“さるかに合戦”  臼蔵 と 蜂助・栗坊 の呟き

震災や原発の情報が少なくなりつつあることを感じながら被災地東北から自分達が思っていることを発信していきます。

水田除染、1市2町が薬剤散布や土壌深耕実施

2012年03月07日 15時00分00秒 | 臼蔵の呟き

<中西準子さんの指摘>
農家の方は、補償金は貰えるかもしれない。しかし、それよりは仕事をして自分の力でお金を稼ぎたいと考えるのは当然だ。また、補償などいつまで続くかも分からない。
仕事を失うことの恐怖は誰にとっても大きい。でも、その恐怖は、街に住むわれわれの方が強いかもしれない。だからこそ、生業を失いたくないという気持ちは理解できるのではなかろうか。われわれがコメを買うことで、仕事の場を提供できる。農家は仕事を求めている。
今の農家がコメだけで生活できるわけではない。さらに、多くの農家にとっては、農業だけで生活できるわけではない。しかし、コメ作りは生きることの柱になっているのだと思う。私達が、少し気持ちを切り換えることでその希望に応えることができる、そういう機会が私達に与えられている。補償金漬けの問題が早くも指摘されていることも、合わせて考えよう。補償すればいいでは、解決にならない。

<水田除染、1市2町が薬剤散布や土壌深耕実施>

 2012年産米の作付けに向け、福島県伊達、桑折、国見各市町が行う水田の具体的な除染対策が3月5日固まった。JA伊達みらい(伊達市)に作業を委託、同JAが1市2町で実施中の果樹の除染で培ったノウハウを生かし、農家と連携し水田への放射性物質吸収抑制剤の散布や土壌を普段より深く耕す「深耕」などを行う。
 3月下旬にも始める。例年より20日前後遅れるが、2011年同様5月20日ごろには田植えできる予定。3月5日、同市で農業団体代表の緊急会議が開かれ、示された。
 管理の徹底で作付けが認められる、1キロ当たり100ベクレル超500ベクレル以下の放射性セシウムが検出された地域を優先する。管内の全水田2300ヘクタールでの実施が目標で、続いて100ベクレル以下でも行い、伊達市の方針次第では500ベクレル超でも行う。


福島県郡山市「持ち込み食品」検査 42施設で開始

2012年03月07日 11時00分00秒 | 臼蔵の呟き
毎日食べなければならない食品を市民が放射能測定器を使って、毎日、測定しなければならないことは異常なことです。また、その対応を行う市民のストレスと怒りは他者が計り知れない事態、問題です。本当に異常です。
蜂助さんが書いているように「がれき」処理が滞り、多くの自治体が受け入れに二の足を踏むのも福島第一原発事故による放射能汚染問題です。東京電力、経団連は経済産業省と財務省に働きかけて「東京電力の生き残りに有利な株数保持」に奔走しています。このような企業が日本企業のトップに君臨していたのかと思うだけでも「漫画みたいな話」です。
原子力発電所が54基中52期停止中ですが、原子力発電に頼らない仕組み、構造を作らない限り、立地自治体、周辺自治体は郡山市と同じになる可能性を常に有しています。なってから「こんなはずでない」「だまされた」「故郷を返せ」と言っても遅いのだと思います。原子力発電所、原子力産業と人間は相容れない「あってはならない」組織、産業なのだとつくづく思います。

「持ち込み食品」検査開始 42施設に分析機44台


 福島県郡山市で3月5日スタートした「食品等放射能測定事業」では、郡山市内の行政センターや各地域公民館、ニコニコこども館など35施設で測定を開始、9日までに42の公共施設に放射能簡易分析機44台と作業員を配置する。
 8日は清水台、赤木、行徳の各地域公民館と市民交流プラザ、9日は高瀬、二瀬地域公民館と総合地方卸売市場で順次開始する。ニコニコこども館には簡易分析機3台、そのほかには1台ずつ配置した。
 ニコニコこども館では、午前中から市民がコメや野菜を持ち込み、担当の職員から測定結果について説明を受けた。
 検査は各会場 ごとに来場による事前予約制で行う。各行政センターや各地域公民館は平日に予約受け付けと測定を実施。市民交流プラザとニコニコこども館は土、日曜日も予約と測定を実施。測定件数は簡易分析機1台につき、1日当たり13検体を予定している。今後、分析機の増台を含め、測定の迅速化が課題となる。

漁船の絵

2012年03月07日 06時00分12秒 | 蜂助の呟き
こんにちは。蜂助です。今日は、漁船の絵の話です。

  


  

この漁船の絵は、風格があっていいなあと率直に思いました。身内が気仙沼から取り寄せた絵葉書です。エース・ポートという復興屋台村のお店に飾っていて気に入ったので取り寄せたようです。

この漁船たちの絵を描いたのは気仙沼在住の芳賀清成さんという80歳過ぎの方ですていねいに描かれていて、地元の人ならばどこで書いたかが分かるくらいに風景も正確に書かれているそうです。鰹船やまぐろ船など働く漁船を描き続けていたようです。

  

今日は、身内からネタをパクらせていただきました。