さみしさを見つめることを、昨年末は徹底してやってみました。
まあ、泣ける泣ける(T_T)
もともとさみしがり屋さんのうえに、かまってちゃんの私なので、さみしいを直視できないでいたんです。
1年ほど前も、さみしさと一生懸命向き合おうとしていたけど、向き合いきれずにいた部分を見れたかなーーと思います。
ムリして向き合う必要はないんですよ。
ただ、もう、同じところをぐるぐる堂々巡りしていたくなくなったんです。
この、迷路でも何でもないのに、痛みを引き受けることができないばっかりに、ただ同じところをぐるぐる回っている感じがつらくてしょうがなくなったんです。
おかげで、
さみしいって泣けちゃう私が、いじらしくて可愛いと思える自分になりました。
(あはー、恥ずかしい(/ω\))
さみしいとか、かなしいとか、感じずに生きていけたらいいけど、
不必要なものってないはずだから、そういう気持ちと出会ってしまったら、
じっくり感じてみるのも、一つの手ですよ(だいぶ痛いけど(ーー;))
自分の世界が一つ深くなる気がします。