“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

汚染基準と一次産業問題③

2012年03月04日 17時00分00秒 | 臼蔵の呟き
中西準子氏の主張要約③

このコメを消費者が買うことによって、何が期待できるのか?
先に比較したけれども、そのリスクはさほど大きくはない。それほど大きくないが、誰でもできるだけ減らしたい。それを我慢してほしいと私は言う。それは、何故か?

(1) 福島農業への壊滅的な影響を回避したい
福島県の21年度のコメの産出額は948億円である。利益はこの半分もないだろうが、この金額で考えるのがいいと思う。放射線の影響のない地域まで、福島のコメとして売れないという影響を受けていると聞く。この内、どのくらいが影響を受けているかわからないが、1,000億円規模の生産が影響を受けていると考えていいだろう。
厚生労働省が急に暫定基準値をとりやめて新基準値を出した(2011年12月)政治的背景は既に報道されているが、それに輪をかけた厳しい作付け制限を農水省が出し、福島県もそれを実行しようとしているのは、(私の勝手な推察かもしれないが)放射線の影響のない地域まで疑われるという状況を何とかしたいという気持ちがあるからではないかと、私には思える。
つまり、放射線の影響を受けた地域は犠牲にしても、福島県の他の地区を救いたいという考え。この推察が正しいかどうかは別として、福島県の農業を考える時、二つの問題があるという認識が必要だと思う。
それは、放射線の影響を受けた地域と、そうでない地域。その二つを考えなければならないのだということ。そして、コメだけに限って言えば、両方の金額の合計は1,000億円/年。放射線の影響を受けた地域だけの収支を考えればいいのではない。
放射線の影響を受けた地域のコメの問題と、全く受けていないのに、福島のコメとして影響を受けている二つの問題がある。消費者が、リスクの大きさをきちんと理解し、これを引き受けようと考えれば、この全体を救うことができる。

(2)もうひとつの義援金
放射線の影響が残っているが、そのコメは十分基準値を満たしている、そういうコメが売れ残る。その場合、どうなるだろう?多分、国か県か東電か(*)が買い取ることになるだろう。だから、農家には直接被害が及ばないかもしれない。しかし、もし私達が買えば、その資金は復興のための資金として使える。消費者はコメ代を払っているだけで、義援金を出したことに相当する。
コメ10kg買ったとしたら、5,000円送ったことになる。
一度や二度、どこの家でも義援金を出しているだろう。しかし、1年も経つと出せなくなる。ここでコメを買うことで、もう一度義援金を出せる。コメを買うことは、こういう効果がある。
(*) 東電が払うべきだという威勢のいい意見をしばしば耳にする。でも、東電と言っても国か電気利用者が払うにすぎないことは、書く必要もないかなと思いつつ、やはり書いておこう。
(3) 仕事とお金
コメの作付けについて、農家の方が強く主張しているのは、やめてしまえば農業がつぶれ、仕事がなくなるということである。放射線の影響を受けた地域の農家の方は、補償金は貰えるかもしれない。しかし、それよりは仕事をして自分の力でお金を稼ぎたいと考えるのは当然だ。また、補償などいつまで続くかも分からない。
仕事を失うことの恐怖は誰にとっても大きい。でも、その恐怖は、街に住むわれわれの方が強いかもしれない。だからこそ、生業を失いたくないという気持ちは理解できるのではなかろうか。われわれがコメを買うことで、仕事の場を提供できる。農家は仕事を求めている。
今の農家がコメだけで生活できるわけではない。さらに、多くの農家にとっては、農業だけで生活できるわけではない。しかし、コメ作りは生きることの柱になっているのだと思う。私達が、少し気持ちを切り換えることでその希望に応えることができる、そういう機会が私達に与えられている。補償金漬けの問題が早くも指摘されていることも、合わせて考えよう。補償すればいいは、解決にならない。
(4) がんリスクへの向き合い方
時間がなくなってしまったので、リスクの大きさについての話は、また別の機会にするが、がんは多くの事柄が原因になっており、一つの要因だけを徹底的に0にしようとしても意味が小さい。全体のリスクを見つめて、その要因を少しずつ減らすことが重要である。そのことを考えると、それほど神経質になるほどのリスクではないことが分かって貰えると思う。




汚染基準と一次産業問題②

2012年03月04日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き
中西準子氏の主張要約②

まず、コメのセシウムリスクはどのくらいか?
以下の4項目を仮定して、かなり極端なケースのリスクを計算する。
1)セシウムの濃度100 Bq/kgのコメを1日170 g (約375gのご飯)、年間365日食べる(コメの食べる量についての平均値男200 g/日、女140 g/日)。
2)この濃度が3年間続くとする。
3)ICRPのデータを基に直線近似で求めた、がんポテンシアルのslope factor
5.5×10-2/Sv(畝山智香子「安全な食べものってなんだろう」日本評論社)を用いる。
4)放射性セシウムの実効線量係数は、セシウム134と137の平均値を採用した。この場合の、がんリスクは以下のようになる。
がんのリスク
=100 Bq/kg × 0.17 kg/日 × 365日/年 × 3年 × 5.5×10-2/Sv(slope factor) ×(1.9+1.3)/2×10-8Sv/Bq(実効線量係数)=1.6×10-5

消費者が市場に出た福島産のコメを買って一年中食べたとしても、コメによる放射線セシウム摂取量はこの計算値の10分の1以下だとは思うが、ここでは、上の仮定のように極端なケースについて計算した。
このリスクの大きさを他のリスクと比較する
他と比較するために、3年間のmSvで表す。

(a) 100 Bq/kgのコメを3年間毎日食べた時:0.24 mSv
(別の表現にすれば、10万分の1.6のがん確率または、損失余命で1.8時間)
(b) コメの中に含まれるカリウム40による放射線の影響(3年間):0.036 mSv
(ここでは、3年間の摂取量を計算したが、カリウムは3年で終わるわけではなく、一生続く)
(c) 他の食品や吸入も含むカリウム40による影響(3年間):0.51 mSv
(敢えて、3年で比較)
(d) はじめて知ったので書いておくと、野菜嫌いによる影響を被ばくに換算すると(中川恵一さん):150~200mSv(一生)、敢えて、70年で割って3倍すると、6~9 mSv
(e) コメの中のヒ素(畝山さんによる):1.5 × 10-3(一生) → 6.4 × 10-5(3年)
このコメを消費者が買うことによって、何が期待できるのか?
先に比較したけれども、そのリスクはさほど大きくはない。それほど大きくないが、誰でもできるだけ減らしたい。それを我慢してほしいと私は言う。それは、何故か?


汚染基準と一次産業問題①

2012年03月04日 13時00分00秒 | 臼蔵の呟き
中西準子氏の主張要約①

中西氏は、環境リスク論の研究者。いたずらに危険性を騒ぎ立てるのではなく、リスクの程度を可能な限り定量的に評価・比較し、それをもとに合理的な対策をとるべきであるとの立場。2012.2.22「福島のコメ問題」

「不検出」という甘い誘惑
放射線濃度の自主分析で生産者の方が試料を持ち込み、「不検出」でした、「検出限界値以下」でしたと嬉しそうにして帰る映像を見ると胸が痛む。
当たり前のことだが、「不検出(ND)」は0ではない。しかし、0と思わせるところがある。基準値が100Bq/kgで、その測定器の検出限界値が25Bq/kgとしよう。数値が、50 Bq/kgでも、30Bq/kgでも基準値内だから良いはずだが、どうしても「不検出」を生産者は追求しようとするのではなかろうか。また、機器の性能としては20Bq/kgも測れる、そして、測定結果が20 Bq/kgだったとしても、むしろ「不検出」という表記を求めるのではなかろうか。
昨年度のコメについて、福島県が発表した結果には、ND、100 Bq/kg以下(但しNDは含まず)、100~200Bq/kg、・・は、それぞれ何検体あったかが発表されたが、その時NDとはいくつ以下を指すのかが書かれていなかった。栃木県の場合NDは20Bq/kg以下、新潟県10 Bq/kg以下という記述がある。

厚生労働省は、食品中放射性セシウム分析器の検出限界値を25Bq/kg以下にするという案を出しているので、暫くはこの値が技術ではなく、行政施策上の限界値となるであろう。基準値は100Bq/kgでも、皆がこの不検出を目標に動いてしまう。「不検出」≒0=安全と思って貰いたい、そうすればリスクがあるとかないとかの議論もいらなくなると考えるだろう。
そもそも、米国でリスクの議論が火を噴き出したのは、それまで検出できなかった食品添加物や農薬が検出できるようになったからでもある。それまでないと思っていた、然し、分析機器の発達である程度含まれていることが分かってきた。そこから問題が大きくなってきた。基準値は100 Bq/kgだが、事実上25Bq/kgを目標に動く。それは、放射線の影響が小さくなるのだからいいではないかと思う方もおられるだろう。しかし、そういうことではない。
厳しい規制値になれば、生産者は苦しくなる。しかし、ある数値だと基準値内でもリスクがあると言われるが、何故それでもいいかを説明できないとなると、結局なんとか不検出にしようと頑張り、自分で基準値を4倍も厳しくさせる道をつき進んでしまう。しかも、少し長い目で見れば、検出限界値は25Bq/kgでも止まってくれない。さらに厳しくなる。「不検出」に喜ぶのではなく、「不検出」に頼らない理論武装が農業者であっても必要だと思う。0に頼る考え方は、日本の原発は絶対安全だと言い続けた思想と同じである。リスクを正視する勇気をもちたい。そして、その扱いを考えたい。

