記★★

草むしり!

2012-06-13 07:11:26 | 日記

※写真は我家のサツキと庭の苔!!

今朝も朝早々に小鳥の囀りと共に目が覚めた。早朝jogと思ったが昨日走ったので
今日は休む事にした。今年は庭の皐月が満開だ。不思議な事に年によって花が咲く
年とそれほど咲かない年がある何故かは分からないが・・・!まぁ綺麗だなぁ~と
見ていたがその周りがいけない!草だらけだ(;;)で小一時間ほど草むしり!に専念
する羽目に。これが難儀で腰は痛いは、蚊に刺されるはで。何かで禅の修行に草む
しりがあると言ってたが・・・
又々netで調べてみたら、立命館大学非常勤講師の門屋秀一氏の講演内容があった。
我が家の庭とはかけ離れたテーマだが、「日本庭園の美」と題した講演会!

以下要旨抜粋
/////
庭園は時代の思想を反映している。11世紀中ごろから、仏法の力が弱まる末法にな
ると信じられ、公家は阿弥陀如来に帰依して来世である西方極楽浄土に救われるた
め、阿弥陀堂を池の西側に配置する浄土式庭園をつくらせた。
1185年、源頼朝の時代になり武家が台頭してくると、書院造りが好まれる。新しく
到来した禅宗の思想に帰依した武家は、公家のように舟で詩歌管弦を楽しむことは
せず、仏道修行として池泉の周囲を回遊して思索することを好んだ。さらに書院か
ら庭を眺める座観賞式庭園も生まれた。禅の修行の厳しさを表現するのが枯山水。
臨済宗の僧であった夢窓疎石は、水を使わず象徴的に山水を表現した。鯉に見立て
た石を配置した。「鯉の滝登り。滝を上り詰めれば、鯉は竜になると。それだけ修
行を積まねばならない鯉なので、修行を尊ぶ禅宗では絵のモチーフにした」。苔寺
で知られる西芳寺や天龍寺の庭はその代表作だ。
鎌倉幕府が崩壊して、室町時代、そして応仁の乱(1467-1477)で都は荒廃する。
無を標榜する禅宗が隆盛し、枯山水庭園が発展する。
臨済宗の僧でもあった足利義満は金閣寺を造営する。
「この建物は実にちぐはぐ。3階建ての1階は公家の寝殿造風、2階は武家の書院造風、
そして3階は仏殿風で、結局、仏教で世を治めたいとの表れになっている」
江戸時代になると、大名は将軍や他大名の迎賓館の一部として庭園を整備した。
それは幕府に謀反の意がないことを示すことでもあった。加賀藩の兼六園はその代表
格でもあった・・・
/////
「庭園の美と草むしり」について門尾氏が言及する。
「日本の庭園は美しい。これは雑草を抜き去り落ち葉をかいてきれいしているから
その美は保たれる。まるで雑念を払う修行のような作業です!!」と。
草むしりとは禅の修行のようなものである!と言うが・・・><;)!
死ぬまで修行てことになるなΣ(゜ロ゜;)!!ガハッ!!


さぁ今日も一日頑張るぞ~(^^)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする