歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

連峰縦走

2012年01月16日 | 徒然 -tzure-zure-
寒中お見舞い申し上げたい、今日この頃。

如何おすごしでしょうか。




ここ東京は、
冬型の気圧配置で、ひたすら乾く日々でした。
、が、

ついに現れました!



雪んこマーク!

今夜未明に、ちょっとだけ降るとか、降らないとか。

初雪です。
久しぶりの湿度です。



お正月以来、またしても滞ってしまいましたが

とにもかくにも、働いておりました。

昨年末に 先送りにしておいた案件を、正月明けからスタートダッシュで、
えい!えいえい!えい!と、
次から次へと、さばいているところです。

昨年末、あんなに永遠に終わらない感じをずるずる引きずってたのが、嘘のよう。

年が改まるっていうのは、効果があるんでしょうかね。

締め切りがあるからやむなく、追い込んでやっているっていうのもありますけども。


それにしても、

一山越えても、またもう次の山。
その次の山を登りきったら、またさらなる次の山がお待ちかね。

山登りが終わりません。

これは、なんだか、あれだなあ、何かに例えられそうだ。

と思ってしばらく過ごしていましたが、

ひらめきました。


「連峰縦走」。


連なる山山を、延々と駆け抜けてゆく所業。


最近はずっと、そんな感じです。







そんな中でも、仕事だけじゃなく。



正月早々、「初釜」が、ありました。
9日祝日のことでした。

初釜というのは、年明け最初のお茶会のことです。
羽根木公園にあるお茶室にて。


徹夜で図面を書き上げてから、挑んだお茶会。

むしろ早く着いたので、
朝の公園を散歩。


梅のつぼみ。



まるく膨らんでいる。

そうそう、梅は、
もうすぐ咲く。


この日は まさに「初春」という言葉の似合う、
うららかな晴れの佳き日でした。




お正月休みといえば。自分はすっかり風邪を引いて寝込んでたのでしたが、

「お正月休みといえば」的な 季節遊びの名残りが




空のこずえに。引っかかっていました。

いと微笑まし。



お茶会。
特にお濃茶の席は、しーーーーんと静まり返っていて、しかも、
炉の熱でけっこう暖かい。


ぽーんと意識を失ってお茶碗ひっくり返すか障子ぶち破るかとヒヤヒヤしましたが、
なんとか持ちこたえました。






日曜は、休みました。

友達に教えてもらって、慌てて駆けつけた、東京現代美術館(MoT)。

『建築、アートがつくりだす新しい環境 ー これからの“感じ”』行ってきました。最終日。

美術館に着いて、入ろうとしたところで、おばさんに呼び止められて、



インヴィテーションチケット、つまり無料招待券、もらった。

びっくりラッキー。

日頃頑張ってれば、好い事があるもんですねー、なんて、ちょっと浮かれた気持ちにもなりますね。


そんなこんなで、タダで見た、久しぶりのギャラリー展示。

ちなみに後ろに見えているのは、平田晃久の『ブルームバーグ・パビリオン』です。
建築学科時代の同窓生が関わっているそう。自分では、思いつく事さえ出来ない、到底構築できない世界。

それぞれみんな、「我が道」を邁進してるんだなあと、
ちらほら目の当たりにするようになってきて、本当に感慨深いです。





その他の展示内容は、残念ながら写真撮れなかったので、これがこうこうでとか、ちょっと伝えにくいんだけど、

印象に残ったのを挙げますと:

本展の主催でもあるSANAAの「ロレックス・ラーニングセンター」(@スイス)を、
映画監督のヴィム・ベンダースが3Dで撮ったフィルムは、なかなか面白かったです。あの建築空間を疑似体験できた、という点で。

SANAAの建築って、とにかくまず、白い。そして
軽い・薄い・細い・無味無臭、無菌室的、空気が薄い(というか、空気を感じさせない)・強迫神経症的清潔感。
総じてまとめると、未来SF的だなーという印象があります。よくも悪くも。

気になった点。
映像の中でフィーチャーされる何人かが、その建築の中でなんか、ふと立ち止まって、
すふーん、って、
目を閉じて、深く息を吸い込む。みたいな行動をするんだけど、
それがなんか、違和感ありました。

空気の存在すら感じさせないくらいの雰囲気があるあのSANAA建築の中で、すふーんっ、なんて、深く匂いを吸い込む(そしてうっすら微笑む)なんていう行為に至るのは、自分にとっては、あまりにリアリティが薄くて。

自分だったら、すふー~~ん、って 深く息(その場所の空気)を吸い込みたくなるのは、
ああいう密室無菌空間的な場所ではなくて、たとえば森の中とか、
滝の目の前とか。自然のまっただ中の、空気の甘い、花や緑の香りや気配のある場所だよな、と。

本当に、きわめて個人的なリアリティのよりどころの違いという、それだけのことなのかもしれないんですが。
SANAAに匂いを感じるひとも、濃密な空気を感じるひとも居るだろうし。

模型だけを見たときはほんと全然どーでもいいわと思ったんだけど、映像に、やられた。
建築自体はとても面白いし、実際に行ってみたいと思いました。スイスだけど。


他に印象に残ったのは、


・荒神明香の『コンタクトレンズ』という作品。

いろんな大きさの「コンタクトレンズ」(619個だそうな)がちりばめられた、複眼レンズで世界を見るかのような、きらきらした光の粒の集まるカーテン。
まず普通に綺麗なんだけど、
作品を裏側からほえーっと覗いてるヒトの顔が、あるレンズではどばーんとドアップで見えてたりして(本人にはわからない)、ということは、自分の間抜け面も向こうからドアップで見えてたりするのか、と思ったら、
ぷーっ!って、思わず笑ってしまいました。素直に面白かった。


・近藤哲雄の『森への小径(A Path in The Forest)』

エストニアの森の中を縫うように回遊する、薄い鉄板で出来た小径。柱が一本も無く、ところどころ木々に寄りかかって出来ているというところに驚嘆。まさに空中回廊。できるんだなあ、ほんとに。って、感心。


・石上純也『ガラスのシャボン玉』

この人は、注目に値する。

以下、ちょっと真面目腐って批評めいたことを言ってみます。


建築界のひとの視点は、主語がどこまでも「人間」だ。「自然」が主役になること、視点が自然の側に立っていることは、滅多に無い。建築は人間が使うためのもの(住むための機械)だから、当然といっちゃ当然だろうが。でも、やたら「自然との共生」とか「環境とのなんちゃら」とか、簡単に口にする。その割には、一度たりとも自身を外=自然の方に置いていない、そんな気がする。建築家の視点や考え方は、あくまでも、自然の外。「自然」の対立項としての「人間」の方に、いつもあって。本当に自然のことを考えている人はまず居ない。
例えば、100ヘクタールの空っぽの敷地を、豊かなガーデンにしよう!とか言って、1万本のソメイヨシノをどどーんと植えてしまえ!という案を考えたりするのは、まちがいなく建築家だ。あるいは、全面芝生とか。環境って、そうそう安易ではない。木々は、ひとつひとつ個性がある。土、日のあたり方、数メートル離れただけで全然違う環境になるってこともある。

そこがまあ、仕方ないながら、「自然との・・・」云々を口にするんならもうちょっとなんとかしてくれと、残念だなあと思う。、、、その一方、そのラインを乗り越えてこられてしまったら、こっち側=庭を作る仕事をしてる側が、困っちゃうわけなので、
いっそいつまでもそこに留まっていてもらいたい気もする。それで、庭とかについては、積極的に委ねて欲しい、その道のひとに。

、なんて甘い事を考えていたら、この


石上純也

このひとは、なんかそのラインを乗り越えて来そうな感じがあって、
ひやっとさせられる。

庭を作る仕事をしている人は、善くも悪くものんびりしている人が多いけれど、ちょっと戦々恐々としたほうがいいんじゃないかなと。建築家は肉食系なのか、積極的にガツガツ出て行くけど、庭のひとは(それこそ草食系なのか)、基本的に自己主張をしない、目立つまいという風潮がある。だから、こういう「乗り越えてくる」ひとが出てくると、一気に負けてしまうと思う。一人でも風穴が空けられてしまえば、追従は容易いから。

この人の作品をみるたび、怖いなあと、思ったりしている。


というわけで、
偉そうにちょっと長く語ってしまいました。


そんなこんなで、この展示を見た後、常設展に紛れ込んでやってた浅井裕介の、土で描いた巨大な特別展示が、すごかった。

それからその後、 歌川国芳展@六本木にも行ったのですが、




今日はここまで。明日も早くて長いので、もう寝なくては。

ゆうべから天井裏でネズミの五倍くらいの大きさの何者かが暴れ始めたので、
まだ静かなうちに、寝なくては、です。


次回はもっと、ほんわか系で。








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