民主、自民の談合政治

2012年03月04日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
談合政治

今朝、仙台は快晴です。少しさ寒いのですが。震災後、1年になろうとしています。震災特集番組、行事が多くなっています。この1年間で何が進んだのでしょうか??

民主党野田、自民党谷垣氏の会談が報じられています。公式にあったとは発表していませんが、先月末に会談したことは事実のようです。公式には2者ともに否定をしていません。日本の与党党首、野党第一党党首が公式には発表しないで会談する、これは、「後ろめたい」ことがあるからに違いがありません。

一番目の問題は、2大政党制がまったく機能せず、日本政治の閉塞状況を生み出す元凶になっていることを示しました。アメリカ、イギリス、日本と2大政党制をとっている国家の政治、経済が混迷していることを見ても明らかです。なぜでしょうか?冷戦時代をへて、世界各国の政治地図が変化し、資本主義か、社会主義かなど2者択一的な構図が変化してきていることと関係していると思います。また、少数意見を切り捨てる2大政党制、小選挙区制などが更に民意を捻じ曲げ、政治経済運営の疲弊感を広げていることが政治への期待を後退させています。

2番目は、消費税率引き上げを掲げて総選挙で敗れた自民党、“うそ”のマニュフェスト、小選挙区制度によって多数派になった民主党が「消費税率引き上げ」「社会保障制度改悪」「法人税率引き下げ」「安全保障面における米軍依存」などの政策で政党としての違いを打ち出すことが出来ず、各政党の存在価値を示すことが出来ないジレンマに陥ったからです。その中で、主張は同じだから、ここで(彼ら流の千載一遇チャンスとの認識)上記課題を全て談合によって「法制化」を行ってしまいたいとの思惑が動いた。しかし、総選挙を控えて国民、選挙民の目を恐れて隠れての会談となったのだと思います。

三番目は、マスコミの動きです。金曜日の夜9時NHKニュースに谷垣氏が登場し、ニュースキャスターは「与党党首と野党第一党党首が会談してもおかしくない」「消費税率引き上げで政策は同じだから今国会で法案を通すことに動くべき」との評価、主張を行いました。これがNHKの役割かと思えるような主張をマスコミとして行いました。国会の場で正々堂々とした「政策、法案」をめぐる質疑、論争を軽視し、密室での談合を公然と認め、そそのかすような主張には彼らの民主主義、政治感覚の「傲慢さ」には唖然としました。今の政治経済のゆきづまりに対する彼らのあせり、反動的な意思を表面かさせています。
総選挙の必要性と主権在民を現実の政治の場で実現させることがどうしても必要です。

気仙沼の渡辺謙さん

2012年03月04日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、渡辺謙さんの話です。

昨日、ラーメンを食べようと寄った日本そば屋に「スポーツ ニッポン」の新聞がありました。この店には始めて入りますが、日本そば屋のラーメンは結構美味しいですよね。ラーメンは日本食だということがよくわかります。何気なくスポーツ新聞を見ていると、俳優の渡辺謙さんが3月1日(?)に気仙沼のすし屋で地元の方たちと酒を飲んでいる記事が載っていました。

渡辺さんは震災後に気仙沼だけで6回、被災地を40回も訪問しているそうです。被災地支援というとおおげさなものを想像するが、渡辺さんは現地の人と話しそれを国内外の知り合いに伝えることも支援だと言っています。影響力のある方たちと知り合いなので相当の効果があると想像できます。

さらに行政は、被災者の考えと捉え方が違うのでもっと当事者と話しをすべきだと書いてありました。まったくその通りです。

3月11日夜には、NHKの生番組に気仙沼で出演するそうです。ちょうど一年前に被災した現場に立って感じたことなどをレポートする番組だそうです。決して結論やまとめを出す番組にはしないようなことが書いてありました。

以前にも渡辺謙さんのことを「一流俳優 渡辺謙」として書きましたが、この記事を見てその思いがさらに深くなりました。

まだ見ていない映画「はやぶさ」を見なくっちゃ。