昭和20年(1945年)8月15日
今から66年前のこと。
平成という年号に変わってからというもの、
昭和20年と言われても、何年前かすぐ計算ができなくなった。
「終戦の日」とかいうけど、実際は強制終了させられた日…
もう負けている戦いだと分っていながら、終わらせることができずにいた。
もし、もっと早くに敗戦を認めていたら
日本はどんな国になっていたんだろう……
66年も経って、今更「たら」「れば」はないけど、
それでも、やっぱり考えたくなる。
哀しい思いや、苦しい思いをした人は、もっと少なかった…よね? って。
敗戦国日本。
歴史を知ろうとしない若者の中には、
日本とアメリカが戦争したことすら知らない人もいる。
…描けない………というか、描きたくない。
確かに、語り継がれる悲惨な戦争体験は、
若い頃のMはウザったいと感じていた。
もう終わったことを、いつまでもしつこく何だろう?? って。
でも、それが必要なことだと気がついたのは、大人になって暫くしてから。
知らなければいけないこと。
戦争の悲惨さは、語り継がなければならない。
でも、体験をした人でなければ、その臨場感は伝わらない。
そろそろ限界に近いのかもしれない。
他国で繰り広げられる戦争の様子。
まるでゲームの世界のよう。
そして風化してしまい、また同じことを繰り返す??
今は情報が溢れすぎていて、
知らなくてもいいことばかり知ってしまう。
本当に知っていなければならないことは後回し。
今日の日記のタイトルは、浜田省吾のRISING SUN(風の勲章)の歌詞の一部。
この後に、
過ぎ去った昔のことと 子供達に 何ひとつ伝えずに この国何を学んできたのだろう
という歌詞が続く。
辛い過去は思い出したくないし、子供達に同じ思いはさせたくない。
過保護になりすぎて、本当のことを語れずにいたんだろうか…って、
Mは何となく思ってた。
戦いに敗れた後、すっかり復興した日本は
お金まみれになった人間が傲慢になってしまった。
一次産業は軽く見られ、都会に人が集中して
マネーゲームが盛んになった。
わざわざ体を動かさなくても、大金が面白いように動く。
こんなに自然が豊かな国なのに、外国に頼った食文化になっていく…
いつまでも続く力関係。
日本には資源が無いから、原発で諸外国と肩を並べるしかない。
こんな大義名分がまかり通り
お金にモノを言わせて、地震大国の日本のアチコチに原発をつくり
想定していた人には当然のような想定内の事故が起こった。
でもそれは国と御用学者によって「想定外」と言われて
責任逃れをされる一歩手前まできていた。
でも、これからが正念場。
汚染された土地や水、草木…自然はすぐ元には戻らない。
敗戦の日に思う。
原子力にねじ伏せられた日本が、
皮肉なことに66年後、その力で国民を翻弄させてしまった。
戦後、明るい未来を夢見て勤勉に働き、懸命に復興した国なのに、
これからの未来は、放射線によって汚染されたせいで
絶望しか見えないような事態に陥ってるって。
総理大臣がかわろうとも、今スグ原発の収束をみることはできない。
今より悪い状態にならないことを祈るだけ。
それこそ、「平和でありますように」…みたいに、呪文のように口にするしかない。
どうせ、下々の願いは届かないんだし…
そしてとらわれの 貧しいこの国
顔そむけて犯してきた誤ちの償いを
全ての空へ 全ての人の上にへと
子供等の明日を巻き込んで
「とらわれの貧しい心で」 詞:浜田省吾
※あ~…ちなみに、
浜田省吾さんの歌詞の意味と、Mの思っていることには、全く関連性は無いデあります。
万が一、混同されたら迷惑をかけちゃいますんでね。
一応、おことわり……ってことで。